うんち君のこぼればなし
ホーム      前へ INDEXへ 次へ
暴力教師との闘い

 別になんの脈絡もないが、暴力教師について。子供がいないからよくわかならないが、最近は体罰が大きな問題とされるので、ビンタでビターン!(別にダジャレのつもりじゃない)とやるぐらいも許されない風潮なのかも知れない。

 私は品行方正な子供だったので、ビンタでビターン!とされたことはないが、ゲンコでゴツーン!とか、『愛のムチ』(後述します)でパチーン!とやられたことぐらいはある。でもまわりの生徒たちを見てみれば、ビンタでビターン!、ゲンコでゴツーン!、『愛のムチ』でパチーン!はもとより、出席簿でバコーン!、教科書でパカーン!、足の裏で(体育座りしている時に額を)ガコーン!、パンチで(ほっぺたを)ガキーン!なんて光景を時々は目にしたものである。

 長さ40センチ、幅1.5センチほどの竹の棒、通称『愛のムチ』を常に持ち歩いている先生がいた。私が中学2年生の時に担任だった女の先生だが、なにか生徒たちが悪さをしたりすると、教室の前に呼んで並ばせ、『愛のムチ』でもってお尻をパチーン!と叩いた。それなりに痛いが、先生の叩き方は全く感情的ではなく、そのお仕置きが終わると生徒たちはなにか照れくさそうにニコニコとして、いつもそれはとても後味の良いものだった。こんなのは体罰とは言わない。もしこれを問題だと言って騒ぎ出す親がいたとすれば、生徒たちは揃って先生の味方についただろう。まさにそれが文字通りの『愛のムチ』であるということを生徒たちは感じていた。

 中学や高校には、ツボの分からないというか、行動の予測がつきにくい、情緒不安定と言えるような先生が何人かいた。高校時代のA石先生は、普段は静かに淡々と授業をする。ガミガミと怒ったりしない人であるが、突如として一気に沸騰することがあった。

 ある時、授業中にゴチョゴチョと喋っている生徒がいた。A石先生は、授業の続きのようなトーンで、
「そこ、なにを喋ってるんだ、ん?」
 というような言い方で注意をした。それは全く普通の調子で、まるで怒っているようには感じられなかったから、当の生徒も緊張感を抱かないまま、つい、
「え?」
 と言ってしまった。するとその瞬間である。
「“え”じゃない!!」
 A石先生の突然の大爆発により、全員の尻が椅子から5センチは浮き上がっただろうという、そんな衝撃が教室を走り抜けた。この時は体罰には至らなかったが、
「A石先生は恐いかも」
 という思いが皆の心に芽生えた。で、後日。

 授業中、突然A石先生が教壇を降りて教室の後ろへ向かって歩き出した。
「ん?ん?クンクン、なにか…ん?なにか臭うな、クンクン」
 顔を上に向け、鼻をヒクヒクさせる仕草で言うのである。
「突然なにをやり出したんだ?この先生は」
 そう思って見ていると、一人の生徒の机の前でA石先生は立ち止まった。
「臭うな、臭うな」
 そう言いながら、その生徒の机の中から漫画雑誌を取り出した。生徒は、授業中に漫画を読んでいたところを見とがめられたのである。
「なんだこれは、ん?」
 A石先生は漫画雑誌を手にしたまま静かに言う。で、次の瞬間。
「バコーン!!!!!」
 思いっきり、漫画雑誌でその生徒の頭をひっぱたいた。

 A石先生の場合、ローからいきなりトップになる。ゾウムシがいきなりアフリカゾウになる。その一瞬の変化が恐ろしいのだ。

 だが、A石先生の場合はまだ理にかなっている。注意されるべき事をしたから怒られたのである。中学には理不尽な怒り方をする先生がいた。

 フランク・フリップの『イエス』の稿で出て来た英語担当のY田先生は、やたら短気で、機嫌が悪いととにかく怒鳴り散らしていた。いつも日にちとか、何かの数字にちなんだ出席番号の生徒を指名して立たせ、質問に答えさせた。正解なら座っていいが、正解を答えられなければ立たせたまま、後ろの生徒に同じ質問を答えさせる。列の一番後ろまで行けば隣の列の一番前へ移動し、また後ろへと続けていく。正解が出ない場合、教室中が立った生徒ばかりになるが、そうするとY田先生の機嫌は最悪となる。

