うんち君のこぼればなし
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川の流れのように

 建築設計の仕事をしていると、ちょっとトイレに詳しくなる。TOTOやINAXのカタログを見る機会が多いからだ。最近の大便器は専ら洋式ばかりであるが、その中でも現在の主流は、なみなみと水の溜まったタイプである。だが、あれは本当のところどうなのだろう。果たしてそんなに良いものなのだろうか。

 常に水が満ちているので、汚れが付きにくい、臭いが出にくいという利点があるとメーカーは説明する。確かに乾燥状態にならないので、こびりついたものが“カピカピ”になって取れにくいということはないだろうし、大気中に解き放たれたものが一瞬の後には水没するので、臭いを発散する程度も僅かかも知れない。しかしながら、この便器には明らかにデメリットも多いのである。

 一つは小用のときの音だ。あまりにも大きな音がたちすぎる。最近の我が事務所の社長は少しトボケてきたのか、会社と家の区別に無頓着になっているようで、客がいないときには、時々トイレの戸を開けたまま小用を足すようになってきた。ジョボジョボジョボジョボと、あまり楽しくない音が響いてくる。あのジョボジョボ音は、特に女性が用を足すときにはとても抵抗があるものだと思うのだが、どうなのだろう。

 それから、大きい方の場合。とにかく水面が近いのである。長物をゆっくりそっと滑り込ませることができれば良いけれど、やや細切れで、高いところから何度も落下するようなことになれば、それこそボッチャンボッチャンと水のはね返りが激しい。1回目はまだ良いとしても、2回目以降にもなれば、水も綺麗なままではいないのだ。そんな水を何度も臀部に浴びせかけておいて、果たして清潔な便器だといつまでもメーカーは言っていられるのか。「大きな用を足す度、おしり全般を拭かなければならない」と、お嘆きの使用者も少なくないに違いない。便器ばかりを抗菌にしていても意味はないのである。更なる進化した便器の開発へ、今後のメーカーの努力を望む。

 さて、今でこそ水洗はあたりまえになって、色々贅沢を言っているが、私が子供の頃にはまだまだ汲み取り式の便所が多かったものである。私の家のトイレも本当に純粋な汲み取り式で、和式の便器に穴がポッカリと空いているだけの、それはシンプルな構造だった。あんな不潔な空間が家の中にあることなど、今では全く考えられないが、その時はあれが当然の臭いであって、大量の蛆や蠅の存在にもたいした抵抗はなかった。子供なら落ちてしまうような大きさの穴から、汚物のプールが見えて、その水面ならぬ便面までの距離も当時は随分と高く思えて、落ちたら死ぬのではないかというおそれを抱いていたことを憶えている。しかし、子供心にとってあの汲み取り式の便所が本当に恐ろしいわけは、いわゆる、便所から青白い手がニョキッと出てきて我々を便槽に引きずり込むという、例のお化け話であった。だから、もちろん夜のうんこなど1人で出来るわけもなく、必ず誰かしらを戸の外に立たせていたものである。そして、いつの間にかいなくなっていないか、時々確認のために声をかけるのだが、返事が聞こえなかったり、なんとなく遠くから声がしてくるとたまらなく不安になって、必死に近くに呼び寄せようと騒いだ。

 あるとき、どういうわけか夜中にうんこがしたくなって、兄を起こそうとしたが、熟睡中だった兄はとてもじゃないが起きてくれない。

「お願い、たのむう〜、もれる〜、でも恐い〜」

 だが、哀願する私を無視して兄は寝続けた。「1人で行け」と冷たくあしらったのである。

 限界が近づくまで私も食いさがったが、結局無駄であった。半泣きになりながら私が騒いでいると、下階から祖母が声を掛けてきて、一緒に付いてきてくれた。子供にとって夜の汲み取り式便所は、漏らすことより恐ろしいのである。

 そんな汲み取り式便所も、昼間バキュームカーが汲み取りに来るときはとても楽しい。バキュームカーが来ると私はそっと便所に入り、汚物が吸い取られていく様を興味深く眺めていた。汲み取り口の蓋が開けられると、暗かった便槽に日光が差し込み、いつもとは違った光景を目にすることが出来た。決して美しいものではないが、何か凄い物を見ているようで、とてもワクワクしたものである。

 さて、私が5年生になった時、家を新築して、トイレも新しくなった。便器は洋式だ。しかし、汲み取り式であることに変わりはない。ただし、今度の場合はただの汲み取り式ではなく、『無臭トイレ』であった。この、無臭トイレというのはなかなかの優れものである。ご存じない方のために解説しておこう。

 普通の汲み取り式と違って、物は便槽に直で落ちていくわけではない。便器の穴には穴と同じ程度の直径(30センチ程かと思う)の管が繋がっており、その管を通して汚物群は便槽に達する。この管の上部、便器の穴のすぐ下の部分に排気管がついており、それを通して悪臭は屋外へ排出される。田舎の住宅や過去の記憶の中で、トイレの外に煙突状の管が立ち上がっている光景を目にしたことがある方もいると思うが、あれが無臭トイレの排気管である。この排気管のおかげで、トイレ内は嘘のように臭くない。体内から大気中に解放された物は、一瞬にして穴の中へ落下していくので、その臭いがトイレ内に残ることはほとんどない。余計なガスを一緒に排出したり、よっぽどジワジワと排便したりしない限りは、確かにほぼ無臭と言えるかも知れない。

