うんち君のこぼればなし
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応援団出身

 私は声が小さい。ゴニョゴニョと何をいっているか聴き取れない、とよく苦情を言われる。子供の頃にはそれなりに大騒ぎすることもあったが、年齢を重ねるうちにだんだんと小さな声になった。どうして小さくなったかと思うに、関係のない人に自分の会話を聞かれたくないという気持ちが強いのではないかと思う。

 たとえば、電車の中で女の子が彼氏に向かって、
「あんた、あたしに喧嘩売る気?言っとくけど、あたしの喧嘩高いよ」
 などと、買う気なのか売る気なのかわからないようなことを言っているのを耳にしたりすると、個人的な会話を他人に聞かれるということは、己の中味の程度を世間に公表しているようなもんだなあと感じてしまう。

 もちろん私はそんな間の抜けた会話はしないが、それでも個人的な話を他人に聞かれて、私のキャラクターや生活状況について勝手な憶測をされることに、どうも抵抗がある。多くの人はそこら辺の赤の他人のことなどを気にしちゃいないだろうが、私自身はちょっとした他人の会話からその人の人格や生活を予測してしまうようなところがあるから、自分はそういった分析をされたくはないと思うのだろう。必要最低限の音量で話す癖がつき、それがだんだんエスカレートして必要最低限以下でしゃべる事も多くなってきた。ゆえに相手には迷惑をかけるが、どうせなら一切口ではしゃべらず、目と心で会話できるようになるのが理想ではある。

 そんなわけですっかりゴニョゴニョの小声男になったが、こんな私はなにを隠そう、応援団出身である。ついでに言うなら合唱団出身でもある。いずれも不適格なこと甚だしい。まあ、合唱団というのは小学生の時の話で、当時はそれほどの小声でもなかっただろうから、さほど適性がなかったわけでもないかも知れない。ただ入った経緯というのがあまり感心するものではない。合唱なんてものにはなんの興味も持っていなかったのに、私自身が全く知らぬ間に担任教師の独断で放り込まれていたのだ。歌がうまいとか声が良く出るとか、そんな自覚はまるっきりなかったが、コンクール用の補充要員として有無を言わさず参加させられ、夏休み中を練習に潰されて面白くなかった思い出がある。それでもみんなできれいにハモった時のちょっとゾクゾクする快感というものを味わったり、ピアノ伴奏担当の1年上の女の子に恋をしたりで、楽しくない事ばかりでもなかったが、あの口を大きく開けて、のってくると体を揺らしながら表情豊かに唄う様というのが私の美的感覚からするとどうにも耐えられないので、コンクールが終わった途端、とっとと抜けさせてもらった。

 で、合唱はともかく、応援団の話である。中学校でも高校でも応援団にいたことがある。私のキャラクターからして応援団に自主的に入るわけはない。中学校の時は、学級委員が強制的に応援団員を兼任させられたためにやっただけのこと、高校の時はくじ引きで当たってしまったからやったまでのことである。

 中学校には有志たちによる応援団が一応存在していて、当然ながらガラの悪い連中の巣窟になっていたが、それだけでは人数が不足しているために、品行方正な学級委員たちを加える事で、質的にも量的にも望ましい組織にしようという学校側の配慮があったと思われる。学級委員たちは中総体までの臨時団員なので、幹部はやはり本職の団員たちである。そのときの団長はオニギリのような人で、中学生にしてはやたら貫録があったがあまりにも田舎臭い。“マブい姉ちゃん”などと言う時の“マブい”を間違って覚えていて、
「マボい、マボい」
 と連呼していたから、せっかくの貫録も台無しで、とてもじゃないが女の子に相手にされるはずもなかった。

 本職の団員たちは一見ガラの悪いのが多いが、つき合ってみればそれほどのものでもなく、中にはやたら笑顔の爽やかな優しい人もいたりして、次期団長となった先輩などはかなりモテモテの存在だった。外見がオニギリのようではなく、それなりに格好よければ、目立つ活動をしているだけに女の子に注目される。それが目当てかどうかは知らないが、学級委員の臨時団員から正式の団員となり、後の団長となった同級生もいた。彼はなかなかいい男だったので(中味は割と軽薄だが)、女の子に注目されて随分と気分が良かったに違いない。

