パラビオシス
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世界を見る視点

 いわゆる『ブッシュの戦争』というものが始まった。私のように社会に対する影響力が極めて小さい人間が何かを言ったところで何がどうなるというものでもなかろうが、これについて書いて欲しいという人がいるのでちょいと書いてみる気になった。

 私は何だか朝日新聞が好きではなくて、とはいっても毎日新聞はちょっと寂しい感じがして、アンチジャイアンツ(スワローズファンです)なのだが結局讀売新聞を読んできた。漫画の質としては毎朝の『コボちゃん』と日曜版の『あたしンち』は他紙に比べて断トツで出来が良い。しかしながら最近いろいろ事情があって家計が苦しいので、安い東京新聞にしてみた。するとあまりにも寂しい気分になって、ほとんど新聞を読まなくなった。結局、次回の契約からまた讀売に戻すことにしたのだが、それでもそんな短い付き合いの東京新聞にもうまい具合にここのネタになるような記事があったりする。前回のダルマの話とか、今回引き合いに出す記事とか。その記事によると、

  • 飲酒にふけり、安易な生活を送っていたブッシュは、名高い伝道師の説教を聞いて後、40歳にして酒を断ち、『ボーン・アゲン』となった(普通に書くと『ボーン・アゲイン』だと思う−鬼山注)。
  • 『ボーン・アゲン』とは人生の道半ばで、神、キリストに、聖書に出会い、キリスト教徒として新しく生まれ変わった人びと。回心と再生を誓う、プロテスタント教会の中の行動的な一派である。
  • ブッシュ大統領の演説には聖書の言葉がちりばめられている。「アメリカに味方しないやつは敵だ」という彼の人物を特色づける発言も聖書がもとになっている。
  • アメリカの『ボーン・アゲン』の多くは、回心の体験を公の場で声高に語り、回心、改悛を人々に求める活動に訴えることを神に奉仕する使命と信じている。
  • その特徴は徹底した二元論である。人間は神に選ばれて救われる者と、救われない者に分かれている。回心者には永遠の平和、福音に耳ふさぐ者は悪魔の子で永遠の地獄が待っている。善と悪、神と悪魔、味方と敵、白と黒、光と闇が現世を二分して戦っているという論理を用いて、迷える子羊に選択をせまる。
  • 最近の世論調査によると、アメリカ人の48%は神が人間をつくったと信じ、28%が進化論に傾いている。悪魔の存在を68%が信じる。テロリズムも“9.11”の悲劇も、バグダッドに巣食う悪魔の仕業だという圧倒的な政治宣伝がたやすく受け入れられる精神的土壌がそろっている。
  • プロテスタント教会の少数派であったボーン・アゲン原理主義と、帝国を夢みる新保守覇権主義の2つの特殊な潮流と人脈が、アメリカ政治の中枢を乗っとってしまった。

 アメリカが、少なくとも現在のアメリカ政府が驕っていることは確からしく思われる。悪の親玉という見方が強いのも理解できる。現在のブッシュ政権がとても危険な政権だと言われるのは仕方がない。「利得の追及を宗教的熱狂で粉飾した十字軍」(東京新聞より)が“お為ごかし”だと批判されるのは当然だろう。アメリカ支持一辺倒の小泉首相の言動も格好悪いことこの上ない。要するに、

「フセインも悪いがアメリカはもっと悪い。日本の政府は情けない」

 というのが、アメリカ国内を除いた国際社会での当たり前の結論なのか。随分と簡単な結論だが、世の中はそんなに簡単ではない。複雑な世の中を簡単な見方で結論づけてしまうことに果たして利があるのだろうか。

 ブッシュさんの言うとおりに、アメリカが完全なる『善』であったり『正義』であったりするわけはないが、だからといってアメリカが『悪』だなんてことも簡単には言えない。たとえアメリカ政府が『悪』であったとしても、『悪の中枢』にいる人たちは自分が悪いことをやっているなんて自覚をこれっぽっちも持ってはいないだろう。それぞれの人間の思想や行動にはその人なりの善がある。個人的快楽を求める以外には全く効果の見当たらないような反社会的行為であっても、おそらくそこには何か自分を正当化できる理屈が必ず用意されており、それによって彼はその行動の原動力を多少なりとも得ることができるに違いない。90%は“悪事”だと感じていても、10%の“善”のためには致し方ないという、場合によっては無理やりな思い込みが、それでも存在するはずなのである。