 また、このトイレのメリットはその他にもある。配管によって便槽に繋がっているために、汲み取り式でありながら、トイレを2階に設置することが出来るのだ。昔、私がバイオリンを習っていたころ、バイオリン教室のトイレがこの2階設置型の無臭トイレであった。深く真っ暗なその穴は、吸い込まれそうな不気味なムードをかもし出していた。そこで大きな物をした記憶はあまりないのだが、それこそヒューン、ドッカーン!という爆撃機気分を味わえそうなトイレだった。もちろん、3階以上であっても技術的には設置可能である。

 この無臭トイレには水を使う。まず最初にバケツで水を5杯ほど入れる。すると、管から便槽へ汚物がスムーズに入っていくという仕組みである。だが、事はそう簡単ではなく、なにかというとこの管が詰まる。その度、バケツで水を流し込んでやるのだが、なかなかうまく汚物群は進んで行かない。そんな状態でトイレを使い続けると、たちまちにして汚物群が迫り上がってくる。すぐ目の先にその最上部が見えると不安になってくる。バキュームカーが来るのは月に一度であり、その予定日までにまだ間があると気が気ではない。だが、そんなにいっぱいいっぱいな状態でも、決して臭いは上がってこないので、無臭トイレの性能はなかなかのものなのである。

 毎月のように心配ではありながらも、バケツで少しずつ水位ならぬ便位を下げながらだましだまし使って、結局はいつもなんとか無事汲み取り日を迎える。この無臭トイレ、汲み取りの時も少し大変である。汲み取りのおじさんが、外から「水入れてちょーだい!」と叫ぶと、家にいる私や祖母が風呂の残り湯をバケツで汲んでトイレに注ぐ。そうやって、管の中に詰まっていたものを便槽へ押し流すと、おじさん達が全てを綺麗に吸い取っていくのである。

 あるとき、私が水を汲もうとポリバケツの縁の部分を持つと、指先になにやらムニュッという感触があった。補強のための折り返しの溝の中に何かがあるようだ。

「はて、なんだろう?」と思ってバケツをひっくり返してみたら、ナメクジだった。

 そんな思い出も懐かしい無臭トイレである。

 私が中学校へ上がると、そこには特殊なトイレがあった。その校舎の教室配置は、建築用語でいうところの『バッテリー型』というタイプで、階段を中心として左右にひとつずつ教室があり、入口が向かい合っているものである。昔の団地にもよくあったプランだ。その階段の突き当たり、2教室間のホールに男女便所が並んでいた。

 ここのトイレは一応は水洗である。男子便所の小便器はごく普通の作りで、これははっきり水洗と言い切っても差し支えない。問題は大便器にある。いや、『大便器』と限定すると語弊がある。正確には大便器を含む水洗システム全体の構造がおかしい。以前にはこんな作りが当たり前だった時期があるのかも知れないが、私は今までの人生において、こんな便所を他に見たことがない。そもそもの設計思想がおかしいと疑わざるを得ない。

 大便器は和式のいわゆる『金隠し』であって、それ自体は水洗用のものではないと思われる。汲み取り式便所用のものとなんら変わるところがなく、ただ大きな穴が開いているだけの便器だ。穴の下50センチ程のところにはコンクリートの床があり、浅く溝が切られている。そのコンクリートの床はしゃがんだ前方から後方に向かって下り勾配となっている。つまり、排泄物は一端コンクリートの溝にビタンと落ちてから、水を流すことによってお尻の方向に流れていく。これがこの水洗システム一単位の構成である。これ自体にはさほどの問題はない。ただ、現代の水洗便所よりも開放的にできているという程度のものだ。

 では何が問題なのか。実はこのコンクリートの溝は、並んだ全ての大便器の下で繋がっている。いわば一本の小川のようなものなのである。古い公衆便所などに入れば、一本の溝を不特定多数の人々の小便が流れていくという、そんな単純な構造の『小便川システム』に時折出会う事もあるが、それを大便所にまで拡大したのがこの中学校のトイレの水洗システムなのである。そして男子便所はその川の最下流に位置している。上流の女子便所で放たれたものは下流にある便器の下を通過し、ときには下流のものを巻き込みながら下っていく。そして最後に男子便所にその勇姿を現して流れ去っていくのである。当然男子便所にしゃがんでいる者があれば、それを目にしないわけにはいかない(もちろん目線をはずしていれば見ることもないけれど)。

 なんというデリカシーの欠如か。現代で言えば、まさにセクハラ便所である。恐ろしいことに、変態の方であれば、男子便所から潜って女子便所の便器下まで行くことも可能なのだ。もちろん変態の方でなくとも技術的には不可能なわけではない。

 このトイレも、中学校の建て替えのために、つい先頃取り壊されたようである。

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