フランク・フリップ
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イエス 〜Yes〜

 はい、イエスです。ちょっと早かったか。2つ前はELPだったので、5大プログレはもう少し出し惜しみをしたほうがよかったかも知れない。後々、退屈なアーティストばっかり続く懸念がある。といっても、書き始めたので書く。

 中一の時、勉強の苦手な女子生徒がいた。おっかない英語教師の授業中、その怒ってばかりいる教師がその子に英語で質問をした。教科書の後ろの方に載っかっていた色々なものの絵のうち、一つを指さして、

「What's this ?」

 ドスの利いたダミ声で、睨みつけるようにして訊いた。

 すると、その子は目を泳がせながら、恐怖に満ちた表情で答えた。

「イッ、Yes,it is.」

「『これはなんですか?』、『はい、そうです』ってことがあるか、バカヤロウッ!!」

 安田(先生)は眼をむき、顔を真っ赤にして激怒した(おっと、実名を出してしまった。まあ、随分昔のことなので)。怒鳴られたこの女の子がとても不憫に思えたのを憶えている。

 これと同じYesである。日本語で言えば『はい』だ。英語はいいなあと思う。『はい』なんてバンド名は日本じゃ普通は成り立たない。言い換えてみたって、『うん』だの『そう』だのでは決まらないことこの上ない(だが、きっとアマチュアのコピーバンドには『はい』ってバンドが存在しているか、少なくとも過去には存在していたに違いない。おそらくかなりの確率で、『はい』という平仮名をイエス風に無理矢理ウニョーッとくねらせたロゴだったりするはずだ)。地名バンドにしてもそう。むこうじゃ『Boston』、『Kansas』、『Chicago』と色々あるが、日本じゃあまりピンとこない。『仙台』だの『東京』だの『大阪』ではバンドとは思えない(『Tokio』だの『Kinki Kids』なんてのは本来の日本語とは言えないので考慮対象外)。『警察』だって、定冠詞を付ければ『The Police』ってバンドになってしまうが、日本語には定冠詞なんてないから、そんな手も使えない。定冠詞といえば、極めつけは『The The』だが、こんなバンド名は日本語では不可能なのである。無理して言っちゃえば『そのその』だが、これも正しくはない(だが、この『そのその』というバンド名は悪くない。ちょっと気に入った)。

 そんなことはともかく。

 イエスと言えば、『こわれもの / Fragile』、『危機 / Close To The Edge』あたりが名盤で、一番の駄作は『海洋地形学の物語 / Tales From Topographic Oceans』だろうというのが概ね固定された評価だろう(最近のよく分からないアルバム群は除いての話)。そこのところは私も同感。そして、『ドラマ / Drama』はイエスのディスコグラフィーから外してもよいなんてことを言ってる人達が多いことも事実のようだが、その点については反対である。気持ちは分かる。こういう気持ちの人達がディシプリン・クリムゾンをやはり許せない人種なのだということも明らかなんだが、そういうことでどうするか!ジョン・アンダーソンがいないと、そんなにいけないのか。確かにトレヴァー・ホーンはあまり格好いいもんじゃない。変なグラサンをかけて、ちんちくりんで華がないなんてもんじゃないが、それにしたって、ジョン・アンダーソンだってそんなに素敵なわけじゃない。まあ、華は確かにこちらの方がある。だが、ちんちくりん具合は変わらない。だいたい、トレヴァー・ホーンのボーカルは多少発音がダラッとしてるが、概ねジョン・アンダーソンのようじゃないか。バグルスの『レンズの中へ / Into The Lens』(バグルスのアルバムでは『アイ・アム・ア・カメラ / I Am A Camera』という曲名)をそのままもって来ちゃったのが気に入らないかも知れないが、『ラジオスターの悲劇 / Video Killed The Radio Star』が入っていないだけ良かったと思えばいい。何をかくそう、私が最初にイエスを知ったのがこの『レンズの中へ』なのである。中学の時、たまたまエアチェックした曲の中にこの『レンズの中へ』があった。すぐ借りた『ドラマ』も、当然、なんの先入観もなく素直に聴いていたので、その後、他のイエスのアルバムと客観的に聴き比べることが出来た。その結果、どう考えてもこのアルバムはかなり出来が良いという結論に至る。とても無視して良いような代物ではないのだ。ここで分かることは、クリス・スクワイアこそイエスの屋台骨だということである。

