うんち君のこぼればなし
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井戸掘り・混浴・巨大鹿

 もう十五年ぐらい前のことだ。当時勤めていた会社を辞めたくて、次の道を模索していた頃、北海道のとある設計事務所に一週間近く滞在していた事がある。

 建築業界の人なら知っている方も多いと思うが、元々は東京にあった事務所で、土着的かつ前衛的な設計で一頃はかなり有名な存在になった。名前を仮に『某設計集団』としよう(バレバレ)。そこの事務所を引っぱってきた代表の人が亡くなって、正直仕事がパッとしなくなってしまったらしい。事務所の家賃を払うのもままならなくなったので、北海道は帯広の隣町にある、廃校となった小学校の建物に移ったという話だったと記憶している。その時に一緒に行かずに東京に残った人達もいて、実はその後、私が就職を内定していたのに直前になって突然取り消されたのは、そういう経歴の人の事務所だった(そして私はイタリア失業旅行へ旅立った)。

 私は、そこの事務所の作風に興味があったから、あわよくば就職しちゃおうかというつもりで長い手紙を書いたのだが、呼ばれたのはワークショップというやつで、結局は井戸掘りのタダ働きだった。九月のことだったと思う。私は遅い夏休みをとって、そこを訪れた。

 某設計集団といつもパートナーを組んでいた某ランドスケープという造園設計事務所も共にこの小学校へやって来ていたのだが、この時のワークショップはむしろこの事務所が中心となったプロジェクトであって、建築とはほとんど関係がない土木工事のようなものだった。彼らは夏休み期間に全国からワークショップの参加者を募り、近くの神社の境内にモニュメント的な井戸を作ろうという計画を進めた。結局夏休み中には出来上がらなかったので、その後は事務所の人間と、私のような外部の参加者少々で細々と作業を続けていたようである。私が参加したのはちょうど完成間近の時だったから、結局竣工に立ちあう事ができたという点では良かったのだが、あそこはおよそ私のような人間にとって居心地のいい場所ではなかった。

 実はそれより二年前、会社の同僚Sた君(『T橋君』に出演済み)と共に北海道旅行をした時に(この時の写真を元に『出不精が行く!!』の扉絵を描いた)、この二つの事務所が入っている元小学校を訪れていた。その時は、私がこの事務所へ少なからず興味を持っているということをSた君には話してあって、どんなところなのか外からだけでも眺めてみようというつもりだった。その場所は予想していたよりはるかにド田舎で、周りには見渡す限り畑しかない。

「こりゃあ、ないな」

 と、Sた君は私がここへ来るだろう未来を否定した。私も同感だった。あまりにも別世界過ぎて、私にはとても暮らせそうにない、という思いだった。しかし、その後いろいろと考えているうちに、再びこの事務所の事が頭に浮かんできて、入れるものなら入ってしまおうか、という気持ちになっていたのである。

 だが、やはり無理だった。帯広空港から三十分ぐらい(多分そのぐらいだったと思うがよく覚えていない)かけてタクシーで到着してみたところ、その相変わらずのド田舎ぶりに一気に気分が萎えた。私をたまたま最初に迎えてくれた事務所の青年は、

「東京からきたんですか。ああ、東京に帰りたいなあ。飲みに行きたいなあ」

 と、さんざんにぼやきまくっていた。彼は早速井戸掘りの現場ヘ車で連れて行ってくれた。事務所から近いとはいえども、歩いたら何十分かはかかる距離で、ここではとにかく車が無ければどうにもならないのだ。

 井戸は既にほとんど掘り終わっていて、底にはちゃんと水が溜まっていた。井戸は渦巻き状に掘られた窪地の真ん中にあって、残りの作業はその渦巻きのアプローチをきれいに掘り整えて、石垣を積む事だった。私は早速スコップを持ち、土を掘り始めた。そもそも私は土方のような肉体労働をした事がない。とはいえ、腹は弱くても、肉体的にはひ弱というわけでもないので、それなりにちゃんと働いたと思う。二日後ぐらいにはトラックに乗って、最寄りの砕石場に行き、そこで石積みにちょうどいい石をトラック一山分もらってきた。その後は延々石積みである。毎日毎日力仕事なので、仕事終わりの銭湯で自分の体を見たら、筋骨たくましくてなかなかに感動的だった。