 と、中学時代の応援団の話はどうということはない。大した事もやらずにお役ご免となった。メインの話は高校時代である。

 高校の応援団も中学校の状況と同じで、やはり人手不足に変わりはなかった。学校全体として中学ほどにガラの悪い人間は多くなかったから、応援団員たちもそれほど迫力のある連中ではなかったが、それでも一般の生徒に比べるとやや熱血漢といった人間が集まっているようではあった。高総体前の応援練習ということで、放課後、応援団員たちが1,2年生の教室に入ってきては割と高いテンションで指導をした。要するに怒号によって無理矢理声を出させるわけだが、我が母校の生徒はほとんどが高校受験に失敗したような半端な連中なので、情熱というものに欠けていて、気乗りしない事甚だしい。
(なんでこんなことさせられなきゃなんねえんだ)
 という気持ちをほぼ全員が抱いていたに違いない。当然応援団という組織に対しての反発心は強く、ひとことで言えば彼らは“嫌われ者”だった。もちろんそんな応援団に自ら進んで入ろうという生徒は稀であった。

 万年人手不足の応援団は、やむなく強制的に団員を徴用した。1,2年生の各クラスから2名ずつ団員を出せという。部活その他でやむを得ない理由がある場合は免除される。1年生の時には私もテニス部に所属していたから免除されたが、2年生の時には既に部活動をやめていたので、免除の理由がなかった。部活をやっていない生徒などそれこそ沢山いたはずなのだが、「医者に行かなきゃならないから」とか、「歯医者に通っているから」とか、「バイトしてるから」とか、「塾に行ってるから」とか、ほとんどが明らかなウソの理由で帰っていった。私だって応援団など御免なのだが、ウソをついてまで逃れようという腐れ根性を許せない性質だったので、黙って教室に残った。そうやって最終的に残されたのはわずか4人であった。1人を除いては真面目な連中で、皆、およそ応援団という雰囲気ではない。その4人でくじ引きを行い、2人を選んだ。予感していたとおり私は大当たりで、もう1人は私とは腐れ縁とでも言うべきS木だった。彼のことは以前の稿で(「交通安全講習」参照)、

『“しっかりしている”とか“男らしい”とか“堂々としている”とか“落ち着きがある”とか“説得力がある”とか“かっこいい”とか“友達思い”とかいう形容詞がことごとく当てはまらない奴』

 として紹介済みだが、そんな奴がどうしてウソもつかず、真面目にくじ引きにまで参加したのかというと、
「お前にはなんにも用事がないだろう」
 と、彼のことをよく知っていた私が引き止めたからに違いない。とにかく、決まったものは仕方ない。嫌々ながら、2人は集合場所である放課後の屋上へと上がっていった。

 各クラスからやって来た臨時団員の顔触れを見れば、やはりウソをつけない真面目そうな連中が多い。応援団員というにはあまりにも迫力不足の面々で、
「ホントに俺達でいいんですか?」
 と、訊きたくなってしまった。驚いた事に、中には物好きにも志願してやってきた奴も幾らかいるようだ。

 練習はことのほか辛かった。声出しを何十分もするのは毎日のことだが、おかげで最初の頃には声が完全に涸れてしまった。授業中に教科書を読まされたが声が出ず、
「君が応援団というガラじゃないだろうにねえ」
 という顔つきで先生に心配されたこともあった。そもそも私の声は小さいし、大きく出そうとしても通らない声質だし、応援団なんてものにはまったくもって不向きなのだ。だが、周りの臨時団員を見るとやはり似たような連中が多くて、皆で弱々しい声を発している。そんな光景を目にしていると、
「ホントに俺達でいいんですか?」
 と、やはり訊きたくなる。