 『リレイヤー / Relayer』のあと、メンバーがそれぞれソロアルバムを作ったが、その中で唯一出来の良いアルバムを作ったのがクリス・スクワイアだ。ビル・ブラフォードやメル・コリンズも参加して、とても豪華な音づくりである。スクワイアのボーカルはわびしいけれど、この『未知への飛翔 / Fish Out Of Water』は名盤だと私は思っている。ジョン・アンダーソンやスティーヴ・ハウの作品は、いかにもソロ・アルバムですといった地味なもので、とりわけスティーヴ・ハウの『ビギニングス / Beginnings』はあまりといえばあんまりだと思う。クリス・スクワイアをも下回る貧相なボーカルで、「オ〜ストラリア〜」と唄われたときには耳を疑った。がんばって2、3回聴いたとは思うが、すぐにしまい込んでしまった。

 それにしても、この才能あるクリス・スクワイアも、太って、歳とって、枯れてしまったのか。90125イエスの『ロンリー・ハート / Owner Of A Lonely Heart』を聴いたときには実にガッカリしたものである。「こんな風になっちゃったのかあ」と、この時期、ポリスの『見つめていたい / Every Breath You Take』とダブルでガッカリしたのをよく憶えている。アルバムとしては『ロンリー・ハート / 90125』は悪くないとは思うが、これこそイエスではない。そもそも“シネマ”という別バンドだったらしいから、音が違うのは当たり前なんだが、それにしてもあの無個性のギタリスト、トレヴァー・ラビンの一番のファンは俺だと豪語しているクリス・スクワイアの姿を見て、この人のことがなんだかよく分からなくなる。どんなに頑張って優れたアルバムを作ったとしても、自分が前面に出ていてはアルバムは売れない、ということをスクワイアは冷静に自覚しているのかも知れない。

 しかし、トレヴァー・ラビン以降のイエスはイエスじゃないなんて言ってるのは、ディシプリン・クリムゾンがクリムゾンじゃないと言ってるのと変わらないなあと気が付いた。だが、ディシプリン・クリムゾンは質が高いが、トレヴァー・ラビン以降のイエス、特に、ついに私も手を出さなくなった最近のイエス(実のところ聴いてないから知らないんだが)は確かに質が劣っているのであるから、そこには大きな違いがある。なんにしても見るに忍びない落ちぶれ具合なのである。

 ところで、かつてABWHおよび8人イエスをライブで見たが、懐メロ大会がとても楽しかった。ただし、私が最も楽しんでいたのは、ブラフォードのドラムソロである。特にABWHでのトニー・レヴィンとのデュエットは夢心地だった。これは全くイエスとは関係のない演奏で、どう聴いてもクリムゾンのステージの一部のような音だったのである。当時はディシプリン・クリムゾンとヴルーム・クリムゾンとのはざまにあって、クリムゾンの復活を日夜祈り続けていたような時期であったから、思わぬ大収穫に文字どおり感動に打ち震える私だった。私はこの他に、クリムゾン、アースワークス、BLUEにおけるブラフォードの嬉々とした生演奏を見たが、これらに対して、イエスでの演奏ときたら本当につまらなそうで、かわいそうなぐらいだった。最近はクリムゾンに対しても同じ感覚を持ってしまったんだろうなと思うと、非常に残念である。戻ってきてくれないかなあ、クリムゾンに。パット・マステロットには出ていってもらうからさあ。だって、言っちゃ悪いけど、あの人は格好悪いんだもの。

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