うんち君のこぼればなし
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たまじろう、飛ぶ

 これは以前掲示板に載せた話を改めて書き直したものである。『うんち君』ではあるけれど、特に笑うようなところはないので、あらかじめご了承願いたい。

 先日、近所の公園で蛍を見てきた。公園の一画を透明のガラス(ポリカーボネートかアクリルかも)で囲って、その中で蛍を繁殖させている。蛍の光がよく見えるように公園の中はほぼ真っ暗。防犯的には問題ありそうな公園だが、そのためか管理のおじさんがそばに懐中電灯を持って立っていた。覗き込んでみると、光っている蛍はわずかに2匹だった。これほどシケているとは予想外で、そばの説明用看板を眺めてみると、例の管理のおじさんが説明をしてくれた。

「今日は2匹しかいないね。もう源氏が終わる頃で、これから平家の時期になるから」

 源氏が廃れて平家の時代が来るというのは歴史的にみると順番が逆のような気もするが、そもそもどうして蛍には源氏と平家という名前が付けられているのだろうか。調べてみると、色々な説があるらしいが結局のところはっきりした事はわからないらしい。面倒くさいのでその諸説も紹介しない。

 ゲンジボタルの光は黄緑色で、まるで発光ダイオードのごとしだ。ポヤーン、ポヤーンと非常に強く大きく光る。もしかして本当に発光ダイオードなのか。飛びながら光っていたわけでもないし、もしかするとあまりに数が少ないのでインチキの蛍を仕込んであったのかも知れない。…という事はないと思うけど。

 蛍といえば、思い出すのはあの日のことだ。

 その日は妻と二人、バイクで武蔵丘陵森林公園なるところへ行った。後ろへ妻を乗せて往復90キロ程の距離を走るのはなかなかに疲れた。私は宵っ張りの朝寝坊なので、いつもの休日なら昼過ぎまで寝ているのだが、その日は午前中から出かけようと妻に言われていたので、休日にしては早起きをした。いざ出かけようというとき、いつもはハムスターの餌を夜に与えるものなのだが、「昨晩は野菜をあげてなかったから」ということで妻がキャベツを与えようとした。

 すると、昼間はいつも巣箱の中で寝ているはずの“たまじろう”が巣箱の外で横たわっているのに気付いた。夏の暑い盛りならいざしらず、外で寝ているということはただごとではない。見ると息づかいが荒い。これはやばいと思った。触れてみると、ヒョヨッと起きあがり、フラフラのヨタヨタのグラグラといった状態だった。生後2年半。一度大病をして、もうダメかという状態からなんとか立ち直り、思いがけず元気になってから随分経つ。ハムスターの寿命は3年といわれるので、まあ虚弱体質のたまじろうからすれば寿命なのかなとも思うが、要するに、今わの際である。確かに体力も食欲も落ちては来ていたが、それほど老いを感じる状態ではなかっただけに、急なことだった。

 たまじろうは隣町のスーパーにあるペットショップで買ってきたゴールデン・ハムスターだ。その前に飼っていたジャンガリアン・ハムスターの“ポポロン”が思いがけず一年ほどで突然亡くなってしまったので、その後釜として購入した。もらいハムスターが4匹続いていたので、店で買ったのは初代の“たまご”に次いでの2匹目である。買うからにはじっくり選ぼうとかなり吟味したけれど、選ぶポイントは“性格”とか“雰囲気”が一番だったので、体の丈夫さよりもそのおっとりさ加減で決めたところがあった。そのため、野生では生き残れないようなちょっとやさしいおとなしめのハムスターだったかも知れない。体も大きくなかったし、兄弟たちとの関係でも力的には劣った立場にいたようだった。要するにそれはたまじろうの体の弱さを意味していたのかも知れない。結果的にはそれがかつての病気とやや短めの寿命という形で現れたのだろう。

 発見した時、既にたまじろうの息は絶え絶えだった。息を吸う時に苦しそうな顔で体全体をのけ反らせる。最後の力を振り絞ってなんとか呼吸を続けているという感じだった。息を引き取るまでの数十分間、たまじろうはそんな状態で妻の手の中に抱かれていた。過去にはガンで変わり果てた末に死んだハムスターも2匹いたし、毛が薄くなってはげチョロになって死んだのもいたから、かわいいまま死んだのは珍しい方である。

 “たまご”の頃からすればハムスターの最後を看取るのにも随分馴れて、悲しみもそれほど強く感じずに済むようにはなっているはずの妻も、結局はこのおっとりしたかわいい“たまじろう”のために涙を落とした。時間もない事なので、すぐに近所の川岸の土手に埋葬しに行った。シャベルで掘った穴の中にたまじろうの亡き骸を横たえ、花とお菓子を添えた。穴を掘っている時、なにやらカブトムシの幼虫のようなものが2匹ゴロゴロと出てきた。

 思えば、いつものごとく昼過ぎまで寝ていればきっと死に目には会えなかっただろうし、いつものように夜まで餌を与えなければやはり気付かなかっただろうから、その日の外出はたまじろうに促されて計画したようなものだったのかも知れない。

 少し出発が遅れたが、予定どおり森林公園に行った。ベンチで遅い昼食をとっていると、一匹の虫が近くへ飛んできた。しばらく我々の側をホバーリングしているので、何かなあと思ってよく見てみるとどうやら蛍のようだった。昼間だから光ってはいないし、そもそも10月半ばという時期だったから、本当に蛍だったのかどうか今となっては疑問ではあるが、あの体つきは蛍の一種には違いないと思う。少なくともゲンジボタルやヘイケボタルではないようだが、蛍にはいろんな種類があるようなので、あれはきっと蛍なのだ。だが、べつに蛍でないと話が進まないという事でもない。とりあえず蛍らしき虫が飛んできたということでもよい。

 その蛍(らしき虫)は、我々が座っていたあずまやの柱にとまったが、そのまま少し歩くと滑って地面まで落っこちるという鈍臭さだった。落っこちてもまた飛び上がるでもなく、そのまま我々の足下の地面をしばらく這っていた。

 この時、映画にもなったある実話を思い出した。戦時中、1人の特攻隊員が、基地のみんなから母親代わりとして慕われていた食堂のおばさんに、

「俺が死んだら蛍になって会いに来る」

 と言った話だ。そして彼が出撃した後、本当に蛍が一匹店に入ってきてしばらくじっととまっていたそうで、おばさんは彼が約束どおり帰ってきたのかも知れないと思ったという。

 私は、
「たまじろうが蛍になってお別れに来たんだな」
 と冗談半分に言った。鈍臭いところなどたまじろうによく似ている。

 我々の側に来た蛍(らしき虫)が再び飛び始めたとき、妻が「おいで」と言って手を差し出すと、その蛍(らしき虫)が近づいてきてスッとその指先にとまった。

「ああ、こりゃあほんとにたまじろうかも知れない」

 そう2人で言った。少しすると蛍(らしき虫)は妻の指先を離れ、遠くへ飛び去って行った。

 実際のところどうなのか分からないけれど、世の中にはそんなことがあってもよい、と思う。

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