 ブッシュ大統領はどうやらとても単純な人のように見える。『真性のバカ』と酷評する人さえいる。彼の周りにいる人々は、この単純さをうまく利用しようとしているかもしれない。私の感ずるところによれば、ブッシュ大統領の言うことは全てが欺瞞というわけではないに違いない。むしろ、ほとんど全てが彼の本心ではないかとさえ思う。自分は正義、善であり、フセインや金正日は揺るぎない悪であるという見方は彼の信念だろう(ただ、そう思い込んでいる彼自身が自己欺瞞に陥っているという面はあろうが)。世界をそんな二元論的見方でしか捉えられないような単純で強固な思想を持った人間が世界一の大国のトップに座っているということは実におそるべき事だが、それも、この地球の歴史上特に珍しいことではない。

 アメリカの理屈がどう見ても通らないとか、言っていることがあまりにも身勝手であるとか、神の名を人殺しに利用するのは許せないとか、アメリカを悪だと決めつけたくなる理由はいろいろあるだろうが、世界情勢を見るとき、あいつは悪意で動いているとか善意で動いているとか、どちらかの結論のみを押し付けようとする姿勢は馬鹿げている。それは、「男という生き物は必ず浮気をするものだ」とか、「女は執念深い」とか、「東北人は我慢強い」とか、「中国人はうるさい」とか言うようなもので、集合体であるものの傾向を捉えてはいるかも知れないが、それが全てというわけでは決してない。

 アメリカは全くの善でも完全な悪でもないし、もちろんイラクや北朝鮮も悪でしかないわけがない。日本政府が腰抜けだといっても、腰が入っていれば良いのかどうかもなんとも言えない。確かに小泉さんはちょっと格好悪かったが、彼の個人的本心ではアメリカを心底支持しているわけではないことは、あの曇りきった力ない表情や声からも明らかであるし、立場上ああいう選択しかないということは理解も出来る。やり方が悪いと言うかも知れないが、やり方が良かろうが悪かろうが、結局他に道があるかといえばどうかわからない。もしも、「国内世論を抑えるために格好だけはつけさせてくれ」とアメリカにお願いして、表向き批判のポーズをとらせてもらえたとしても、結局は大同小異に過ぎないだろうとも思う。

 戦争は望ましくない。少なくとも多くの人々にとっては望まざるできごとだ。だが、現状では戦争を望んでいる権力者がいることも確かであり、戦うことが好きな現場の人間もいる。平和外交のみによって全ての争いが回避されるわけではないことは確かだ。永遠の生を信じ、たとえ殺されても殺すべからずという信念を皆が持っているならば、何が何でも戦争はいけないと言い続けることもできるが、もちろんそうではない。殺されるぐらいなら殺したほうが良いと思っている人々は大勢いるし、政権にある人間もそれは変わらない。暴力は暴力を生み、戦争で本当の平和は訪れないのだという主張は長い目で見れば正しいと思う。しかし、非暴力であることにはとても大きな覚悟がいる。現に虐待されている人々がいて、侵略を受ける国々があり、自分の家族や自分自身が殺されても、それを致し方ないこととして受けとめることが求められるのだから。それでは結局殺したいものだけが自由に殺し、支配したいものだけが好きなだけ支配する社会になってしまうではないかという疑問がわくかも知れないが、非暴力であっても戦うことは必要だ。正すべきことについては断固とした対決が求められるが、その手段として暴力に訴えることを避けなければならないということであって、当然ながら結果的には相手の暴力をなかなか阻止できない可能性が高い。だが、それぞれの人間性が変わらない限り、同じ状況が繰り返されるに過ぎないのだから、結局はそれこそが本当の平和への近道なのだとは思う。

 しかし、そんな長い目でなど見ていられないというのが世の中の大勢であって、とりあえず今ある脅威や不平等を力づくでも取り除きたい、自分の死後に訪れる真の平和より目の前の人生における安全を確保したい、というのが一般的な考え方である。もしも人を殺すことが絶対的な悪であり、殺されることが天国への道だとしても、自分の子供が殺されるぐらいなら敵を殺して自分が地獄へ行った方が良いと考える親は少なくないだろう。もちろん、敵が悪であり、悪を滅ぼすことは悪ではなく善でさえあるということが信じられたなら、人々は躊躇無く敵を殺すことができる。ブッシュが声高に訴えているのはまさにこのことであり、それはフセインや金正日の主張もまた同じである。世の中そんなに単純じゃないだろうと、彼らの主張を真に受けない人間ももちろん多くいるけれど、残念ながらそうした単純な論理にすっかり納得する人々が意外なほど多いのが現在の世界だろう。もちろん、過去に比べれば少なくなっているはずだと信じるが。