 最も辛かったのは、“腕上げ”とでもいうのか、名称は定かでないが、腕を前に出したり横に出したりといった応援時の基本的動作を繰り返し行う訓練である。訓練といったって、こんな単純な動作はそんなに練習が必要なものじゃない。腕と肩の筋肉を鍛えさせるつもりなのかも知れないが、実際の応援ではそんなに長時間連続して行う動作というわけでもなく、要するにこれはシゴキなのだと理解した。前にならえのような格好で腕を前に出し、そのまま肘をたたんで今度は左右に腕を広げる。このとき腕は水平を保たなければならない。腕の先が少しでも下がってくると、指導担当団員の怒号が飛ぶ。こんな運動を何百回も繰り返した後、今度は腕を水平に出したまま静止させる。1分とか2分とか、腕を真っすぐ水平に伸ばしたまま耐えるというのは本当に辛い。何かといえば大騒ぎするS木などは、いつも「う〜」とか「あ〜」とか泣き顔でうめいていたものである。このシゴキのおかげで毎日どれほど肩が痛かった事か。正直まったく覚えていないが、きっと痛かったんだろう。

 こんな練習の毎日なので、しばらくは放課後が憂鬱でたまらなかったが、そのうちだんだんと練習にも慣れ、また先輩団員たちと気心が知れてくると、割と居心地が良くなってきた。応援団の連中の人間性は、かつて所属していた硬式テニス部(「アホ部長の末路」参照)の上級生たちに比べるとよほどまともで、妙な贔屓や陰湿ないじめなどということはまったく無かった。

 応援団のパフォーマンスというものは、私にとってはどうにも気恥ずかしくて性に合わなかったが、それでも応援団員として1つだけ気に入っていたものがあった。“高下駄”である。正団員幹部の服装はおそろいの羽織袴だが、われわれ臨時のヒラ団員は勝手に学ランを用意しろということだった。この高校は私服だったので、持っているのは中学時代の学ランしかない。やる気があれば長ランとかなんとか(あまり詳しくない)、それらしいものを用意するのだろうが、どうせすぐ辞める臨時雇いだから、そんなものに金をかけるわけにも行かないし、そもそも自分のキャラには不釣り合いなので着たくない。仕方なく、体がでかい同級生の中学時代の学生服を借りた。ちょっとダボダボ目の極く普通の詰め襟なので、応援団らしくない事この上ないが、そこは仕方がない。ただ、団員共通で高下駄を履いて良いということなので、さっそく先輩団員に紹介された店へ行って購入した。

 下駄は昔から好きだった。あの履いた感触と、歩いた時の音がいい。だが、高下駄はもっと良かった。重みがいいし、歩いた時のカラコロカラコロという音が普通の下駄よりはるかに良い。そしてなにより視点が一気に高くなるのがなんとも気持ちいい。団員皆で高下駄を履き、カラコロと歩いているのはなかなか楽しい気分だった。

 当時の団長は確か『マゴイチ』というあだ名で呼ばれていた。後輩からはもちろん「団長」と呼ばれていたが、同級生の団員からは「おい、マゴイチ!」と、ただの友達感覚で扱われていた。マゴイチ団長の口癖は「おお!なんと!」なので、いつもやたらといろんな事に驚いているように見えた。人柄は優しく、おっとりしているという程の雰囲気だが、あまりカッカと頭に血が上らないその落ち着き具合が、応援団長という役には適していると判断されたのだろう。貫録があるといえばあるのかも知れないが、切れ味に欠ける印象は否めない。

「こないだ、羽織袴姿3人で歩いてたらさ、すれ違ったおばちゃんたちが話してたんだよ。『あらー、仙台にもついに出たのね、竹の子族が』だって」
(『竹の子族』がわからない若い人は適当に調べて下さい)

 そんな話をにこやかに語るマゴイチ団長は、要するにおっかなくない。応援団から離れて教室に帰れば、周りの同級生からは特にどうという事のない奴として扱われているだろうことが想像できる。
「なんでお前が団長やってんの?」
 なんて言われちゃう人なんだろうと思う。まあそんな団長率いる応援団だからこそ、和やかで楽しい雰囲気に満ちていたのだろう。

