パラビオシス
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不幸について 〜その4〜

 今回の文章はちょっと長いが、一気に載せるので、スクロールにお付き合い願いたい。

 あと10日足らずで、彼のちょうど10年目の命日を迎える。この節目の時期に、彼について書いた文章の更新日を迎えることになったのは、本当に全く意図していたことではない。順番にこなしてきたスケジュールの中での、たまたまのめぐり合わせに過ぎない。これもやはり奇縁というものなのかと思う。

 Iちゃんは、私が最初に勤めた会社での同期入社組の1人である。どういうわけか直属の部下を持っていなかったM澤さん(「図解 M澤さん」参照)の下に、私と共に配属された。

 初めて彼を見たのは、入社前に我々内定者も招待されて行われた、会社の創立記念パーティーだった。なぜかパーティーに先立ってボーリング大会があり、そこで、ライオンのようなあごひげを蓄え、恰幅が良く、一見貫禄のあるIちゃんの姿を目にした。随分とつまらなそうな顔でボーリングをやる人だなと気になったのだが、その時にはまさか自分と同じ新人だとは夢にも思わなかった。というのも当然といえば当然で、彼は実際私より5つも歳上なのである。院卒なのだろうと暫くは勝手に思いこんでいたが、そのことを話すと彼は複雑な表情を見せながら、こう言った。

「とんでもない!僕は学卒ですよ。修士なんか持ってたら、もうちょっと堂々としてますよ」

 訊けば、一浪、二留(年)、二休(学)で、27歳にして大学卒業を果たしたという。休学をした理由を問えば、特に臆することもなく淡々と答えた。

「ノイローゼって言うかなあ、ちょっとおかしくなっちゃって、カウンセリング受けたりしてたんですよね」

 そして、フフッと寂しそうに笑った。

 私は、こういうタイプの人と身近に接するのは初めてだった。もちろんM澤さんやM尾さん(「M尾さん」参照)といった驚異的なタイプの人達と接するのも、この会社でが初めてだったのだが、Iちゃんの場合には、また違った大変さ、難しさがあった。

 彼の精神状態を表すキーワードは『劣等感』である。私が出会ったときの彼は、何事に於いても自分を他人と比較し、ほとんど全てのことに対して劣等感を抱いているように見受けられた。だがそれは、裏返せば彼の持つ極めて強い『プライド』の表れでもあった。

 私は彼ほど不器用で要領の悪い人間を見たことがない。彼は工学系の某有名国立大の出身であるから、決して頭が悪いはずはない。専門は都市計画で、彼の持つ知識量は相当なものだったようだ。私の出た建築学科でも都市計画を専門とする研究室があり、必須科目として授業も受けたはずなのだが、まともに勉強をしたという記憶もほとんどなく、私の貧弱な知識ではとても仕事に役立つはずもなかった。そんなときは、隣に座るIちゃんに尋ねれば、即座に答えが返ってきたものである。日々専門書を自費で買いあさり、とにかくなんでも詰め込もうとしていたIちゃんだが、彼の仕事はそれきりでおしまいだったのである。知識を詰め込めるだけ詰め込んでみても、彼からははとんど何のアウトプットもなかった。

 その時の我々の仕事の成果物と言えば、『報告書』である。クライアントは主に自治体であり、行政計画策定のための材料となる調査報告書などをとりまとめるのが仕事であった。要するに、最終的には多くの文章を書く。頭を使って、ウンウン唸りながら、時には徹夜をして必死に書く。仕事は山ほどあったので、いつも締め切りに追われ、のんびりしている暇などはほとんどなかった。だからもちろん、仕事は要領よく、素早くこなすことが求められる。とにかくどんどん成果を出していかなければならない。締め切り近くになれば、悩んでいる暇などない。

 だが、Iちゃんは悩んだ。朝からずっと机に向かい、太った体を小さく丸め、溜め息を付きながら悩んだ。書いては消し、書いては消し、消しゴムをかけすぎて原稿用紙を破いた。それを張り合わせ、また書き始めるが、真っ黒になった原稿用紙を最後には丸めて捨てた。そんなことを繰り返し、結局1日の成果がゼロということが珍しくないようだった。私のように、よくわからないまま、「とりあえず言われたとおりにやっちゃえ」と進めていけば、それなりに気楽にもできるのだろうが、Iちゃんにはそれができなかった。自分の頭の中にあるものを、とにかく全て出し尽くしたいという思いがあったのだろう。完璧でなければ、人に見せるわけにはいかないという信念が、どんどん彼を追いつめていった。

