うんち君のこぼればなし
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リサイクル

 踏ん切りがつくとかつかないとかいう表現があるが、『糞切り』がつかないという体験は誰しもが持ったことがあるに違いない。

 私の個人的な好みからすれば、何事もはっきりと白黒をつけたいし、できる限り無駄なく必要な事だけを速やかに行いたい。だから例えば、なんとなく焦点の定まらない『雑誌』というものが好きではない。読みたいものは単行本で買って、読みたいもののみを読む。恋愛にしても、好きなら好き、好きでないなら好きでないとはっきりさせておきたい。なんだかよく分からないのなら最初から付き合わない。自然消滅などということが最も嫌いで、見込みがなくなってきたら何事も早めに結論を出してしまわないとどうにも気持ちが落ち着かない。曖昧な状態が長く続くことには耐えられないのだ。

 そして、もちろんそれは排便も同じである。出るなら出る、出ないなら出ないとはっきりしてもらいたい。出ないときは全くその気がないような腹具合で、それがググググッとにわかに催してきたと思ったら一気に排出、というのが理想だが、実のところなかなかそううまくはいかない。むしろそんなにハッキリした快便というものは稀であるから、腹だけでなく胸の中もなんとなくモヤモヤとした状態が続くことのほうが多い。言わば『中途半端にうんこのしたい状態』である(『中途半端なうんこ、をしたい状態』ではない)。『中途半端にうんこのしたい状態』で便座に腰を掛ければ、それはフニャフニャだったりコロコロだったりして、なかなかスポンと気持ち良く出て来てはくれない。ちゃんと出きらずに腹に残っているという気持ちの悪さもあるのだが、それよりも、出口に何かを挟み込んだままの感触が残ることが少なからずあって、こちらのほうが面白くない。これを『糞切り』がつかない状態と呼ぶ。そうなってしまったからにはしょうがないので、もうひと『糞張り』してみる。追加の『糞闘』努力をする。両の臀部で強く挟み、上下左右に振ってみたりしながらそれが断ち切れるよう試みる。うまくいけばその後の処理が少し楽になるが、そうでなければちょっと嫌な感触の、いつもより長めの作業が待っている。

 中学生の頃だったろうか。その日も私は『糞切り』のつかない状態になった。ところがこの時はいつもと様子が違う。便自体は極めて良質で、まさにスポンという快便だった。こんな時には何も挟み残しはないのが普通なのに、どうしたわけか『糞切り』のついていないはっきりとした感触がある。私はそれを切り離そうとしばらく頑張ってみたが一向に手応えはなかった。いつもならあきらめて拭い去りにかかるところだが、この時はなにか異質なものを感じたのだろう。拭き取る前に私はその状態を確認しようと思った。

 上体を屈めて、便座に腰掛けた自分の股間を覗き込んでみると、なにやら奇妙なことになっていた。何かがぶら下がっている。もちろん普段からぶら下がっているものではなくて、その背後に見慣れない紐状の何かが4、5センチほど垂れ下がっているのである。トイレットペーパーでつまんで引っ張ると、それは意外と簡単に引き抜かれた。

 その正体は糸コンニャクだった。しらたきである。前日に食べたすき焼きに入っていたものに違いない。しないしないとは聞いていたが、本当にこんにゃくは消化しないのだ。実にそのままの姿である。私には無理だが、人によっては洗ったら食べられそうである。あまり噛まないようにして飲み込めば、何度でも食べられるだろう。私には決してできないが、人によってはリサイクルになる。私には全くならないが、人によってはお金の節約になる。広い世の中のことだから、何回繰り返せるだろうかなんていう知的好奇心にかられてそんなことを試してみた人もいるに違いない。

「そんな人は凄い人だなあ」
 と、勝手に想像して勝手に感心したりするが、別にそういう人に会いたいというわけでもない。

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