 野球部の試合を応援していた時の事。たしか練習試合だった。近所の高校を迎えて試合を行ったが、結果は我が校が勝ったように思う。高総体直前のことだったので、両校とも応援団や多数の生徒たちが参加して(相手は共学なのでチアリーダー付きだったのが羨ましい)、本番へ向けての応援練習を兼ねていた。試合終了直後、スタンドの前に整列した野球部員に向けて勝利の応援歌を歌った。それが終わった時、反対側のスタンドから、相手校の応援団長らしき人物が大声で怒鳴った。
「団長ー!!来い!!」
 こちらのマゴイチ団長を呼びつける叫びだった。一瞬何事かと皆が思った。なぜ相手の団長が、命令口調でマゴイチ団長を呼びつけるのか。普通に考えればとても無礼な行為である。だが、人の良いマゴイチ団長がすぐに「押忍!!」と答えて駆けていったから、これは予め何か打ち合わせでもあったことなのかと思ってその様子を眺めていた。

 相手の団長は、目の前へ立ったマゴイチ団長へ向けて何やら強い口調で怒鳴り、マゴイチ団長はただ「押忍!!」と答えた。この様子を見た我が校の血の気の多い連中が「なに!!」と、一斉に立ち上がった。そして相手の団長がマゴイチ団長の肩をドンと小突いた瞬間、皆が一気に相手側スタンドヘ向かって駆け出した。もちろんその中に血の気の少ない私の姿はない。
「待て!!動くな!!」
 大声で怒鳴ったのは小さいながら熱血漢の新人数学教師である。その迫力に押されて、怒れる生徒たちは足を止めた。

 すぐ戻ってきたマゴイチ団長の話を聞けば、我々が野球部員に向かって応援歌を歌っている時、相手校はこちらにエールを送っていたらしい。なのにこちらはエールを返さなかったから、エール交換の礼儀に反するということで怒っていたということだった。
「そんなもん、こっちが他の事やってる時に送ってきたって、気付くわけねえじゃねえか!!そんな時にエールを送ってくる方がおかしいんだ」
 という我々の意見は正しいに違いなかった。が、マゴイチ団長は怒るでもなく、というか、ややビビった様子で、事を丸く納めようとしていた。が、不穏な空気は消えない。怒れる他の団員、一般生徒たちの気が済まないようで、どうやら先生同士が出ていって、話し合いを行ったようである。この時、副団長が、
「俺も行ってくる。俺、頭に血が上って手出すといけないから、後ろ手に縛ってくれ」
 なんてことを言って、実際に手を縛らせて話し合いの場へ向かった。ちょっと芝居がかった陶酔型の人である。こういう人はやっぱり団長じゃないほうがいい。

 この一件は、マゴイチ団長の穏やかな人間性によって大きくならずに済んだと言っていいだろう。一部生徒たちの気は晴れなかったかも知れないし、大勢の前で侮辱された格好のマゴイチ団長自身が最も面白くない気分だったろうが、それでもグッと堪えたそういう納め方も応援団長としては立派だった。最終的には相手側も誤解だったと謝罪したという話を聞いた気もするが、定かではない。

 高総体、秋の大会と、私も臨時団員なりに一生懸命応援して、そして3年生は引退した。我々臨時団員もひとまずお役御免である。
「来年もお前ら、やってくれるよな」
 引退する3年生たちにそう言われて、半ばやる気にはなっていた。振り返ってみれば、最初は大変だったが、地元の新聞の取材を受けて写真が載ったなんてこともあったりで結構楽しかった気もする。来年は辛いシゴキはないわけだし、羽織袴も着させてもらえるだろう。悪くないかも知れない。前向きに考えておこう。そんな思いだった。だが、私とS木は結局応援団に復帰しなかった。他の団員連中には白眼視されたが、受験勉強に集中したかったことが理由のひとつだった。そして、どちらが本当に大きな理由かは分からないが、もうひとつの理由もあった。端的に言えば、やはり私は応援団員というガラではないということだ。臨時団員上がりでそのまま正団員として残った連中は、皆、真面目な奴らだった。客観的に見て、彼らも応援団員というガラではない。一般生徒になめられそうなタイプだ。彼らは真面目によくやるけれど、その存在自体が応援団の迫力を落としていることは明らかだった。その中に私とS木が加われば、ますます応援団は貫録を失うだろう。そうしたわけで、応援団という組織のあるべき姿を考えたときに、私とS木はどうしても身を引かざるを得なかったのである(いいわけ)。

 まあ、経験としてはなかなか良かったなと思っている。

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