「いいから、それだけをとりあえず形にしちゃえよ」

 見るに見かねたM澤さんがいろいろな事を言うのだが、Iちゃんにはどうしても受け入れられない。彼の中には、『とりあえず』とか『妥協』とかいうものがあり得ないのである。しかし、彼が実際にやっていることと言えば、彼が頭に描いているだろう成果からはあまりにもかけ離れいていた。Iちゃんは、言わば『完璧主義者』だったが、それは、世間でよく見られるような状況とは随分と異なっていた。普通の人が見て、もう充分だろうと思うレベルに達していても満足することなく、ひたすら自分が納得するところまで突き進んでいくのが、よく言われる『完璧主義者』の姿だと思うが、Iちゃんの場合は自分が納得するレベルどころか、周りの人々から見てもあまりにも物足りない結果しか出せないでいた。

 端的に言って、Iちゃんにこの仕事はあまりにも不向きだった。彼はじっくりと腰を落ち着けて物を調べ、コツコツと成果を積み上げていくタイプである。いつも締め切りに追われる焦燥感の中にありながらも、なんとか冷静さを保ち、頭の働きを落とさずに、しっかりとしたレポートを短期間に仕上げていかなければならないようなこの仕事は、彼の性質とは正反対のところにある。おまけに、上司であるM澤さんは、状況が厳しければ厳しいほど部下にプレッシャーをかけようとする。物事をよっぽど気楽に受け止める術を知らないと、やってられるものではない。まともに付き合っていれば押しつぶされてしまうのが落ちである。あまりにも不器用で要領の悪いIちゃんは、日々、焦りと緊張で更に萎縮していき、己の能力を発揮させることをますます困難にしていった。

 Iちゃんは最初、筆記具に鉛筆を使っていた。5ミリ方眼の用紙に異様に強い筆圧で大きな文字を書いていた。

「読めない字だとは思いませんけどねえ。すくなくともM澤さんの字よりはわかりやすいでしょ」

 確かにそれは判別のつかないような字ではなかったが、太くて汚い字ではあった。あまりにも筆圧が強いので、芯はすぐに丸くなり、書くほどに字はどんどんと太く大きくなっていった。

「I君、シャープペン使えよ、シャープペン。鉛筆なんて使ってたら原稿用紙のマスに字が入んないよ」

 当時は打ち合わせ程度の資料であれば手書きが多かったし、場合によっては(主に安い仕事の場合)最終成果の報告書も手書きで作ることがあった。そういうことを考えれば、字が大き過ぎるのは、1ページに入る情報量が少ないということであるから、あまり効率の良いことではないし、見た目にも好ましくないということだろう。IちゃんはM澤さんに言われるがままにシャープペンを使い始めた。

 ところが、シャープペンの細い芯に変わったにも拘らず、彼の筆圧は相変わらずで、おまけに芯を2・3ミリは出して書くので、たちまちのうちに折れてしまう。折れても折れても、芯を短く出そうとか、筆圧を弱めようとかいう発想は浮かんでこないらしく、多いときには1文字書く間に4回も5回も芯を折る始末だった。字を書く時間よりシャープペンをノックしたり芯を入れたりする時間の方が長いのではないかという程なのである。もちろん、芯はたちまちなくなっていく。1ケースを1日2日で使い切っていた、というか折り切っていたのではないだろうか。ひどいことには、その折れた芯のほとんどがピンピンと左側に座る私の目の前に飛んでくるのである。目障りで仕事にならないなんてものではない。おまけに折れた芯がそこらじゅうに転がって、机の上はいたずら書きでもされたかのようにどんどんとうす汚れていった。

 指先の力の入れ具合もなかなかコントロール出来ないぐらいの不器用さ加減だから、いわゆる資料の切り貼り作業などは最も苦手とするところだった。どうしてそこまでというほどに原稿を汚してしまう。一方、隣の私はといえば、一応建築学科の出で、図面をかいたり、切ったり貼ったりは結構やってきているので、その程度のことならばそれなりにはできるわけだが、その様子を見るに付け、またIちゃんの劣等感は膨らんでいくようであった。そして大きな溜め息と共に、こう呟くのである。

「はあーっ…。駄目だなあ、私は…」

 毎日である。1日何回も横で聞かされ続けるのである。どうにもいたたまれなくなる。たとえ嫌いではなくとも、どうしてもあまり近づきたくはなくなって来るものである。実際、私は彼のことが決して嫌いではなかった。冗談を言えば、かわいい笑顔で笑ってもくれるし、彼自身、なかなか愛嬌もある。