 世の中は、特に政治の世界は論理が通らないことが多い。正論はただの論理でしかなく、世の中を動かす主役ではない。筋が通らなかろうがなんだろうが、力あるものが、あるいは多くの人々が望むことが選択され、論理は後付けされるのが通常の手順である。アメリカの言っていることの筋が通らないからおかしいと民衆が叫ぶのは素直な声だが、他国の政府が同じことを言っても、それは眉唾物に過ぎない。

 正義の戦いだなんだと言いながら、アメリカが歴史上どれほど多くの民間人を殺してきたかと、激しい憤りを持っている人は少なくないだろうが、だからアメリカに正義を語る資格などないとか、いちばん悪いヤツだと批判することがまっとうな姿勢なのかといえば私には疑問である。戦争を推し進めるアメリカと戦争に反対する他国との間にある差は、徹底的な観念の差ではなくて、立場の差に過ぎない(多少の例外はあるかも知れない)。他国はアメリカのような力を持っていないからアメリカのようにできないのであって、もしも立場を入れ替えたなら、全く反対のことを言っていた人間が今のアメリカ以上に戦争へ突き進むかも知れない。平和を訴えていた人々が政権の座についたとき、他国の脅威と国民の突き上げにさらされ、戦争を決意せざるを得なくなるという例は歴史上数限りなくあるだろう。

 ブッシュが悪人だとは思わない。多くの欺瞞を含みながらも、自分の信念にかなり忠実に従っているに違いない。彼の二元論的単純な理屈が戦争の理由にされ、彼自身や多くのアメリカ人、その他世界中の支持者たちを納得させていることは事実である。あいつは悪い奴でこいつは良い奴、あいつはバカでこいつは賢い、俺は幸せであいつは不幸、生きることが良くて死ぬのは不幸、健康が正しく障害はなくすべきもの、笑いは良くて怒りは悪い、そんな見方を常日ごろからしていれば、“正しい答えを選択しなければならない”という思いを抱くのも当然である。

 ものごとを二元論的見方のみで捉える癖を身につけている人は驚くほど多い。多いというよりもほとんどの人がそうなのではないか。それどころか、自分の陥っている思考方法の問題点を少しでも感じたことのある人がどれほどいるだろうか。さらに言えば、そもそも感じる感じないという前に、自分の考え方について考慮してみようとさえしたことの無い人が大半であるに違いないのだ。

 ものごとの白黒をはっきりつけるというのはスッキリして気持ちの良いものだし、男であればそうした態度こそ男らしさの表現だと思う向きもあるだろう。だが、己の行動についての決断をキッチリつけることと、ものごとの評価を断定的に下すこととは全く別のことである。己の行動は意志にのみかかっている。状況が不透明であろうと混乱していようと、行動をはっきりと選択することはできる。たとえば、状況が鮮明になるまで待つ、というのも明快な行動方針である。もちろん、状況がはっきりしないまま、覚悟を決めて割り切った行動にでるという選択も当然あり得る。あまり安全な方法とは言い難いが、それでもあいまいな要素にあふれた事象について強引な判定を下し、それをもって行動の拠り所とする態度よりは好ましい。状況の方を無理矢理に断定してしまえば、それにより自ずと導き出される行動というものが発生する。状況に関わらない割り切った行動というものには自制が効くけれど、前提条件に依拠した行動は、妄信を強め、行動の連鎖を生む。前提条件が誤っているならば、不適切な行動による損害は甚大になる可能性が高い。

 人類はもうそろそろ二元論を捨てる必要がある。完全に捨て去ることはないかもしれないが、物事を二元論だけで見ようとしたときの弊害を皆が充分に認識しておかなくてはならない。宇宙は、“白か黒か”ではない。無数の色があり選択肢がある。どれが正解というわけではない。なにごとも選択せねばならないわけではない。間違った選択をする人間が間違った考えを持っているというわけでもない。その相手だけが責めを負うべきであり、自分には相手を責める資格があるというような考えはくだらない幻想である。自分は相手と同じ立場にはないのだ。自分の中にあるものが相手の中にあるものとどれだけ違うのか、比較することができるのだろうか。

 ものごとを単純化して見ないで欲しい。結論に飛びつかないで欲しい。じっくり導き出した結論であっても、それを絶対視しないで欲しい。断定的にものごとを捉えないで欲しい。自分の決意に縛られないで欲しい。無用になった基準は書き換えて欲しい。決意を曲げない意志は大切なものだが、効を失った決意を捨て去る勇気も必要である。

「前と言っていることが違うじゃないか」
 と批判されたら、こう言えばいい。

「人間は進歩するために生きているのだ。いつまでも以前の言動に捕らわれるのは進歩のない人間のすることだ」

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