うんち君のこぼればなし
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逆さ鼻毛

 『逆さ鼻毛』という言葉がある。社会的には無いけれど、私の生活の中ではしっかりと根付いている言葉だ。『鼻の穴の主』という言葉もそれと一緒によく語られる。もちろん語るのは専ら私だけではある。極太の鼻毛が左右の鼻の穴にそれぞれ一本ずつ生えている。それぞれが『右の穴の主』、『左の穴の主』だ。止むに止まれぬ事情により、時々鼻毛はカットされるのだが、これは何かの間違いだろうという程の太さでそいつらは流しに横たわっている。歳のせいか最近は『右の穴の主』が白髪になってきた。

 なんだかとにかくよく鼻毛が伸びる。しょっちゅう鼻毛を切っている。バカボンのパパのように抜いてみたい気もするが、どう見ても猛烈に痛そうなので抜いたことはない。長いことバイクで通勤をしていたのでそれがたたっているのに違いないと思う。川越街道という国道を片道一時間近くも走っていると大変な量の排気ガスと粉塵、煤煙を吸い込むことになる。鼻息が排気ガス臭くなるほどに体は汚染されているようだ。そんな毒ガスから体を守るため、鼻毛達は必死に伸びようとしてくれる。成長のペースはどんどんと上がり、数も、それぞれの太さも日に日にその規模を増すようになった。

 そんな中で『鼻の穴の主』や『逆さ鼻毛』が生まれた。『鼻の穴の主』こそはまさに合目的的な進化の結果であろうが、一方の『逆さ鼻毛』となるとそれだけでは片付かない。もちろんフィルターとしての役割は立派に果たしてはいよう。だが、問題はそれが私に害を及ぼしているというところにある。鼻毛は必要以上に伸びれば鼻の穴を飛び出し、あるいは反対側の壁を突っつき、くすぐる。『逆さ鼻毛』とはくるんとカールした鼻毛であって、自らの生えている側の壁へその先端を向けた鼻毛である。これが伸びると終始鼻の内壁をくすぐり続けることになる。これが言語に絶するくすぐったさなので、一日中鼻をいじってしまう。結局耐えられなくなってばっさりとハサミで切断することになる。

 しかしながら、切断すればこそばゆさからは解放されるものの、鼻毛本来の役割は完全には果たされなくなってしまう。例えば鼻水。鼻毛は山の緑と同じである。山を覆う木々には保水機能というものがある。禿げ山になれば山は水を蓄えることが困難となり、表土も流出していくことになる。そのために森林法では「水源涵養保安林」なるものを指定して伐採を規制しているのである。同様に鼻毛がなくなると鼻の穴の保水機能が失われる。鼻水が流出しやすくなるのだ。だからこんな時はあまり人のことを鼻で笑わない方がいい。人を馬鹿にしたつもりでフフンと鼻で笑うと、鼻水が垂れてかえって相手に馬鹿にされることになる。

 さて、鼻毛を切れば当然フィルターとしての役割もまた充分に果たされなくなる。鼻毛を切った後にバイクに乗れば、いつも以上に排気ガスの臭気が強く感じられる。こいつは体に悪いぞと思うので、ヘルメットの下には『防塵マスク』という西部劇の銀行強盗がするような三角形のマスクを付ける。さて、鼻毛の長い状態ならば問題は無いのだが、切ったばかりの状態でこのマスクを付ける場合にはしばしば不都合なことが起こる。『バイク用』として販売されているこのマスクにはその効果を最大限に発揮させるために顎紐と鼻絞りがついている。どちらもマスクの気密性を高めるためのものだが、鼻絞り(これは私が勝手に付けた呼び名だが)とは鼻の上にかぶさったマスクの部分を鼻の形に添わせるために柔らかい金属で挟み付けるようにしたものだ。要するにマスクの上から金属で鼻を摘むのである。金属は曲げれば曲がったままなので、絞りすぎると鼻は摘まれたままの状態となる。適度に絞れば良いものを、どういうわけか私はやりすぎる傾向があるようで、またそのことに気付くのがどうしてか遅いのである。ヘルメットまでしっかり付けて、バイクを走らせてからその結果を知ることになる。

 鼻毛は切ってあるので通常なら先端は鼻の内壁まで届かない。だが、鼻絞りを行ったことで鼻毛は再び鼻の中を突っつき始めるのだ。ところが今度の場合はくすぐったくない。痛いのである。短く切断された鼻毛の断面はおそらく竹を刀で切ったような竹槍状になっているに違いなく、このいわば鼻毛槍が鼻の内壁を突き刺すのである。痛みのジャンルとしてはチクリというところだが、痛みの程度としてはその表現では不十分だ。あえて言葉で表現してみれば『ズチクッ!』といったところである。バイクで走行中、私の顔はゆがみ、そして目は涙で霞んだ。

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