 ある時Iちゃんが突然、「アレッ?!」と、並々ならぬ大声を出した。

「どうしたの?」と私が驚いて尋ねると、Iちゃんは手に持った空の紙コップを私に差し出しながら、独特の照れくさそうな笑顔で言った。

「私、コーヒー飲んじゃったのかな?」

 そんな様子は、5つも歳上ながら、かわいらしいと思うのである。だが、彼のほとんどの部分はいつも陰々鬱々としていた。彼の丸まった背中、大きな溜め息、自虐的な言葉、暗い表情、そしてひきずるように歩く重々しい足音だけでも、周りの人達を憂鬱にさせる力を充分に持っていた。彼がいつからそんな風になったのか知らない。少し特異な形に曲がっている肘の格好を見せながら、「子供の頃、これがいやだったんだよね。からかわれて」としみじみと語っていたことがあったが、そんな話を聞くと、やはり随分と小さい頃から徐々に培われていった性癖なのだろうと思われた。

 Iちゃんが、常に不安と緊張状態にあったことを示す、こんな出来事があった。

 まだ、ジャンク阿津又氏が本名で生活していた頃(というか、現在でもほとんど本名で生きているけれど)、同じ会社でアルバイトをしていた。たまたまIちゃんと2人きりで夜中まで会社に残っていたジャンク氏だったが、Iちゃんを置いて先に帰ることにした。その時Iちゃんは『タバコ部屋』と呼ばれる、パーティションで密閉された小さな喫煙室のソファーの上で仮眠をとっていた。帰り際、ジャンク氏がIちゃんに一声かけていこうと、そのタバコ部屋の扉をそっと開け、眠っているIちゃんに向かって、小さな声で「あのう…」と言いかけた途端、

「はいっ!!!」

 Iちゃんは飛び起きたという。

「寝ているときも気が休まってないんだなあと、なんか気の毒になっちゃった」と、当時のジャンク氏は私に語った。

 さて、最初はただ自信なげで、弱々しく思えただけのIちゃんだったが、そのうち、違う一面を見せるようになっていった。それは酒の席での彼の変化であった。酒が入ると、普段の彼からは考えられないような強い態度を表した。我々はそれを『強気のIちゃん』と呼んだ。普段押し込められている感情が一気に爆発するようで、特に上司であるM澤さんの話になると、怒りを露わにした。それは周りの者にとってはあまりにも楽しくない態度であったので、自然と彼を酒の席に誘う人間は少なくなっていった。

 M澤さんは早くからIちゃんを見限っていたようなところがあり、私のことはしょっちゅう打ち合わせに伴わせるのに対して、Iちゃんについてはいつまで経っても一向に外へ出そうとはしなかった。それはM澤さんがIちゃんの持つ自信のなさや不器用さをクライアントに見せることに不安を感じていたからに違いないのだが、部下の成長のためには多少のリスクを自分が背負ってでもやらせてみるというのが、上に立つ者の態度なのではないかと、当のIちゃんならずとも不信感を持ったものである。当然Iちゃんも不満を持ち、また益々自信のなさに拍車をかける結果となった。

 我々新人の初年度も後半になって、やっとIちゃんもクライアントとの打ち合わせに行く機会を持った。北陸の方の仕事であったから、現地調査を兼ねた数日間の出張となったのだが、酷なことに、それはM澤さんとの2人旅であった。出張先でも、緊張のためかIちゃんはいろいろなミスをしでかしたらしい。相当につらい数日間だったろうと想像できる。

「蹴っ飛ばされましたよ。『邪魔だ、どけっ!』って蹴っ飛ばされちゃいましたよ、M澤さんに。ふふっ…」

 帰ってきたIちゃんは、私にそう言って、なんとも寂しそうな笑みをこぼした。おそらくこの出張での経験を契機にして、IちゃんのM澤さんに対する不信感は憎しみにまで発展していったかのようで、それ以後、ことあるごとに衝突を繰り返すようになっていった。

 それまでは、叱られる一方だったIちゃんだったが、なにかとM澤さんに口答えをするようになった。IちゃんはM澤さんの指示したことをほとんど期日までに仕上げることがなかったので、M澤さんは仕事のやり方などをいちいち注意するようになった。

