うんち君のこぼればなし
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建築の話

 私は早くこの世界から足を洗いたいと思っている建築士である。ちなみに『建築士』というのは職業を表す言葉ではなく、弁護士や税理士などと同様、資格の名称であるから、建築士であるからといって必ずしも建築の仕事をしているというわけではないし、建築の仕事をしていたとしても設計の仕事をしているとは限らない。一般社会では建築設計の仕事をする人間のことを『設計士』と呼んでいるようだが、業界内ではそんな呼称を耳にしたことはない。一般の方にも馴染みのある言葉に『建築家』というものがあるが、これは普通、独立した設計事務所のトップの人間のことをさすから、私のように独立していない雇われの身では、
「職業は建築家です」
 と言ってはいけない。よって、確かに私の職業を表す言葉としては『設計士』と言うしかないのかも知れないが、自分では気持ち悪くて「設計士です」なんてことを言う気にはなれない。現場においては建築家は「先生」と呼ばれる事が多く、ついでに私のような者まで「先生」と言われて、「なに、私の事?」なんて戸惑うことになる場合もあるのだが、実は陰の方では親しみはあるが尊敬はない表現で「設計屋さん」と呼ばれていたりする。

 建築業界に馴染みのない方々には、建築家とか設計士とかいった人間がどういう位置づけにあるのかよくわからないようであるから、おおまかに説明しておこう。

 建築に携わる者には大きく2つの立場がある。設計者と施工者である。設計者はもちろん建物を設計する立場であるが、細かく見れば色々と専門が別れている。一方の施工者は、実際に現場を取り仕切るゼネコンや工務店といった契約上の元請け業者の下に実際に作業を行う職人や業者が下請けとして入る。その他、建物の材料を作るメーカーとか、建設機械を扱うメーカーとか、建築資材を運ぶ運送屋さんとか、現場の警備にあたる警備会社とか、直接的には施工者とは言えないかも知れないが、現場サイドとして関わってくる業種は実に多様である。

 一般の方が普通に家を建てようという時には、大工さんとかハウスメーカーに設計から施工まで任せてしまうことが多いから、設計というのは施工のおまけみたいなものというような誤解と軽視が少なくないようであるが、そもそも設計者は独立した立場である。建てたい建物があってそれをどういった建物にするのか、建て主はまず設計者にその建物の設計を依頼する。設計が進んだところで、では誰に建てさせようか、ということで施工者を選定する、というのが通常の流れである。設計者と施工者はそれぞれが建て主と契約をしていて、設計者と施工者の間には直接の金銭的な契約関係はない、というのが普通である(普通であるが全てではない)。設計者は建て主の依頼を受けて、施工者が建物を設計通りにちゃんと建てるかどうかを監理する。ちなみにこの『監理』は現場で職人たちにいろいろと指示をしている『現場監督』とは違う。現場監督は施工者であり、我々監理者は現場監督(あるいは現場責任者)に対して「ここはこういう風に作って下さい」というように指示をする立場である。実際にどういった段取りで建物を作るかということは施工者の仕事であるから、我々設計者(監理者)が現場で「オーライ、オーライ」なんて言いながら、クレーンが鉄骨を持ち上げるところを指図していたりはしないので、誤解なきよう。

 ところで『鉄骨』という言葉が出てきたが、ついでに説明をしておく。世の中には『鉄骨』と『鉄筋』の区別がつかない人、そればかりかこれらが違うものだと認識していない人が少なくないようである。地震で倒壊した鉄筋コンクリートの建物の柱を指さして、
「鉄骨があんなにはみだしています!」
 なんてことを言っているレポーターを見かける。はみ出しているのは鉄骨ではなくて鉄筋である。鉄筋というのは直径1センチから数センチぐらいの断面を持った鉄の棒であって、鉄筋工が曲げたり並べたりして組み上げたところにコンクリートを流し込んで、鉄筋コンクリートとなる。鉄筋はそれだけでは柱にも梁にもなり得ないから、『鉄筋造』という建物はない。正しくは『鉄筋コンクリート造』である。これだと長いので、業界では普通『RC造』という。
「うちのマンションはRCだよ」
 と言えば、「お、この人は通だな」ということになるが、よく分からない人には「彼のマンションはラジコン仕掛けなのか。走るのか」と思われるかも知れない。

 一方、『鉄骨』には重量鉄骨と軽量鉄骨があって、普通に『鉄骨』と言えば重量鉄骨のことを言う。これは断面が十センチから数十センチほどのH型だったり丸形だったりする鋼材で、建築で使う鉄骨の長さは数メートルのものが普通である。

「あ、危ない!キャー!」
「え?うわあぁぁぁぁぁー!」
「グワシャーン!!」
「タカシ!タカシ!いやああぁぁぁぁー!!!

 なんてドラマのシーンで上から落っこちてくるのが鉄骨である(まあ、そうは言い切れないが)。まともに鉄骨の下敷きになったらまず生きていられない。ついでに言うと、ペプシ・コーラのコマーシャルで、職人が肩に担いだ鉄骨にペプシマンの顔面が激突するというものがあったが、あれほどの鉄骨を一人で担いで歩いている彼は人間ではない。ペプシマン以上の超人であることは間違いない。

 重量鉄骨を柱や梁としてできたのが『鉄骨造』の建物である。業界ではこれを『S造』と言う。しかし、
「うちのマンションはSだよ」
 と言って、「彼のマンションはサドなのか」と思われるということにはまずならない。『S造』のことを単に『S』とは言わないからである。

