うんち君のこぼればなし
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男の園

 とても羨ましい。何が羨ましいかというと、我が出身高校の現在の生徒たちが羨ましいのだ。なんとなれば、彼ら後輩たちは今や男女共学校の生徒だからだ。しかし、私がいた頃はといえば、そこはまだ、むさくるしい男子校だった。

 “むさくるしい男子校”といっても、もちろん何もかもがむさくるしかったわけではない。個々に見れば、私などは全く愛くるしい男の子であったわけだし、中には

「かわいい!」

 などと言われてファンクラブが出来るような生徒もいたりする。それはそれでおぞましい気がしないでもないが、常に不気味な匂いを発散し続けていたり、モジャモジャと色んなところから毛を生やし過ぎているような“むさくるしさの権化”的輩は、どんなに多く見積もっても1割がいいところで、逆に爽やかさに溢れた生徒も数パーセントはいたのではなかろうかと思う。

 ファンクラブがあるらしいという噂の生徒は、ピアノが特技の華奢な後輩で、私の学年の連中が中心になって騒いでいたような記憶がある。彼は見るからに大人しく女の子っぽい生徒で、要するに男子校という特殊な空間のなかで女の子の身代わりとしてもてはやされた存在であった。

 女子校においては女の子が同姓に憧れたり恋をしたりという話はさほど珍しくないようだが、男子校においても似たようなことは起こるようだ。ただ、女子校ほど当たり前の出来事ではない。男の場合、強制収容所とか刑務所のように完全に同性だけで隔離された空間にあっては、同性愛が増加することはあるようだが、それはいわば仮性のものであって、そうした特殊な環境から解放されれば通常の異性愛の姿へ戻る人がほとんどらしい。校外へ出れば女性がいくらでも歩いているという男子校のような環境は、そうした仮性の同性愛に至るまでに追いつめられたものとは言えず、したがって一時的にせよ男に恋をするようなことはまずほとんどないはずである。要するに、ファンクラブまで作って騒いでいる連中なんてのは、極めて特殊な“どうかしている”奴らに違いないのだ。

 なんてことを思っていたら、私自身にとんでもない事態が起こった。2年生の時、クラスメイトの1人がどうにも気になって仕方なくなったのだ。その感覚はまるで恋の如しである。

(なんだこりゃ?やべーぞ!?)

 私は慌てた。冗談じゃない。私は女の子が好きなのだ。自分がそれまでの十数年間の人生で、何人の女の子を好きになってきたか、どれほど自分が惚れっぽくて飽きやすいか、忘れたのか!

(惚れっぽくて飽きやすい?)

 そこがいけないのかも知れない。私はどうも初物に弱くて、とりあえず好きになって、それから冷めてくるようなことが多い。まあ、そういう場合はたいがいどうってことない相手なんだが、彼の場合もそうなんじゃあないか。それならば、じきになんとも思わなくなるだろう。

 だが、そうだとしてもどうも心穏やかではない。男を好きになったとなれば、自分という存在の根幹に関わる。もしやそのケがあるのか?そうだとしたらえらいことだ。今後の人生はどうなる?

 当時私にはどうしようもなく好きな女の子がいた。Y子というその女の子は中学2年の時のクラスメイトだった。教室で初めて見た時に一目惚れして、なんだかんだで1年間はなかなか良い雰囲気で楽しく過ごしていたが、結局告白などはできず、3年になってクラスが別になってしまった。私の進学先の高校は第一志望でも滑り止めでも、いずれにしても男子校であることが決まっていたから(結局滑り止め行きとなった)、彼女とは高校が一緒になることはあり得なかった。このまま終わってしまってはどうにも心残りなので、卒業までにはなんとか手を打っておきたいと年賀状などで探りを入れておいた矢先、3学期が始まったばかり日の朝、教室の前で待っていた彼女から手紙を渡された。

(もしや告白か!)