「そんなに沢山資料見なくていいから、ある程度のとこでまとめないと、いつまで経っても終わらないよ。そんなの全部読んでたら頭おかしくなっちゃうよ」

 と、M澤さんが言う。もっともなのである。頭がおかしくなるかどうかはともかく、締め切りに間に合わせることが第一なのであるから、どこかで見切りを付けなければならない。Iちゃんもそのことは分かっているのだろうとは思うのだが、それができないのである。自分のやりたいやり方を放棄することには、精神的に耐えられないのだ。私にも多少そういう傾向があるので、Iちゃんの気持ちは分かるのだが、それでも彼の場合は極端に過ぎるのである。関連する資料には全部完全に目を通さないと気が済まないというのは、実際の仕事上では困った性癖だとしか言いようがない。だが、Iちゃんはそれを主張した。ちゃんとした仕事がしたいと言うのである。当然それでは困るのだとM澤さんが言い、2人の大声での押し問答が延々と続く。その騒音とあまりにも重苦しい空気にフロア中の人間の仕事の手が止まり、なんとなく一つところに集まってきては、ひそひそ話を始めるのである。

「まったく、いい加減にしてくんないかね。ほんとに仕事になんないよ。だいたい、どっちもどっちだよね。もう1時間もやってるし」

 そんな光景は我々新人の初年度が終わるまで続いた。

 Iちゃんが持てる能力を発揮できないのは、彼のものの考え方が悪循環をもたらしているからだと思っていた私は、どうにかして彼を明るくしようと努めた。それは彼自身の為を思ってでもあったし、私を含めて周りにいる人間の負担を軽くするためでもあった。冗談を言い、気楽にものごとを考える術を語った。歳上の彼に対して親しみを表現するつもりで『Iちゃん』と呼び始めたのも私である。彼には、何事も他人や周りの状況に責任を転嫁しようとする傾向があったので、その点については強く言いたい気持ちもあった。だが、彼が5つも歳上だということが私を躊躇させた。彼が自分の欠点を見据えずに全てから逃げ回っていることを指摘することは、彼を良い方向に変化させるよりも、彼のプライドを傷つけるだけのことに終わるのではないかと思ったのである。現実にはまったく望むべくもなかったのだが、もしも人格的に優れた上司がいて、Iちゃんを諭すように話をしてくれたなら、彼にもいくらかは受け入れる余地があったかもしれない。しかし、私のような歳下の人間が何かを言ったとして、もしもそれを彼が一部でも聞き入れたとするならば、そのことが却って彼の劣等感を強化しかねないと思ったのである。

 こうして、私の努力は終わった。それ以上はなにもできないと思ったのである。本当に彼を何とかしたければ、徹底的に付き合い、何年もかけて少しずつ考え方を変えていくしか方法がないと感じたが、この会社にあっては、日々の仕事をなんとかこなすだけが精一杯で、とてもじゃないが彼の面倒までみようという余裕はなかった。それに、このころにはM澤さんなどの例を見るにつけ、『人間は誠意を持って接すれば変わるのだ』という私の考えにも、『ただし、それにも限度がある』という言葉が付け加わっていたから、Iちゃんをなんとかしようという試みは99%見込みがないことだ、という思いも実際のところ持っていたのである。

 一年目の秋頃からは、さすがにIちゃんの横に座っていることが辛くなってきた。私がいかに彼を明るくしようとがんばっても、圧倒的な負のパワーの前には太刀打ちできないのである。逆にこちらまで落ち込んできそうで、それはもう大変なことなのである。ただでさえM澤さんの下で働くことに苦労しているのに、横から元気を吸い取られて行くようで、どうにも消耗してしまう。

 一度、Iちゃんと2人で現地調査をしたことがある。志村けんでお馴染みの東村山市あたりの狭山丘陵だったが、私の仕事の手伝いという立場で一緒に行ってもらった。近くの駅で待ち合わせをし、レンタカーを借りて出発した。私の仕事の性質上、随分と何回も調査を繰り返していたから、調査の手順はわかっていたので、こういう調査が初めてだったIちゃんには、いろいろと説明をしながら進めていった。面倒な上司もいない、同期の新入社員同士2人の調査なのだから、気楽にやればいいのにと思うのだが、Iちゃんはずっと緊張の面持ちである。彼がこの時期までこういう調査の経験を全く持っていなかったというのは、ひとえにM澤さんがやらせなかったからなのだが、そのおかげで、またしてもIちゃんが歳下の私に引け目を感じる要因がひとつ増えてしまったようであった。