 この浮世離れした人達の生活は、とにかく金がかからない。事務所の家賃はタダ。毎日昼食と夕食は当番制で自炊するのだが、その材料のほとんどは近所の農家を回って貰ってくる。石積みの石もタダでもらってきたし、彼らが共同で住んでいる家も、近くの空き家になった農家を多分タダか気持ち程度の額で借りていたと思う。事務所には、社員でもない居候みたいな人達が何人もいて、ガソリン代だけをもらって、あとはバイトで生活費を稼ぐというのが基本だった。社員なんて採用する気はないらしいから、もしも私がここへ来るとしたら、そういう半端な立場ということになる。むろん、そんな生活をする為にこんなへんぴなところへ引っ越してくるわけにはいかない。結婚だって控えていたのだ。はっきり言ってしまえば、すでにこの事務所は落ちぶれていた。その事実を知った以上、もはやここにいる必要もなかったのだが、行きがかり上、予定の一週間は滞在する事にした。

 しかし、毎日が憂鬱だった。今後の何かの役に立つ仕事ならまだしも、ここで一週間、土方のようなタダ仕事をしてなんになるのか?ここにいる人達が楽し気ならばまだいいが、この廃校の小学校に漂よっている雰囲気はどう見ても『倦怠』なのだ。彼らの日常は、一年中が合宿状態と言っていい。かなりの人が、この生活に嫌気を感じているのではないかと私は思った。私は一時的な客だから若干違うのかも知れないが、他の人達も基本的には変わらない生活をしていたと思うので、私の一日を紹介してみる。

 まず、朝は七時半ぐらいに起きる。私の泊まっていた家には、社員(社員といっても、あの両事務所に正社員という立場の人がいたのかよくわからない)が一人ぐらいと、私のような外部の社会人、学生が四、五人いた。みんなが井戸掘りのメンバーだったので、そろって用意をして、他の家に泊まっているメンバーと共に車で出発する。途中、朝からやっている万屋のような小さな店で、朝食用のパンを買う。パンは菓子パンだが、その他には朝食代わりになるようなものは一切売っていないので仕方なかった。それを車中で食いながら、まずは事務所のある学校へと向かう。ここで作業道具などを積んで現場へ向かい、八時過ぎには仕事が始まる。掘って、積んで、掘って、積んで。昼になると学校へ皆で戻る。昼食のためだ。その日の食事当番数人が、皆の食事を作る。食事ができると、それを体育館に運ぶ。

「できたよー」

 という声で、全員が体育館にゾロゾロと集まり、床に座って食事をする。全部で三十人以上はいたと思う。体育館全体になんともいえない気だるさが漂う。

「○○は?」
「さあ、まだ寝てんじゃないですか?」

 なんて会話が当たり前に交わされるが、ここでは勤務時間もそれぞれの勝手気ままらしい。食事が終わると、それぞれがその辺で寝ころんだり散歩に出て行ったりする。私より一、二日早くここへ来て、やはり井戸掘りをしていた同い年のMさんという人がいたが、彼も新しい職場を探りに来たものの、結局この事務所ではあり得ないなあ、という結論がさっさと見えてしまっていた。同じような境遇で、またお互い内向的な性格ということで、彼とは最も親しくなったが、この昼食後の暇な時間には、体育倉庫に置きっぱなしになっていたラケットを持ち出して、二人でバドミントンをして遊んだりした。

