うんち君のこぼればなし
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交通安全講習

 私の出身高校は男子校だった。現在は共学になっているのがとても羨ましい。しかし、男子校は男子校でまた気楽で良いところも多い。ただ、女子がいないからといって、K原君のように不潔であってはいけない。

 K原は先頃、南極地域観測隊員としてしばらく南極に単身赴任していたという科学者である。実際はまだ科学者のヒナぐらいなのかもしれないが、概ね科学者の類である。彼は高校時代から勤勉だった。受験を控えた時期になると、まわりにいるデタラメな連中の目も気にせず、1人早出して教室で自習し、また、騒がしい休み時間の中でも1人黙々と勉強をしていた。私もその姿に勇気をもらい、休み時間に勉強を始めた思い出がある。おかげで大学に入れたようなものなので、彼は私の恩人である。しかし、彼はいわゆるガリ勉ではない。スポーツも得意だし、UFOマニアでもある。実は、科学的な立場からUFOのことを探っていきたいという想いを持って現在の道に進んだ男なのである。

「こういう不純な動機でこの世界に入ってきた人って、まわりにはあんまりいないみたいだ」
 と彼は言っていたが、まあそれはそうだろう。しかし、私は彼の生き方を賞賛している。

 さて、K原の普段は特に不潔ではない。さっぱりとしている。だから、あの時の出来事はちょっとした間違いではある。ウッカリというやつだった。

 高校3年の夏休みを過ぎて、2学期最初の体育の授業。その前の休み時間に皆が教室でジャージに着替え始めると、一画で大声がわき起こった。

「クッセェーッ!」

 絶叫である。そしてすぐに、K原のまわりでクセェクセェの大合唱が始まった。どうやら、ニオイの元は彼のジャージらしい。当のK原は苦笑いの表情を浮かべている。実はK原、夏休み前の授業で着たジャージをそのままロッカーに入れっぱなしにしていたのである。一月以上もの間、日の当たらない蒸し暑いロッカーの中で熟成された汗漬けのジャージ。いったいどれほどのニオイであることか。目にしみるニオイである。梅干しを何個も頬ばったような表情になるぐらい酸っぱいニオイである。まわりの連中は一定の距離以上近づくことさえできない。しかし、K原が凄いのはここからだった。彼は爆臭をものともせず、そのジャージを着て体育館へと向かったのだ。男である。

 授業が始まると、いつものように我々は整列した。だが、ちょっといつもと違う。列が乱れている。K原の周りだけ斥力が働いたように間隔が極端に広い。体育教師がきちんと整列するように言うと、「無理です!」という複数の声があがった。ここへきてK原は皆の非難をいっせいに浴びせられ、ついにこう叫んだ。

「わかったよ、脱ぐよ、脱ぐよ」

 こうして彼はTシャツ姿で体育の授業を受けた。

 と、ここまでは全て余談である。タイトルの『交通安全講習』とは別に関係がない。ただ、同じ我が母校での思い出なので、ついでに書いてみただけの話である。

 さて、本題に入ろう。我が母校は原付バイクでの通学を許可していた。高校生のバイク乗車、免許取得を全面的に禁止しようという風潮の中、交通ルールをしっかりと学ばせ、社会の一員としての責任感、自己管理能力を身に付けさせる機会としてバイク通学をとらえるという、とてもプログレッシブ(進歩的)な学校だったのである。私も2年生のときから黄色いスズキ・ハスラー(TS-50)にて通学した。バイク通学者は特に、出張白バイ警官隊によるバイクの実技講習会に参加しなければならないが、それとは別に全校生徒を対象とした交通安全講習会も毎年行われていた。

 私が高校1年生のときの初めての講習会。体育館に全校生徒が集められ、まず地元警察の方が簡単な話をする。その後、よくある講習用のビデオを見せられるのだが、これが馬鹿らしくて見ていられない代物だった。

 まず、実際に起きた事故の状況を俳優やスタントマンを使ったドラマで再現する。バイクが多少コケたりはするが、総じて迫力に欠ける再現シーンである。解説によればほとんどが死亡事故なのだが、とても重大事故には見えない。この再現ドラマのあと、アニメなどを駆使しながら事故の原因を探る。どこがいけなかったのか、加害者、被害者双方の立場から検証する。そしてその検証結果を受けて、今度は正しい方法でやり直すのである。

「さあ、それでは今度は正しい方法でやり直してみましょう」

 明るいナレーションに従い、加害者と生き返った被害者が再び事故現場へ向かう。今度は交通ルールに従い、安全確認を十分にして、何事もなく現場を通り過ぎてゆく。ナレーションはあくまで明るく、子供達に言い聞かせるようにゆっくり丁寧である。BGMもやけにハッピーだ。高校生をなめるのもいい加減にしろ、というのが皆の感想だった。これはどう見ても小学生向けに作られたものである。あまりにも退屈な時間だった。