 Iちゃんは車の免許を持っていなかったので、私が運転をして、彼にはナビをしてもらった。ところが、普段あまり地図を見慣れていないからか、ナビゲーターをすることは難しいらしく、「あ、違った、ごめんなさい!」などと恐縮ばかりしている。別にこっちは何もプレッシャーをかけているつもりはないのだが、Iちゃんは自分が役に立たないということを強く意識しているらしく、どんどん元気と冷静さを失っていった。そのうち、あまりに必死に地図を見ていたので、彼の顔はどんどん青ざめ、吐き気を催してしまった。結局その後は地図を見るのが辛いだろうからと、無理をしないように言って、私1人で調査を進めるような格好になった。いつも机の前だけで仕事をしている彼の息抜きにはちょうどいいだろうと思っていたこの調査も、結局は彼の溜め息を増やす結果に終わった。

 調査も終わろうかというとき、車を方向転換させようとバックをしたら、塀か何かにバンパーをこすってしまった。普段ならもっと冷静にやっただろうに、この時はIちゃんに精力も判断力も奪われ尽くしたような気がして、彼には悪いが、1人だったらこんな下手な真似はしなかっただろうになと思った。まあ、それは言い訳かも知れない。とにかく、この日はIちゃんの息抜きをさせるどころか、逆に私が彼に血でも抜かれたような気分だった。

 これ程までに彼の影響力は凄まじい。影響力といえば、私は音楽の力をとても大きく感じている。疲れ果てているとき、大好きな音楽を聴けば体はみるみる元気になる。絵を描きながら、創造的な音楽を聴けば豊かな発想が生まれるし、乗り気でない残業も、ノリノリの曲を聴きながらやれば楽しく働けるものである。もちろん、この時の調査でも私の好きな音楽をかけ続けていた。『BRUFORD』の『GRADUALLY GOING TORNADO』のテープをかけていたことをなぜかよく憶えている。Iちゃんには音楽を楽しむ精神的ゆとりが無いようだったので、何も感じなかっただろうが、少しでもそんな余裕があれば、まだ救いはあったのかも知れないと思う。後のことだが、私が通勤時に聴いている音楽だと言って、ウォークマンをIちゃんに聴かせたことがある。『ADRIAN BELEW』の『YOUNG LIONS』で、その一曲目のタイトル曲だった。ジャングルの裸族が儀式で唄っているような、そんな声がフェイド・インしてくる元気づく曲だが、それを少し聴くと、ニコニコ笑いながらIちゃんは言った。

「世の中にこんな音楽を聴きながら会社に来る人がいるなんて、信じられないなあ」

 Iちゃんにとっては、会社に来ることは本当に辛く憂鬱なことだったようだ。

 2年目、IちゃんはM澤さんの下を離れ、違う部署へ異動となった。新しい上司は優しく公正な人だから、Iちゃんにとっては良かったのではないかと周りの皆は思ったが、当の本人は、自分の専門外の仕事をやらされることに対して、新たに挫折感を覚えていたようである。とはいえ、後に話したとき、M澤さんの話題がのぼると、

「僕は、M澤さんの下で一年間無駄にしましたよ!本当に無駄にした!」

 と、突然声を荒げて叫んだ程であるから、もちろんM澤さんの下へ戻りたいというわけではなさそうだった。IちゃんがM澤さんのもとで本当に時間を無駄にしたのかと言えば、それは全く彼次第の問題で、無駄にしたくなければ何も無駄になるはずはないのだから、相変わらず何事も他人に責任を被せる悪癖は改まっていないなと思ったものである。

 新しい環境では、彼の受けるプレッシャーもだいぶ和らぎ、だんだんと明るくもなってくるだろうという大方の見方とは裏腹に、Iちゃんの状態はどんどん悪くなっていった。上司の圧力が弱まった分、彼を会社へ通わせる気力が失われてきたようだった。遅刻が日常茶飯事になり、そのうち無断欠勤を繰り返すようになった。

 現在、東京大学の助教授を務めているS籐さんは、当時私やジャンク氏と組んで仕事をしていたが、M澤さんと違ってプレッシャーを全くかけない人であり、ダジャレ好きで気楽な先輩社員だった。M澤さんの仕事を9、S籐さんの仕事を1ぐらいの割合でやっていた私だったが、M澤さんの仕事の合間にするS籐さんとの仕事は、まさに砂漠の中のオアシスと言ってもよかった。そのS籐さんが私に言ったことがある。

「体、大丈夫?」

 M澤さんとの仕事で日に日に顔を緑色に変えていく私を心配して言ってくれているのだなと思った。ところが、次いでS籐さんの口をついて出てきた言葉は意外なものだった。

「入院なんかしないでよ。死ぬんならいいけど。死んだんなら、クライアントにも『いやあ、彼、死んじゃいましてねえ』って言えるから、じゃあ少し遅れてもしょうがないかってことにもなるけど、入院じゃさ、ちょっと説得するには弱いから」