「お前らはちゃんと家で勉強してきてるのか!昨日習ったことなのにどうして出来ないんだ!いったいやる気があるのか、バカヤロウ!」

 興奮しきったY田先生は、たまたま目の前の席に座っていた男子生徒(座っていたからには彼は質問に答えて正解だったか、あるいは指名されていない生徒なのだ)の頭を、手にしていた出席簿でバコーン!と叩いた。

「ええ〜っ!なんでえ〜!?」

 という顔をしながらも何も言えずに、彼はそのまま黙っているしかなかった。その様子を見ていたみんなは、怒られている恐怖のさ中にも彼への同情を抱き、実のところはとても面白がっていた。

 歴史担当のS藤先生もムラッ気があり、機嫌のいい時にはニコニコと雑談をするくせに、機嫌が悪いとやたらビンタを食らわす。ある男子生徒は、授業時間になってもまだ来ぬS藤先生が教室に向かっているのかどうか、様子を探ろうとして教室の戸に近づいた。そして、戸に手をかけようかというその時、ガラリと戸が開き、入ってきたS藤先生と鉢合わせになったのである。あまりのことに硬直した彼の頬をS藤先生は何も言わずに思いっきり平手でぶん殴った。男子生徒は1メートルほども吹っ飛んでひっくり返った。

 こういうのはもう体罰ではなくただの暴力である。今の時代であれば問題教師として騒ぎになったかも知れない。

 小学校にもビンタを食らわす先生はいた。恐ろしい先生として評判だったW辺先生も、基本的には面白く筋が通っている人だったから、殴り方がパワフルでもそれはそれで納得できるところがあった。まあ、そんなに強く殴らなくたっていいじゃないか、と思わないことはなかったけれど、対象は高学年の生徒だけだったし、当時の社会的な雰囲気からしても、特に問題だとは感じなかった。

 がしかし、確か私が5年生の時、たまたま廊下で見かけた光景に私は戦慄と怒りを覚えた。

 A教諭は1年目の新人男性教師で、2年生のクラス担任となった。これは当時の流行だからしょうがないが、今では考えられないほどの極太のネクタイを締め、安部公房かウッディ・アレンかという黒縁眼鏡をかけていた。背は低くずんぐりむっくりで、表情は冷たく笑顔というものがない。

 A教諭のクラスの男子生徒が運動会の予行演習かなにかのために、自分の椅子を持って外に向かって廊下を歩いていた。こういう時の椅子の持ち方というのはいちいち決められていて、背もたれを手前側にして胸につけ、座面の左右両側を掴んで真っすぐな姿勢を保つ、というような具合であった。

 生徒たちは一列に並んで歩いていたのだが、その中の一人の男の子が後ろの友達を振り返り、喋りながら椅子を頭の上にぐっと抱え上げるような格好をした。ところがちょうどその時、すぐ側にはA教諭が立っていたのである。A教諭はその様子に気づくと、男の子の前へ行き、分厚い手で思いっきりの平手打ちをその小さな顔に食らわせたのである。

「椅子の持ち方はそうじゃないだろう!」

 当の男の子はもちろん、周りの生徒たちも、見ていた私も一瞬にして凍りついた。

「暴力教師だ!」

 私は思った。とんでもない野郎だ。たかが椅子の持ち方が悪いというだけで、小学2年生という小児(いわば、小2の小児)を思いきりぶん殴るとは、頭がどうかしている。私はそれまで、そういう理不尽な教師に出会ったことがなかったので、その出来事はとても衝撃的だった。私は彼のクラスの生徒たちに心底同情した。教室へ戻ると、とんでもない教師がいる、ということを皆に話し、家に帰っても当然その話をしただろうと思う。