 午後になれば再び車で現場へ向かう。何かの拍子で置き去りにされたりすると、誰かに頼んで車で送ってもらわなくてはいけない。夕方五時ぐらいまで働いて、皆そろって銭湯へ行く。何キロぐらいあるのかわからないが、とにかく車がないととてもじゃないが行ってられないぐらいは遠い。そこで体の泥を落とし、また皆で学校へ戻る。今度は夕食のためだ。やはり当番数人が皆の分の夕食を作り、体育館の床で食べる。夕食を終えてしばらくすると、近所の農家から何人かが体育館に集まってくる。週に何日かはバレーボールをする日になっているのだ。地元の人達と事務所の交流の場なのである。そういえば、昼間は校庭で御老人方がゲートボールをやっていたが、こちらには事務所の人間は参加していなかったように思う。バレーも適当に切り上げて、我々井戸掘り班は家に帰る。家に帰ったからといって、特にやる事もない。とにかくここにはな〜んにもないのだ。みんなでグダグダと酒を飲みながら喋っているぐらいしかない。

 退屈だったから、私は一人外へ出て、北海道の本当に真っ暗な夜道を一人で歩いてみようと思った。外へ出ると、確かに暗かったが、思ったほどではなかった。月が出ていたのかも知れない。ひんやりとした空気の中で、

(ああ、これからどうすればいいかなあ)

 などと思った。ついでに、

(UFO飛ばないかなあ)

 とも思った。さらには、

(あっちが大雪山方面かな。岳雄よ、ちょっとは近くにまで来たぞ)

 と、昔にこの北海道の山で亡くなった友達のことを思ったりした。

 こうして、一日が終わる。私がこの土地へ来て強く感じたのは、これほどのド田舎にいると、まるで世間から取り残されているような気になる、ということだった。とても強い焦燥感に駆られてしまう。そんな風に思う事こそが健全な精神ではない証拠なのかも知れないが、でも私にはそう感じられて仕方なかったのだ。だから私は、絶対にこんなところに来るわけには行かない、と思った。

 私の滞在中、NHKが取材に来た。有名な建築家や事務所の紹介をする番組だった。井戸掘り作業も撮影していたが、オンエアで映った私の姿は遠景での後ろ姿のみであった。ちょっとした演奏会のようなイベントもあった。地域住民が集まって、クラシックのミニコンサートのようなものを観賞した(たぶんクラシックだったような気がするが、あんまり興味が無くてよく覚えていない)。その建物はいわゆるサイロだったものを、この某設計集団がやはりワークショップで改装したものだと聞いた気がしないでもないが、これもまた極めて曖昧な記憶でしかない。その演奏会の後に、またこれも手作りの素焼き窯で、ナンを焼き、ボリュームたっぷりのシシカバブをみんなで食べたのが、非常に美味しかった。あれだけは、いいなあと思った記憶である。

 さて、ついに井戸も完成し、明日はお披露目式という晩、

「露天風呂いかない?」

 と、誰かに誘われた。ここの人達が時々気の向いた時に出かける温泉だそうだ。私は一緒に行くことにした。二台の車に分乗して、男女合わせて十人ぐらいで出発した。一時間ぐらいは走っただろうか。かなり山のほうまで行ったように思うが、場所を知っておこうという気もなかったから、そこがどこだったのか、今となってもまるでわからない。とにかく、着いた温泉は川のほとりにある直径10m弱ぐらいの露天風呂だった。裸電球の灯った脱衣所まで来て、そこが混浴だという話を初めて聞かされた。女性は三人か四人いたと思う。みな若い女性だ。まあ、私以外の人達は最初から分かって来ているので、別に気にする事もないのだろうが、でも私としては初めての混浴体験だから、多少戸惑った。

「男はみんなあっち向いてろ」

 という誰かの指示で、女性達は男の背後で服を脱ぎ、バスタオルを体に巻いた。男連中も腰にちゃんとタオルを巻いた。お湯の色は忘れたが、濁り湯だった。女性達はみな、タオルをお湯に浸けないようにジワリジワリと上にずらしながら湯に沈んだ。一人、私の相手も良くしてくれた、明るくて元気だが実に子供っぽい大学生がいて、彼は仲の良い女性のまん前に陣取って、その女性がバスタオルをずらして湯に浸かって行く様をじっくりと観察していた。そして、

「やった〜!オッパイ見えた〜!」

 と叫び声を上げたから、私は、

(アホか、このガキは)