 思わず吹き出してしまったが、要するにこういう人である。

 会社の定時は朝の9時半だったが、ある日、無断欠勤かと思っていたIちゃんが、夜の9時45分になって突然出社してきたことがあった。何かの用事で私とS籐さんが外へ出ようとしているときに、ちょうどIちゃんが入ってきた。すると、S籐さんが彼に向かって、すかさずこう言ったのである。

「駄目じゃない、I君。15分の遅刻だよ、ははは」

 S籐さんにすれば、ほんの軽い冗談で、Iちゃんをリラックスさせようというぐらいのつもりだったに違いないが、Iちゃんの側からすれば、猛烈な嫌味にしか聞こえなかったのではないかと思う。おそらくその日は会社へ行こうか行くまいか、大変な葛藤を重ねた末、己の責任感に従ってやっとの思いで会社まで辿りついたものだろうに、みんなになんと言われるかびくびくしながら入ってきた途端、大声で馬鹿にされてしまったようで、これはかなり傷ついたのではないかなと、横で見ながら心配をしたものである。

 その後のIちゃんはもう歯止めがきかなかった。3年目になると、続けて何日も出社しないことが珍しくなくなっていた。そのころには会社でも彼を特別に扱い始めていて、専務が声をかけに来る光景が時折見られた。当然、彼の働きを期待できるような状況ではなくなり、会社側としても、とりあえずは彼の状態が良くなることを第一に考えているようだった。幸い、すぐに彼の首を切ろうというような発想をする会社ではなかったが、あまりにも好転しないようであれば、最悪は席を失うことになることも当然予想された。

 程度の差こそあれ、『いったい、Iちゃんはこの先どうなるのだろうか』という思いは、みんなが抱いていたことだったと思う。最初は些細な事だったのかも知れない。あるいは、相当につらい状況があったのかも知れない。いずれにしろ、勇気が足りなくて、見ない振り、感じない振りをしたのだろう。そんなことを何度か繰り返すうちに、それが彼の当たり前の態度になってしまった。言い訳をし、全てを他のものに責任転嫁して、何事からも逃げ出してしまう長年の悪習慣は、彼の精神を驚くほど弱く矮小にしてしまい、彼自身が積み残してきた問題は、彼の小さな精神で立ち向かうにはあまりにも巨大になりすぎてしまった。

 彼に残されている道は、2つしかなかった。1つは、今まで置き去りにしてきた己への課題をほんの少しずつでも、確実に乗り越えていくこと。もしかすると、既に遅すぎたかも知れない。背中を向けて走り去り続けてきた彼を立ち止まらせ、振り向かせて、全てをそこで受け止めさせるようにしむけるには、本当に魂の底から彼を立ち直らせたいと願っている人間の、徹底的に親密で粘り強い愛に溢れた努力が絶対に必要である。残念ながら、彼にそこまで尽くせる人間がいるのかというとそれは疑問であった。彼がそれまで生きてきた環境に、そういう役割を果たしてくれる人がいなかったことは確かなのである。そうでなければ、彼は30歳になるこの時まで、これ程の悪化を続けることはなかったはずだからである。だが、たとえ誰かがどんなにあがいてみたところで、彼を立ち止まらせることさえできないかも知れない。彼の状態はそこまで深刻なものだったと思う。

 もう1つの道は、ひたすら逃げ続けることである。今まで彼が通ってきた道をひたすらに突き進むことである。ただし、その先に何があるかといえば、何もない。明るい結末も、喜びも、希望も、発展も、改革も、何もない。あえて挙げるなら、最悪の結末としての経験と仕切直しの機会である。それは周りの人間にとってのことでもあり、彼自身にとってのことでもある。そう、私は信じている。

 Iちゃんに対しては普通に接することが難しくなってきていた。彼の不安定な精神状態を目にしていれば、なんとなく応対がぎこちなくもなっていたのだろう。ある日、トイレで一緒になったとき、Iちゃんが私に向かってこう言った。

「最近、私のこと嫌ってるね」

 私はすぐに「そんなことないよ」と答えた。実際、彼を嫌っている気持ちは一切なかったと言っていいと思う。ただ、なんとなく以前より距離を置いてしまっていることは確かだったかも知れない。このとき、私の気持ちをもっとちゃんと説明しておけば良かったと後に思ったが、だからといって何かが好転しただろうかと問えば、そんな簡単なことではなかっただろうとも思う。