 そして翌年の講習会を迎えた。前年のビデオが高校生向きではなかったということは、さすがに学校側も警察側も認識していたらしい。担当の教師が警察にこう要望した。
「去年のはちょっと子供向けという感じでしたから、今年はもう少し迫力のあるものはないでしょうかね」
 すると、警察の担当者がうれしそうに言ったそうである。
「それなら、ちょうどいいのがあるんですよ」

 体育館に全校生徒が集められ、再び講習会が始まった。警察の方の短い講演の後、引き続きビデオの上映に移った。
(またあのくだらないものを見せられるのか)
 2,3年生はみんなそう思っていたはずである。

 事故のケースを再現ドラマで見せるという点は前年と変わらなかった。しかも今回は死亡事故ではない。更にトーン・ダウンかと思ったら、そこから先が違っていた。その先は実際の映像に切り替わったのである。

 負傷者が病院に運び込まれる。その負傷者は頭から出血していた。看護婦が髪の毛を剃ると、頭蓋骨が露出するほどに頭皮がえぐられている。ぼかしもモザイクもなく、大画面にてこれでもかの大アップである。
「痛いけど我慢してね」
 そんな言葉をかけながら医師が処置を施していく。患者は痛がって呻き声を上げたかも知れないが、はっきりとはわからない。それ以上に激しい呻き声が体育館じゅうを覆っていたからである。

 次のケースはそれほど大きな怪我ではない。男性が、スタンドを上げ忘れた小型バイクでカーブを曲がろうとしたところ、スタンドが路面に接触して転倒。サンダル履きで乗っていたのが災いして、露出していた足の甲に怪我を負った。肉をえぐられてしまったのである。医師が患部を触診する。足の甲にあいた穴から指を突っ込み、傷口の中をまさぐる。甲の中に入れられた医師の指が、裏側から皮膚を持ち上げるようにして動めく。その痛々しさたるや正視に耐えない。
「うわぁーっ!」
「うぅー」
 そこにいるほとんど全ての生徒が声を上げて身をよじらせていた。

 続いてのケース。事故にあった男性は、大腿骨を骨折した。医師は男性の太股をメスで縦にバックリ切り開く。おびただしい血が流れる。二つに折れた白い大腿骨が露出した。大腿骨に穴をあけ、金属の板でつなぐ。そして、直径1センチほどもあろうかという金属棒で、横断するように太股を串刺しにすると、その金属棒に重りを付けて引っ張り、固定する。

 血みどろシーンのオンパレードである。生きた人間の生々しい傷口を虐めまくるような真っ赤な画像をスクリーンいっぱいに見せつけられた我々の口からはうめき声の大合唱、そして最後には、
「もうやめろーっ!」
「やめてくれえーっ!」
 という悲痛な叫び声があがった。

 私はうめきながら、意地でも全部見てやろうと思った。しかし、表情は泣き顔に近い。周りの連中はどうかと言えば、ほとんどの生徒が目をそむけている。まともに見ている人間は皆無に近かった。その中でふと隣を見ると、極め付きの小心者であるはずのS木が体育座りのまま画面をしっかりと見据えているではないか。このS木、以前は直毛だったが、中学時代に友達に無理矢理正露丸を頭にすり込まれて以来、すっかり天然パーマになってしまったと主張する男で、鼻血を出しただけでうろたえて大騒ぎをするような、要するに“しっかりしている”とか“男らしい”とか“堂々としている”とか“落ち着きがある”とか“説得力がある”とか“かっこいい”とか“友達思い”とかいう形容詞がことごとく当てはまらない奴なのである。そのS木が、どういうわけか顎を上げ、微動だにせず、スクリーンの中心に全神経を集中しているのだ。
(おお、こいつは意外とすごいやつだったのだ!)
 私は心底感心した。

「おまえ、すごいな」

 そう声をかけようとS木の顔を覗き込むと、そこにはこれ以上ないというほどの猛烈な圧力でぎゅうっと閉じられた瞼があった。

 講習会が終わり、生徒達はグッタリとした姿で教室へ戻った。これほどまでにショッキングな内容のビデオであることは、担当の教師も見るまで知らなかったという話である。しかし、効果は絶大だった。絶対にあんな怪我はしたくないと強く思った私は、本気でバイク通学をやめようかと悩んだほどである。結局バイク通学は続けたが、しばらくの間は全身全霊をかたむけて安全運転を実践した。

 翌年の講習会については全く何の記憶もない。おそらく無難な内容のビデオであった事は間違いないだろうが、前年のビデオの刺激が強烈過ぎたために、ひとかけらの印象さえ残っていない。

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