 鉄骨は鉄筋コンクリートの柱や梁の中に入れて使う場合もある。これを『鉄骨鉄筋コンクリート造(SRC造)』というが、それほど多くはやらない工法である。だから、倒壊した建物のコンクリート柱から鉄骨が出てくることもあり得ないことではないが、レポーターたちが指しているのは鉄筋の事であって、あれは明らかな間違いである。

 さて、話を戻す。同じような設計であっても、なるべく安く作れる方法を捜し出し、いかに儲けを増やすか、というのが施工者の基本的命題になっているから(必ずしもそれが全てというわけではないが)、「ここはこの安い材料に変えてくれ」とか、「ここはもっと作りやすいデザインに変えてくれ」とかいったことを設計者(監理者)に対して言ってくる。通常、建物の設計をする『設計業務』と建物が設計通りに作られるかどうかを監理する『監理業務』とは別の仕事であり、設計はするが監理はしない、という仕事もたまにはある。そういった場合、もしも施工者側の人間が監理を行ったりすると、現場の作りたいように作らせる事になりがちで、結局当初の設計とは似て非なる建物が出来上がることになる。

 また、ゼネコンなどの施工者が自社の設計部で設計を行って建物を建てることを『設計施工』という。まず誰に施工させるかということが決まっていて、設計についてもそれほどのこだわりがないのであれば、設計施工で頼んだ方が窓口が単純で楽だし、設計料も格安かサービスでやってくれるかも知れない。しかし、ゼネコンやハウスメーカーは施工することが本来の目的なので、それ自体で儲けを期待されていない設計部門の発言力は弱い事が多く、現場から「そんな設計では金がかかってしょうがない」なんてことを言われると、最初から安くて無難なデザインに落ち着かざるをえない。

 といったわけで、設計者と施工者が独立していて、両者のあいだに利害関係がないからこそ、緊張感のある健全な仕事ができるというものである。とはいえ、独立しているが故の弊害もあり、却ってうまくいかない場合もあるから一概には言えないのだが、施工者が安上がりで楽な施工方法を選ぼうとするところを「そこはこの建物のアイデンティティとも言うべき重要なデザインであるから、変更なんてことはままならぬ」、と突っぱねる事ができるのも外部の設計者であるからだ。であるから、よい建物を作りたかったら、良い設計者に充分なお金を支払って、しっかりした設計と監理を任せるべきである。(と、うちの先生はよく言っております。)

 建物を建てる時に工事費の事は考えていても、設計料なんてものが別にかかるとは思っていなかった、という人が世の中には意外と少なくないと思われる。そんなのは予定外の出費だからまけてくれ、なんて考えで来られるから、世の中の設計報酬は安い。しかし、私のような設計事務所の人間はまさにその軽視されている設計料で食っている。設計料は普通、建物の工事費の何パーセントという形で決められる。値段の高い建物は設計料が高く、安い建物は設計料も安い。すなわち、同じデザインでも、高い材料を使えば設計料は高くなり、安い材料を使えば設計料も安くなる。だからもちろん、建物の値段と設計の手間とは比例するわけではない。それどころか反比例する場合もある。たとえば、建物をもっと安くするために設計変更をした場合、設計料は安くなってかえってくる。設計変更に費やした労力が無駄になるだけならまだしも、我々は自分たちがもらう設計料を安くするために時間をかけて仕事をしたりするわけである。設計努力の結果、安い商品が出来上がり、それが販売促進につながって後々儲けとして戻ってくるという一般商品の場合とは違う。我々建築設計者は頭脳労働が全てで、その時にもらうもの以外、後に何かが戻ってくる事はない。

 そりゃもう、厳しいのである。ハードに対しての価値は認めるが、形のないソフトの仕事に対して日本の世の中は価値を認めなさ過ぎるとは、うちの先生のよく言う事であるが、全くそのとおりである。施主(建て主)のみなさん、もうちょっと設計者に気前よくお金を払って下さい。でないと、誰も建築家なんてものに夢も希望も持たなくなって、日本の風景はおざなりな設計のつまらない建物ばっかりになります。

 ところで、設計者にも種類がある。大きくわければ3つ、『意匠設計』、『構造設計』、『設備設計』である。細かく見ると『設備設計』には空調や給排水設備などを扱う『機械設備』と、電気関係を扱う『電気設備』がある。一般に『建築家』と呼ばれるのは『意匠設計』を手がける事務所のトップである。意匠とはデザインのことで、
「建築家はデザイナーである」
 というのがいわゆる建築家の自負である。私が所属するのは意匠設計事務所であり、社長は建築家である。それ以外の構造や設備設計者は技術者の側面がほとんどであり、意匠設計こそ建築の花形であるというのが建築家の誇りになっている。しかしだからといって、意匠設計に技術的側面がないかと言えばそんなことはない。構造や設備以外の部分でも建築は技術的側面だらけであるし、意匠設計者は建築においては全体の調整者という役割があって、構造も設備も施工にもそこそこ通じていなければならない。もちろん関連する法規(建築基準法、消防法など)にも詳しくなければならないし、それに大きな建物になれば構造、設備はそれぞれの専門家に任せざるを得ないが、普通の木造住宅などを建てる時にはすべて意匠設計事務所だけで設計をすることになる。要するに意匠設計者には建築における総合的な知識が求められる。それを念頭に置いた資格が建築士であり、私の出た大学の建築学科の教育もそうした総合的な能力の育成に重点を置いていたと言えないこともない。逆に言えばどこにも重点を置いていなかったと言えそうでもあるが。

 というところで、建築学科の学生生活についての話を始めようと思ったが、結構分量を書いてしまったので、今回はこの程度で。こんな堅い話を書くつもりではなかったんだが、なんだかそうなっちゃったので、せっかくなので載っけます。

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