うんち君のこぼればなし
ホーム      前へ INDEXへ 次へ
大万引き事件

 近年、日本の少年犯罪が凶悪化していることが問題となっているが、確かに私が少年だった20〜30年前に比べると事件の質が変わってきていると思える。しかし、さほど凶悪でない少年犯罪は当時でもやっぱりそれなりに存在したのであって、特に私が高校3年生の時に起こった母校の大騒ぎは忘れることができない。

 きっかけは、2年生が起こした万引き事件だった。警察から学校へ連絡が来て、その生徒の事情聴取を学校側でも行ったらしい。その生徒がどういうつもりで口にしたのか知らないが、
「万引きをしているのは自分だけではない」
 というような証言があって、他の生徒の名前が何人か出てきたという。先生たちが新たにその生徒らを呼んで取り調べをしてみると、芋づる式にさらに多くの名前が挙がり始めた。その中には、
「3年生の先輩にやらされていた」
 とか、
「○○さんはもっとすごい」
 なんていう証言もあったりして、いよいよ事件の中心は我々3年生に移ってきた。

 確かにそういう連中が多くいることは、生徒たちの間では公然の秘密だった。自分のために好きでやってる奴らもいたし、イジメ的に脅されてやらされていた可哀想な生徒もいたらしい。万引き常習者の一部は、ただ趣味的、病的に万引きを繰り返すだけではなく、盗品を販売する、いわゆる『故買』を積極的に行っていた。連中は他の生徒たちから注文を取って、要望の品を万引きしてきては売っていた。真面目なのか真面目じゃないのかよく分からないが、中には大学受験用の参考書を注文する奴もいた。

 我が校はプロテスタント系のミッションスクールだったが(イエス・キリストがさぞかし嘆くだろう)、大胆にも朝の礼拝中に品物の受け渡しを行っている場面を私も目撃したことがある。さらにその品物たるや、実に高校生らしからぬ、タバコのカートンであったり、コンドームのパックだったりするのだ。そんな場面を目撃してしまったからには私もついに黙ってはおられず、礼拝中に立ち上がって、

「先生、今まさにこの場所で犯罪が行われています!」

 と、大声で叫んだのである。なんてことはあるはずもなく、
(しょうのねえ連中だなあ)
 と、やっぱり黙って眺めていた。

 各クラスからそれぞれ容疑者が引っぱられて行ったが、私のクラスからもまず1人の生徒が姿を消した。身に覚えのある連中は、その状況に蒼ざめ、
「次は自分か」
 と毎日が心穏やかでなかったようだ。
「おい、○○、来い」
 教室に入ってきた先生に声を掛けられると、彼らは観念した様子で素直に従って行き、そしてそのまま何週間も戻ってくることはなかった。そんなふうに、教室内の人数は日に日に減って行ったのである。先生たちもいつ果てるともわからない連日の取り調べに、肉体的、精神的疲労の色を濃くして行き、中には血尿を出して倒れる先生も出てきたという。

 我がクラスから最初に姿を消したIは相当の強者だったようで、調べても調べても湯水のように万引き履歴がわき出してきて、いつまでたっても取り調べが終わらなかったらしい。普段を見る限り、Iは特に問題を起こすタイプではなく、賢くは無かったが、明るく朗らかで、陰でそのような行動をとっているとは想像しにくい男だった。しかし、振り返ってみれば、私の下校途中に思わぬ店から姿を現した彼に出くわしたことが何度かあり、
(あいつの家は全く反対の方角のはずだけどなあ)
 と、訝しく思った記憶がある。結局それが日課の万引き行脚であったようだ。

 担任の先生が万引きの具体的な内容について、驚いたように話していたことがある。誰についての話なのかは定かでないが、話の流れからしておそらくIの話だろうと思われた。その生徒が万引きしたもののうちで最も高価なのは、革製のライダースーツだったそうで、十万円を超える商品だったという。ジャンバーなどはよく盗んでいたそうだが、そういうものは店内でそれを身に付けて、そのまま出て来てしまうらしい。大きい物ではラジカセなども盗んだというが、そんな物をどうやって万引きするのかと先生が訊いたところ、
「そういう物はかえって簡単なんですよ」
 と、ちょっと得意気に説明したらしい。曰く、
「堂々と持って出てくれば、まさか盗んだものとは思われない」
 だそうである。

 そこまでの強者はそうそういなかったものの、それでも調べれば調べるほど次から次へと万引き犯の名前が増えて行くので、さすがに学校側もいいかげんケリをつけなければいけないと思ったようである。時期的にはすでに秋を過ぎていたと思うが、3年生にとってはいよいよ受験も近づいてくる。そろそろ父母たちも騒ぎ始めているし、高校の評判にも影響が出始めているらしい。というわけで、全校生徒に自己申告書なるものが配られた。

「万引き、故買、これは売るほうも買うほうもな、それからタバコ、酒など、身に覚えのあることを全て書くように。本来なら程度によって停学の期間を決めるところだが、今回申告した者は1日の出校停止で済ます。ただし、嘘をついたり隠したりして後で発覚した場合は厳しく処分するからな、よく考えろよ」

