フランク・フリップ
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〜U.K.〜

 もう10年ぐらい前になるが、ジョン・ウェットン主導でUKは再結成されかけた。エディ・ジョブソンと共に作曲作業をして、部分的には録音まで入っていたが、結局は頓挫してしまったようだ。ドラマーにはビル・ブラフォードが参加を了承していたというし、場合によってはテリー・ボジオまで参加するかも知れないとウェットンは言っていた。おまけにロバート・フリップや、どういうわけかアラン・ホールズワースまでゲスト参加する可能性を示唆していたから、つくづく残念である。当時、ブラフォードは“ヴルーム”クリムゾンに参加していたため、結局UKにかかわっている暇がなかったのだろう。ボジオもあっちこっちに引っ張り凧の人のようだから、結局メンバーが揃わなかったのかも知れない。

 UKの発起人はジョン・ウェットンとビル・ブラフォードであるが、最初に声を掛けたのはウェットンのほうだった。当時、クリムゾン解散から2,3年ほどで、ユーライア・ヒープやロキシー・ミュージックにかかずりあっていることに嫌気が差したウェットンが、もっと音楽的に面白いことをやろう、とブラフォードに連絡したところ、ブラフォードも乗ってきた。2人とも、『レッド / Red』を完成させた最終期のクリムゾンに対しては自信も手ごたえも持っていたし、気持ち的にもノリノリでやる気満々であったのに、フリップの意向で解散させられてしまったことをひどく悔しがっていたから、クリムゾン的なもの、できれば『レッド』の延長線上にあるような音楽を目指していたのだろう。当初はキーボードにリック・ウェイクマンを入れてベース、キーボード、ドラムスというELP構成のトリオを考えていたが、ウェイクマンがイエスに復帰するなどで、結局ロキシーの繋がりからウェットンがエディ・ジョブソンを引っぱってきた。ところが、すぐにギタリストの必要性を感じ、ブラフォードのソロアルバム、『フィールズ・グッド・トゥー・ミー / Feels Good To Me』に参加していたアラン・ホールズワースを招いた。といったことで、4人UKラインナップがここに揃ったわけである。

 ところで私はこのラインナップによるファーストアルバム『U.K.』をそれほど気に入っていない。豪華なメンバーによる高度な演奏かもしれないが、音楽的にはまとまりに欠ける印象がある。散漫で焦点が定まっていないと言うべきか。そもそもウェットンの目指す音楽が、ブラフォード・ホールズワース組の音楽性とは相容れなかったのだろう。少なくとも、ホールズワースからすれば全く興味の対象外にある音楽らしい。いや、興味の対象外どころではない。ホールズワースの言によれば、

「UKはどうだったかって!? あれは最悪だった。あんなバンドに参加した事自体恥だと後悔してるよ」

 とのことで、ウェットンとしてはひどい言われようだ。だから、再結成UKにホールズワースが関わる可能性があったことがとても不思議なのである。もしかすると、ウェットンはそこまで言われていることを知らずに声を掛けたのかもしれない。

 ホールズワースにそそのかされてか、あるいはやはりフリップ抜きでウェットンに付き合うのは辛いと思ったからか、結局ホールズワースと共にUKを抜けてしまったブラフォードは、彼のファーストソロアルバムの参加ミュージシャン達(ホールズワース含む)を集めて“ブラフォード”という安直なネーミングのバンドを結成した。名前のとおり、ブラフォードのソロアルバムの続編的なジャズ寄りカンタベリー寄りの音づくりで、もちろん商業的に大成功できるようなタイプの音楽ではない。そのあたりのこともあってか、「UKのようにやれ」と、周囲があまりにもうるさく言ったので、ホールズワースはまたもや嫌気がさして、一作に参加しただけで、すぐさまこのバンドからも抜けてしまった。

 2人になってしまったUKのほうはといえば、やはり最初の構想通り、ベース、キーボード(+バイオリン)、ドラムスというELP構成でやり直そうということになった。そこで出てきたのが、ジョブソンと共にザッパバンドで鍛え抜かれた、達人テリー・ボジオである。アメリカ人だ。

「クリムゾンはイギリス人のバンドだ」

 などと、後にディシプリン・クリムゾンに不平を言ったらしい(自分が混ぜてもらえなかったやっかみが大半の発言だと思うが)ウェットンだが、“U.K.”だというのにアメリカ人を入れてしまった。かつての“Japan”なんてバンドはみんなイギリス人だったわけだから、どうでもいいっちゃどうでもいいことかもしれない。クリムゾンはイギリス人じゃなきゃいけないが、UKはなに人でもいいということか。

 3人で作り上げたセカンドアルバムの『デンジャー・マネー / Danger Money』は、ファーストアルバムよりも遥かに完成度が高いと思う。ウェットン期のクリムゾンが『太陽と戦慄 / Larks' Tongues In Aspic』から『レッド』へと発展したのと同様の進化がこのUKの2枚のアルバムにもあると思う。大衆受けしやすい『レッド』よりも『太陽と戦慄』を好むマニアがいるように(それというのは、誰にでも分かる音ではなく、通にしか分からない音を俺は理解して楽しめるのだ、という優越感的心理が少なからず働いているものだと思うけれど)、『デンジャー・マネー』よりも『U.K.』を評価する人も少なくはないかも知れないが、ウェットン本人とすれば、セカンドアルバムの出来に関してはより強い手ごたえと自負を持っていたに違いない。彼の理想とする“プログレ”の姿がかなりの部分で具現化したと感じていたのではなかろうか。

 しかし、時代はパンク、ニューウェーブが台頭しだした頃であった。プログレの火を絶やすなとも言うべき精力的活動を行っていたUKは、おそらく世界でもっともUKを愛した国、日本でも素晴らしい公演を行ったらしい(見てないので私は知らない)。その素晴らしいライブの模様は、一枚のダメダメライブアルバム『ナイト・アフター・ナイト / Night After Night』に納められているが、そのライブを見に行った方によれば(ネットで見つけたライブ報告なんだが)、当時の現場の興奮と感動は、このライブアルバムからはほとんど伝わってこないとのこと。どうしてあんなに素晴らしいライブがこうなっちゃうのかなあ、といった感じらしい。そのあたりのセンスもまたウェットンならではなのか。

 ただし、あのアルバムにはウェットンお決まりの名文句が入っているから、それだけで喜んでる人もいないことはないかも知れない。曰く、

「キミタチ、サイコダヨ」

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