 と思いつつ、その性格が多少羨ましくないこともなかった。

 さて、お湯は適温だったが、長湯は辛い。私は特に長く浸かるのが苦手なので、すぐに上半身を湯から出して涼むのだが、女性達はそうはいかない。じっと我慢し続けている。が、一人、全く我慢しない女の子がいた。

 この某設計集団の作る建物は、かなり変わったデザインで有名だったから、建築に芸術としての夢を求める若者たちが集まってきては、居候のようなことをしていたのだが、中には外国人もいて、そのうちの一人がこの露天風呂にも一緒に来ていた(でも、彼女はもしかするとランドスケープの方の人だったかもしれない)。彼女は当時二十歳ぐらいのフランス人で、なかなかかわいらしい顔をしていた。体つきはグラマーというより、それをいくらか越えているボリュームだったが、中世のヨーロッパ絵画に描かれる美女の体形に近いかもしれなかった。カトリーヌちゃんだったか、セリーヌちゃんだったか、名前はよく覚えていないが、とても大人しい娘で、結局私は一言も言葉を交わさなかったけれど、その普段の様子とは裏腹に彼女は極めて大胆な行動をとった。

 彼女は周りの男どもの視線などを全く気にする事もなく、その裸体のどこをも隠さずに湯を上がり、すぐ横の床の上に座って涼み始めたのだ。彼女があまりに平気な顔で当たり前に行動したものだから、私も思わず自然にその様子を眺め続けてしまった。

(あ、いかんいかん)

 と、すぐ視線をそらしたが、さすがラテン系の文化は開放的なのかなあ、と感心した。なんにしても、思いがけず得をした気分ではあった。

 さて、帰り道は二台の車のうち先行車の後部座席に座った。カトリーヌちゃん(仮名)が隣で私の肩にもたれかかってスヤスヤと寝ているから、

(なんとも警戒心がないというか、子供みたいな娘だなあ)

と多少落ち着かない。まあ、悪い気分じゃあないけど。

 道はきれいに舗装された広い道だが、なんたって北海道の峠道なので、本当に真っ暗なのだ。そこをヘッドライトの明かりのみを頼りに走っていると、さすがに面白くもないから私も眠くなった。知らぬ間に寝てしまった私の耳に、突然大きな声が飛び込んできた。

「気をつけろ!ぶつけるなよ!」

 助手席に座っていた某ランドスケープの井戸掘り班長の声だ。それと同時に、車は急ブレーキをかけた。

「ん、なんだ?」

 と、目を開けた私の視界に飛び込んできたのは、車の直前に現れた巨大なエゾシカだった。一メートルもあろうかという立派な角を持った牡鹿で、体の大きさは馬ほどもあるように見えた。左側の斜面から降りてきて、道路を横切ろうとしたところ、車に遭遇して右往左往していた。車はあと二、三十センチというギリギリのところでなんとか止まる事ができて、鹿は右の斜面へと下って行った。

「いやあ、危なかったなあ」

 と、安堵していたその時、後方から車の急ブレーキ音が聞こえてきた。

「あ、危ねっ!」

 後続の車は止まり切れずに、我々の車に追突した。

「そう来たか」

 幸い、停止寸前だったので衝撃は軽く、誰も怪我を負う事もなかったが、お互いのバンパーはへこんでしまった。後続の車からは鹿が出た事などわかるはずもなく、突然目の前に停止した車が現れて対応し切れなかった。

 それにしても、北海道はやっぱりでっかいどうだ。土地は広いし、鹿もでかい。エゾシカがあんなにばかでかいとは思わなかった。軽い事故にはなったが、あの鹿との遭遇はこの一週間で最大の感動であった。次が混浴、その次が井戸掘りってところか。

 翌日は、地元の近所の人達も集まって、神社で相撲大会などもあり、私の滞在最後の日としては、賑やかで良かったと思う(まあ、そういうイベントがそもそも好きじゃないんだけど)。最後の晩、皆で帯広に飲みに行って、翌朝には飛行機で帰途についた。我が人生における、妙な思い出の一週間だった。

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