 Iちゃんの様子がもう限界に近いように見えた頃、廊下の向こうにあるトイレの中から壮絶な音が聞こえてきた。部屋の入口の扉も、トイレの扉も開けっ放しだったものと思われるが、それは、どうしようもないストレスのためか、吐き気を催したIちゃんがトイレの中で嘔吐する呻きだった。何度も何度も大音量で繰り返される、その声とも言えない凄まじい音響に、会社中の人間が言葉を失い、青ざめた表情で側にいる人間同士お互いの顔を見合った。その場を強い不安感が覆い、皆、なにか言いしれぬ暗い予感を持った。

 3年目の夏頃だったろうか。私が調査かなにかで終日外へ出ていて、2日ぶりに会社へ顔を出すと、後輩の1人が私を隅の方へ引っ張っていって、勢い込んで話し始めた。

「ちょっと、ちょっと、聞いてくださいよ!昨日、Iさん大変だったんですから!」

 何事かと聴いてみれば、後輩がタバコ部屋でIちゃんと2人になったとき、突然Iちゃんがなんの脈絡もなく、女の子にふられた昔話を始めたのだという。そのときのIちゃんの眼つきが尋常ではなく、とても恐かったのだと後輩は必死に語った。そして、Iちゃんは他の人達に対してもいろいろと奇妙なことを口走ったらしく、上司らの判断で親族へ連絡が取られ、病院へ行くように手配がされたのだという。Iちゃんは事実上、休職状態となった。

 この一ヶ月後ぐらいだったろうか、彼は一度会社に顔を見せている。その時の彼は以前のIちゃんと変わりなく、噂で聞いた奇妙な言動などは全く想像できないほどに、むしろ明るかった。私が「調子どう?」と訊くと、「うん、いいですよ。薬で随分落ち着いてるんだよね」と笑顔で答えた。結局、これがIちゃんと私との最後の会話となった。

 その後数ヶ月がたっても、Iちゃんは会社に姿を見せることはなかった。しかし、噂では症状も好転してきており、母親と一緒に通勤のための訓練をし始めているところだという。この分なら復帰する日もそう遠くないだろうとの話だった。ただ、彼が休んでいる間に、中途採用や異動などもあって、Iちゃんの席は既になくなっていた。もし、急に彼が会社に現れて、その事を知ったら、相当にショックを受けるのではないかと皆で話していた。だが、その心配も結局は無用のものとなった。

 秋も深まった頃、M澤さんの机の内線が鳴った。いつも馬鹿でかい声で話すM澤さんが、その時に限って聞き取れないほどの小さな声で会話している様子を見て、私は妙なものを感じた。受話器を置いたM澤さんは、すぐに私の名前を呼んだ。私がM澤さんのところへ行くと、彼は小声でこう言った。

「I君がね、亡くなったって」

「えっ?!亡くなったんですか?」

 私は正直驚いた。あまりにも予想外のことだったからである。

(そういえば、彼は随分と空咳などもしていたし、あれだけ長期間のひどいストレスがあれば、体の方もおかしくなっていて当然だったかも知れない。それにしても、命に関わるほどの病気をしていたとは知らなかった)

 すぐに、そんなことを思った。

「どうも、自殺したらしい」

 次にM澤さんが語った言葉に、私は再び驚いた。それこそ、全く考えてもいない事だったのである。しかし、Iちゃんの行動を理解することはできた。考えてみれば当然の帰結であるとも思った。むしろ、それまで何も予想していなかった自分が随分と間抜けに思えた。

 後に聞いた話だが、ああいった精神の病に陥った場合、治りかけたときが一番危険なのだという。結局、Iちゃんはとことん逃げ続ける道を選んだわけだが、言わば、逃げ場を失ったIちゃんがやっと見つけて逃げ込んだのが、あの精神病と呼ばれる状態だった。そこにいる限り、現実に目を向ける必要はもはやないのである。それは、間違いなくIちゃん自身が、少なくとも彼の多くの部分が、望んだことだった。しかし、彼の一部がそれに抵抗をし、または周囲の人達が無理矢理に彼を現実に引き戻そうと努力をした結果、Iちゃんはその一時避難場所から引きずり出されてしまった。いまだ何も準備ができていないのに、再び現実を直視することを要求され、かつての不安と恐怖の中へ放り込まれたのである。病気という世界へ戻りたくとも、強力な薬などの力によりそれも叶わないと知ったとき、Iちゃんは、最後に残された唯一の逃げ道へ文字通り身を投じたのである。

