パラビオシス
ホーム      前へ INDEXへ 次へ
不幸について 〜その3〜

 杉村(仮名)は高校2年の時に編入してきた。もう20年近くも前のことなので、詳しいことはよく覚えていないのだが、彼はなにか病気を持っていて、その治療のことも考えて、東京から仙台に転勤になった父親についてやって来たのだとか、そんな説明が担任教師からあったような気がする。もしかしたら本人が語ったのかも知れない。とにかく、彼が病気であるということは、早いうちにみんなが知っていたような記憶がある。ただし、何の病気なのか、詳しいことは誰も(教師達は知っていたかもしれないが)知らなかった。

 彼はちょっと小柄だった。平均に比べると10センチぐらい小さかった。それが、病気のせいなのかどうかはわからない。クラスには同じような身長でも、大変に健康で運動神経抜群の男もいたから。杉村は、おとなしく、朗らかで、親しみやすい人柄だった。私はさほど仲がいいわけではなかったが、話す時にはなんともいえない気持ちの良さを感じた。力が抜けていると言うのか、気負いや力みがないと言うのか。私は杉村を頭のいい男だと思った。賢そうな顔をしていた。本来ならわざわざこの程度の学校に来るような奴ではないのではないかと思った。おそらく病気が原因で勉強に集中できない時期が度々訪れていたのではないかと思う。私がなんとなく感じる彼のポテンシャルから比べると、物足りない成績をとっていたような印象がある。そもそも、彼の中には必死に勉強をする必要性とか必然性が存在していなかったのかもしれない。仙台に持ってきた彼の人生プランはそんな汲々としたものではなかったに違いない。

 普段の学校生活の中で、彼がどこかに病気を抱えていると感じさせるようなことは、少なくともクラスが一緒だった2年生の間には、特になかったように思う。体育の時間は休みがちだったような気もするし、普通に出ていたような気もする。ただ、彼はスキー部に入っていたらしい。だから、運動が出来ない状態ではなかったことは確かである。修学旅行は2年生のときだったが、杉村も森田も堀内もみんな元気に参加していた。この時の写真では、みんなが健康そうに見える。

 この記憶もまた定かではないのだが、3年生の夏休み頃から杉村が入院をして、休み明けしばらくの間、学校を欠席したように思う。3年生のときは彼とクラスが違っていたから、なんとなくそんな噂を耳にしたという状況だった。杉村が学校に出てきたとき、彼の姿を見ると、随分と太って、また顔がかなりむくんでもいた。

 ある時、私は廊下で杉村に話しかけた。

「ずいぶん太ったね。大丈夫?どこが悪いの?」

 親友というわけでもないのに、こういうことを直接訊く人間はあまりいなかっただろうと思う。だが、そんな私の不躾な質問に対しても杉村は笑顔で答えた。

「当ててごらん」

 私は腎臓とかそのへんの病気を想像していた。そこらへんの病気の治療に使う薬の副作用で身長があまり伸びず、太ってしまったという人の話を聞いたことがある気がしたからである。私は言った。

「腎臓?」

「はずれー」

「肝臓?」

「はずれー」

 なかなか当たらない。よもやと思って心臓と言ってみたが、それも違うという。私は思いつく内臓を全て言い尽くしてしまった。ほかに知っている内臓はない。すると答えに窮している私をおいて、杉村は歩き始めた。

「考えておきなよ」

 そう言って立ち去ろうとする彼の後ろ姿に向かって、私は忘れていた一つの名称を叫んだ。

「脳!」

「当ったりー!」

 杉村はそのまま階段を駆け下りていった。

「脳?」

 脳とは意外だった。言ってはみたものの、はずれに違いないと思っていた。杉村の答えももしかしたら冗談なのではないかと、このときはまだ半信半疑だった。

 家に帰ると、看護婦の経験を持つ母に、杉村の病気のことを尋ねてみた。すると、母は少し難しい顔をして言った。

「それは脳腫瘍だよ。顔がむくむのは抗ガン剤の副作用なのよ。かわいそうに、助からないよ、たぶん」

 驚いた。おそらく杉村は自分が脳腫瘍に冒されていることはもちろん、命が長くないことも知っているのだろうと思った。それを示す確たる根拠はないけれど、彼の持つ不思議な落ち着きが、かえってそのことを語っているような気がした。

 その後、病気について杉村と言葉を交わした記憶がない。どう話して良いものかと悩んだ結果というわけではない。ただ、なんとなく話す機会が訪れなかっただけではないかと思う。だが、杉村のいつもと変わらぬ朗らかな姿を見かけるたび、自分を見失うことのない彼の勇気とでもいった心の強さに感心し、また不思議にも思った。

 杉村は無事高校を卒業し、そのまま仙台の大学に進んだ。表面的には普通の学生となんら変わるところもなく、学生生活を楽しんでいたと思う。大学の一年目も半ばを過ぎた頃、街中の本屋で杉村にばったり会った。そこには以前と変わりのない彼の姿があった。 あまりにも普通なので、病気は治ってしまったのか、あるいは命に関わる病気だという母の見方がそもそもの間違いだったのだと、私は考えをほとんど改めた。杉村の顔をまじまじと眺めながら、頭の中ではそんなことをずっと考えていたのだが、直接杉村に病気の話を持ち出すことがなんとなくためらわれて、最後までそのことについては触れずじまいだった。結局、これが杉村との最後の別れになった。それから何年もしないうちに彼が亡くなった、という話を随分あとになってから耳にした。

 杉村は、仙台にやって来たときには、既に覚悟ができていたのではないかと思う。もちろん、希望も捨ててはいなかっただろうが、それよりも、残された時間を有効に使おうという、言うなれば開き直りのようなものを心の中に作り上げていたのではないかと思う。 だが、彼を見ている限り、そこには焦りとか気負いといったものが感じられなかった。あくまでも、自然でいること、普通でいること、当たり前に生活を楽しむことを最大の目標として、最後の時間を生き尽くしたように思う。杉村が人生の最後に過ごした『普通の生活』は、他の我々の持っていた普通の生活の、何倍も、何十倍も濃密な『普通の生活』だったに違いない。

ホーム      前へ INDEXへ 次へ