 と、心臓を高鳴らせながら便所でこっそり読んでみれば、

「転校します」

 という内容だった。それも明日だと書いてある。行き先は東京だという。大ショックだった。なんじゃそりゃ、と思った。クラスが別だったので当日は彼女を見送ることもできず、結局手紙を渡された時に会ったのが最後になった。彼女がいなくなった後、気が抜けて教室でボーッとしているところへ、彼女の親友が「Y子から預かった」と言って小さな手紙と棒キャンディーを持ってきた。その手紙には、

「まずくても全部食べること」

 と書いてあったので、家へ帰ってからため息をつきながら全部舐めた。最初の手紙に、自分も書くから手紙をちょうだいと書いてあったので、それから何年間か文通をした。

 すなわちである。高校時代、私はその彼女に熱い想いを持って操を立てていたのだ。実際には操を立てると息巻くほどになにか他から誘惑があったわけでもないが、ともかくそんな私がよりによって何故に男にときめいているのか。私は自分自身に対して不安を抱いた。私は世の中のゲイとか同性愛者に偏見を持つつもりはなく、そういうものは、多くの人々が普通に異性が好きなように、本人の意思とは関係なく自然に備わったものなのだと思っているが、ただ自分がそうかもしれないなんてことになると、善し悪しは別にして、やはり心穏やかではいられない。

 私がどうやら少し惚れたらしいこのMというクラスメイトは、華奢で色白で、大人しく楚々とした感じのあまり目立たないタイプの男だった。私が彼を気にし出した時点ではおそらくひと言も言葉を交わしたことはない。そもそも何がきっかけということもなく、なんとなく気になる存在になった。自分にとって救いだったのは、このMが全く男男していなかったことで、もしも彼が毛むくじゃらの筋骨隆々野郎だったとしたら、私も己の性癖を受け入れる覚悟を決めなければならないところだったろう。要するに私はMの“女の子のようにかわいい”という点を好きになったわけであって、私が本当に好きなのはあくまでも女の子なのだということである。彼は女の子の代用品に過ぎないのだ。

 とはいえども、男を好きになったことに変わりはない。男などに恋はしたくないが、事実は事実。燃え上がるほどの気持ちは持っていないにしても、気になっていることは確かだ。もちろん彼に対して何もするつもりはないし、しないからといって苦しいということもない。実際、何かしたところを想像すれば充分におぞましく、そこら辺は積極的にご免被るという感覚をしっかり持っていた。結局はその程度なのだが、それでも、そんな気持ちを持っていることにモヤモヤがあった。

 高校の修学旅行は2年生の時だった。私はMとは全くつき合いがないので、当然グループは別で部屋割りなども違っていた。仲のいい連中と大部屋で寝ていたある日の晩、寝られない3、4人でなんとなく恋話をしていた。そうした話の流れの中で、私はついついMのことを話してしまった。すなわち、カミング・アウトしたのである。私としては1人でそういう問題を抱え込んでいることに少し参っていたのかも知れない。

「ほんとに、別にそんなにたいしたもんじゃないんだけど、なんだかちょっとMのことが気になっちゃうんだよね。やばいかな?」

 するとどうだろう。親しい友人のKが、パッと表情を輝かしてこう言ったのだ。

「そうそう!なんかMってかわいいよなあ!僕も気になっちゃうんだよ」

 ああ、自分だけではなかった、男というもの、たまにはこんなこともあるのだ、と深く安堵した瞬間だった。持つべきものは友だと思った。

 その後、Mに対する気持ちは膨らむこともなく、クラスが別になってすっかり忘れてしまったようだった。高校卒業後、男女の存在する世界に解放されてからは、女性以外を好きになったことはない。もちろん今の妻はれっきとした女性だし、ついでに言うと、友人のKもちゃんと結婚を果たした。実はその相手はタイ人である。タイはニューハーフが綺麗なことで有名だが、見たところ、彼の奥さんはたぶん普通の(気の強い)女性である。

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