 それから何ヶ月かが経ち、季節は冬を迎えた。我々の学年を対象に、新たな行事として1泊2日のスキー教室が開かれることになった。男女別、レベル別に、クラスを越えてグループ分けをする。私は初心者グループのひとつに入った。ひとつのグループの人数は15人ぐらいだったろうか。それぞれのグループに担当の先生がつくが、グループの数が多いので、学年の担任だけでは人数が足りない。というわけで、他の学年の担任などから、助っ人教師が何人か集められた。

 それぞれのグループの担当教師が順に発表された。先生の名が告げられるたび、生徒たちは喜んだり押し黙ったりした。そして私のグループの番が来た。告げられた名前は、

「A先生」

 その人であった。

「あちゃぁ〜!なんでよりによってあの暴力教師が…」

 私は運命を呪った。他の生徒たちはキョトンとしたままで、特にこれといった反応もないが、それは彼のことを何も知らないからに他ならない。私が彼の正体を説明すると、グループ内には陰鬱な空気が満ちた。

 さて、スキー教室当日。我々と対面したA教諭は、思ったとおりの仏頂面である。ニコリともしない。

「さあ、楽しんでやろう!」

 なんて爽やかな言葉は出てくるわけもなく、口調は完全な命令調。重た〜い空気がグループを包み込んだ。

 ほとんどが完全な初心者であるが、A教諭の選んだスタート地点は真っすぐな斜面のど真ん中。少しは平らに近い所から始めりゃよさそうなものなのに、傾斜がきつくて、そこに留まってること自体が初心者には大変である。横歩きで斜面をのぼり、ストックを立てて踏ん張りながら90度向きを変える。向きを変えても、A教諭が「行け」と言うまでその場に踏み止まっていなきゃならない。だが、大抵の連中は向きを変えている途中でスキーが滑り出す。そうでなくても、A教諭が「行け」というまで我慢しきれない。我々は、滑ることよりもスタートするまでの踏ん張りに、ほとんどの体力と神経を注いでいたようなものだった。

「ちょっと無理があるんじゃねえの?」

 とは、グループの誰もが思っていたことである。しかしA教諭はそんな空気を知ってか知らずか、一向にやり方を変えようとしない。ただひたすら、

「踏ん張れ!堪えろ!」

 と言うばかりである。まともにスタートも切れない状態に、我々もいい加減腹を立ててきた。これでは、スキーの滑り方ではなく、踏ん張り方を習いに来たようなものだ。楽しくもなんともない。最初はA教諭の指示に従っていたけれど、そのうちに反抗的な態度を取る生徒が出始めた。体勢が整う前にスキーが滑り出してしまい、A教諭の思ったタイミングでスタート出来なかった場合、A教諭は決まって、

「転べ!」

 と叫んだ。みんな始めは指示通りに自ら転んでいたが、ある時、一人の生徒がそのままきれいに直滑降で滑って行った。A教諭は腹立たしげに、

「転べ!転べ!」

 と連呼したが、その生徒はそれを無視して滑り続けた。すると周りから、

「転ぶな!行け行け、そのまま行け!」

 という声が沸き上がったのである。A教諭は声を上げた連中を睨みつけたが、彼らは構わず声援を送り続けた。直滑降をした生徒が最後まで転ばずに滑り終えると、グループの全員から、やんやの喝采があがった。それ以降はもう誰もA教諭の指示には従わなかった。苦々しげな顔で睨みつけるA教諭を眺めながら、我々はとてもいい気分だった。

 まあ、『暴力教師との闘い』と言ったってこれだけのことである。その後、A教諭がどうなったかなんてことは知らない。少なくとも私が小学校を卒業する時には、まだ教師として勤めていたようである。いったい、今ごろはどんな人間になっていることか。

ホーム      前へ INDEXへ 次へ