 先生にそんな事を言われて、生徒たちは申告書を書き始めた。同じように万引きをしたのに、早いうちに捕まった連中は無期停学でいつまでも出てこれず、一方の今回申告した者たちは1日休むだけで済ますとは随分不公平な話だと思ったが、今ここにいる“身に覚えのある”連中がそんな文句を言うわけもなく、「ラッキー!」という思いでいたのは間違いない。

 さて、自己申告大会の結果がどうなったかと言えば、なんとも異様な光景となった。出校停止処分の当日、真面目な私が学校に行ってみれば、教室に現れたのはいつもの半分以下の人数であった。驚くほどの腐敗ぶりである。あまりに閑散としているので、先生が皆を前の席に詰めさせた。後ろ半分が空席となった教室でいつも通りの授業を行ったけれど、授業をする先生も授業を受ける生徒たちも、なんとなく身の入らない妙な1日だった。

 端的に言えば、我が母校は私立の滑り止め高校であった。ほとんどの生徒は第一志望の高校を落ちて、この高校に拾われたのである。第一志望の高校の学力レベルは三段階ぐらいあって、それぞれを落ちた生徒たちのレベル差も当然三段階程度はある。もちろん例外はあるが、学力レベルが下がる程、停学率が上がったことは傾向としておそらく間違いがない。高校全体のレベルとしてはそんなに低いほうではないし、仙台の私立高の中では一、二番を争う高校ではあったはずである。我が母校だけが特別に犯罪率が高い理由は見あたらない。このあたりまえの高校において半分の生徒が万引きなどに関わっているということは、少なくとも世の高校生のやはり半分以上は同じことをやっているに違いない、と嘆かわしく思ったものである。

 我が母校はミッションスクールであったが、ミッションスクールであるがゆえに入学したなどという生徒はほとんど存在しないし、在学中にキリスト教に感化される生徒もやはりほとんど皆無である。毎朝の礼拝で牧師の先生が出てくれば、生徒たちは一斉に、
「プシーーーーーッ!!」
 と、ブーイングならぬ激しいプシーイングを行う。説教(ガミガミ叱るということではなくて、礼拝で語るキリスト教の教え)などまともに聞いている生徒などいやしない。随分とひどい有り様だったが、それが実態であった。残念ながら、学校側の思惑に反して、キリスト教教育が生徒たちの道徳心や倫理観を高めることはほとんど無かった、と言いきってよい。

 まだ万引き騒動まっただ中のある朝、我がクラス担任のO先生が礼拝で説教を担当した。彼は人情派で熱血漢のすばらしい先生である。そのO先生が、自分の大学時代の話を始めた。それは今まで誰も知らなかったとても意外な内容だった。

 O先生はとても背が低い。あだ名はミクロマンだ。150センチぐらいだろうか。それゆえに特に若い頃には随分とコンプレックスを持っていたはずである。それが関係しているのかどうか話の中ではよく解らなかったが、とにかく彼は学生時代に随分と屈折していたらしい。表面的には明るく礼儀正しい青年として振る舞っていたけれど、実は陰では万引きの常習犯であったという。顔なじみでいつも良くしてもらっている店で、こっそり商品を盗んでいたのである。そんな店がいくつもあり、またその期間も何年かに及んだという。だが、キリスト教に帰依したのをきっかけにそれまでの自分を猛省し、今まで万引きをしてきた店全てを懺悔してまわったそうである。そんな話を全校生徒の前でした。

 O先生の中にはそういう過去があり、今同じ境遇に陥っている生徒たちもきっと分かってくれるだろうという強い思いがあったはずである。我がクラス一どころか、おそらく全校一の強者であったIにも、熱い思いを必死に伝えようとした。実はIも背はかなり低く、若いのに白髪が多い縮れ頭だった。彼の行動にもその辺のことが影響していたかも知れない。

「もうそれで全部だな、もう本当に他にはないんだな」
 そう問いかけるO先生に向かって、
「もうありません、先生。それで全部です。もう隠してません」
 と、Iは涙ながらに答えたそうである。
「自分の思いをあいつもやっと理解してくれた、俺はあいつを信じる」
 O先生が嬉しそうにそう話していたのを覚えている。

 だが、反省し、全てを白状したとは言えども、Iの罪状は生やさしいものではなかった。他の生徒たちの停学が次々と解かれて行っても、Iだけはいつまでも学校に復帰できなかった。そして、卒業ギリギリという限度までの停学期間を終えてようやく教室に姿を現した時、奴はなんの悪びれた様子もなく笑顔でこう言い放ったのである。

「俺、まだ三分の一も白状してないよ」

 嗚呼、O先生の熱い想いは無惨にも踏みにじられたのだ。その言葉を耳にした瞬間、私の頭にはカーッと血がのぼった。

「ふざけるな!バカヤロー!」

 気がつけば、モーレツパンチをIの左頬にたたき込んでいたのである。

 なんてことが、やっぱりあるわけはない。私がIを殴ったというのは嘘だが、Iが笑いながら言った言葉は本当である。その後、アンニャローがどうなったかなんてことは全く知らない。

ホーム      前へ INDEXへ 次へ