 その日、彼はとても“調子がよかった”のだという。すっかり以前の彼に戻ったと思えるほどに“普通”だったのだという。その様子を見て、両親は希望を膨らませ、喜びを感じていた程であった。しかし、Iちゃんにとって、普通に戻るということは、生きる苦痛、不安、恐怖を再び感じることだった。

「飛び降りた場合の遺体の状態というのは随分とひどいことになることが多いと、警察の方もおっしゃってましたけど、どういうわけか、息子の場合は、どこを打ったのか全然わからないぐらいきれいな状態でしてね。それだけが本当に救いというか、ありがたかったと思ってます」

 葬儀の時、Iちゃんの父親が私にそう話してくれた。

 Iちゃんが亡くなってから1年近くが過ぎたころかと思うが、Iちゃんと私に絡んだ後日談がある。

 ある日、私は机の下へ消しゴムを落としてしまった。消しゴムを拾って、机の下から這い出そうとしたとき、机の引き出しの下面になにやら白い物を発見した。見ると、それはお経をコピーした紙切れだった。丁寧に両面テープで貼りつけてある。私はそれを剥がし、どうしてこんなものが貼ってあったのか、周りの人に心当たりを聞いてみた。すると、1人のバイトの女の子が、「私、知ってる〜」と言った。誰かに口止めされているらしく、なかなか話そうとはしなかったが、しつこく訊くとようやく口を割った。

 そのお経を貼ったのは、ある女性社員だという。彼女の叔母が霊能者であるという話は、なにかの折りに話題にのぼっていたから私も知ってはいたが、どうも彼女はその手の話について何かと騒ぎすぎる傾向があるので、ほとんど私は耳を傾けることがなかった。具体的にどんな風に語られたのかは知らないが、とにかく、その彼女の叔母である霊能者が、この私に霊が憑いていると言ったそうである。そして、その憑いている霊の正体というのが、Iちゃんだというのである。それで、お札代わりなのか、お経のコピーをこっそりと私の机の裏に貼っておいたというわけである。

 私は笑った。霊の存在を否定するわけではないが、当たり前のように肯定するつもりもない。ただ、もしIちゃんが憑いているのだとすれば、そのことで私に何が起こっているのだろうかと思った。お経を貼るからには、おそらくあまり良いこととは思っていないのだろう。むしろ私に害をなそうとしているとの見方に違いない。されど、Iちゃんが亡くなって以来、私には不思議なことも、不幸なことも別になにも起きていない。それは現在に至ってもそうである。裕福でないことは確かだが、それはIちゃんが亡くなってから始まったものでもない。そもそも、何故にIちゃんが私に憑くのか。救いを求めているというならわからないでもないが、私には特に何をする手立てもない。もしも恨みごとがあるならお門違いだ。逆恨みである。もっと恨んでいい人は他にいるだろうと言いたい。

 何も変なことは起こらないが、今でもIちゃんは時々夢に出てくることがある。夢の中のIちゃんはいつもの彼であり、当たり前のようにそこにいる。特に何かを訴えるわけでもなく、苦しんでいるような様子もない。彼が私の夢に出てくるのは、私に憑いているからではなくて、私が彼の人生をちょくちょく思い出すからだろうと思う。私の頭の中は、彼の肉親を除けば、他の人達に比べてIちゃんのことを考える比率が高くなっているかも知れない。いわばIちゃんの断片が、私の想念の中に少しだけ組み込まれている状態と言えるのかも知れない。そのへんの事を、霊能者は感じ取ったのかも知れない。

 Iちゃんの人生を通して、私は多くの事を考えることができた。私にとどまらず、彼の生き方から何かを得た人々は少なくないと思う。この文章を通じて、彼の人生に接した人々が増えることは喜ばしいことだとも思う。Iちゃんは、一見、反面教師のようになってしまっているが、とことん逃げ続けた人生というのは、どこかで誰かがやらなければ、誰も知ることのない生き方である。人生が一度きりのわけがないと私は信じるから、そうした意味では、もともとIちゃんは、ネガティブな立場という体験をこの人生でしゃぶり尽くすつもりだったのかも知れない。徹底的にやるから影響力も増すのである。生まれついての完璧主義者のIちゃんが、ネガティブな立場の人生を完璧に演じて、そして堂々と退場したのだ。『無駄な人生などひとつもない』という言葉を、この文章を書きながら強く噛みしめた。

 今度、10年目で初めて、Iちゃんの墓に挨拶に行こうと思う。墓に彼が待っているなんて事はこれっぽっちも思ってはいないけれど。

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