フランク・フリップ
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ポリス 〜The Police〜 その2

 2008年2月14日のバレンタインデーに、『ポリスのどうした風の吹き回し復活ツアー』(ツアーの正式名称じゃない)東京ドーム公演に行ってきた。ちなみに東京ドームは私の勤める会社から徒歩でも行けるところだけれど、多少早かろうということで一駅だけ地下鉄に乗って行った。なんて情報は読者にとってはどーでもいいことであって、こういうのを『冗長』と言う(だったら消しとけという話だが、せっかく書いたので残しておこう)。

 東京ドームはご存知の通り読売ジャイアンツがフランチャイズとする野球場であって、コンサートホールじゃないのだ。音響の良かろうはずがない。おまけにキャパがでか過ぎて後方の席からなんてほとんどなんにも見えやしないわけで、私はこういう会場でコンサートをやろうという発想が嫌いだ。客の数も半端じゃない上、アリーナ席が13,000円という馬鹿高さと来ちゃ、少ない仕事でガッポリ儲けちゃおうという不誠実さが感じられる。本来ならもう少しリーズナブルな値段で、小さめの会場での丁寧なライブを重ねてこそ受け取る価値のある金だろう。それでこそ客は満足もし、そのアーティストをより好きになろうというものだ。そういう義憤を多少なりとも感じていたということが、今回のライブの満足度にも影響を与えていただろうことは否定出来ない。

 東京ドームは野球場だが、イベントはコンサートだ。私は会場の管理というものはイベントの内容によって決まってくるものだと思っていたが、どうやらそうではなくて会場の性格によって決まってくるものらしい。野球場ではグランドに投げ込む危険物を無くすために、最近ではペットボトルが持ち込みできないようになっている。ペットボトルを持ってきた客は、入口で中身を紙コップに移させられる。基本的にはそれと幼児の入場禁止ということだけが制限だ。あとは野球を見ている時と同じ。会場内での飲食は自由だし(ビールも販売していたようだ)、録音、撮影についても注意をして見ていたが、『禁止』というアナウンスも掲示も無かった。というわけで、一緒に行った私の兄は、係員の側で終始しっかりビデオ撮影をしていたし、他にもちょこちょこ撮影している人達は見受けられた。もっとも、手持ちの機械じゃたいした画質音質を期待出来ないだろうけれど。

 ポリスに先立ち、『Fiction Plane』というイギリスの若手バンドが前座を勤めた。メンバー、楽器構成はポリスと一緒の3人組で、ボーカルの兄ちゃんはスティング風の声質だし、レゲエ風のリズムをモロに取り入れた曲もあって、すっかりポリスのフォロワーと思われる。最初ちょっと聴いた時にはなかなかいいかなと思ったが、どうにもメロディーに魅力が足りない。音には切れがあるし、演奏もしっかりしてるが、これ、という個性が薄い。良くも悪くも今風という感じで、売れるかどうかは今の若い人の好みだろうから私にゃわからん。今回の日本滞在が長かったようで、随分と日本語を使いこなしていた。また秋に来るとかなんとか。

 で、メインのポリスだ。

「一曲目は何かなあ」

 という話を兄として、私は『Next To You』に違いないと言った。なんたって、ファースト・アルバムのド頭の曲だし、あれで始まればライブにも勢いがつこうってもんだ。が、結果は大外れ。『Next To You』は最後の最後で演奏された。オープニングは『孤独のメッセージ /Message In A Bottle』だった。

 私はポリスを生で見るのは初めてだし、ファンだと言って間違いないと自覚していたから、生ポリスを見た時には結構興奮するかと思いきや、実際にはこれといった感慨がなかった。これほど感慨浅いこともかつてないぐらいなんだが、理由はよくわからない。スティングもアンディ・サマーズもソロ作はずっと追っかけていたし、長らく音沙汰のなかったスチュワート・コープランドについても、去年発売のDVDでその姿を見ていたから、

「ああ、こんなになっちゃって」

 という驚きがそれほどなかったってことはあるかも知れない。いや、違うな。生で見て感激するかどうかというのは、老けちゃったことに対する感慨とは別のものだ。つまりは、私はポリスに対してはあまり身内感を持っていなかったってことなんだろう。思っていたほどのファンじゃなかったってことだ。

 率直に言えば、なんだか面白くない、というライブだった。終始立ちっ放しだったし(私は当然座っていたかったが、皆が立つもんだから立たざるを得ないといういつもの状況。でもアリーナ席で、狭くてメチャクチャ堅いパイプ椅子だったから、立ってる方が楽だった気がする)、ノリノリで楽しんでいる人も沢山いたようだから、内容的にはそんなにヒドイもんではなかったのかも知れないが、でも、

「素晴らしい!」

 というほどのもんでもなかったことは確かだ。

 昔、ライブ未経験の頃は、ライブというものに対してはなんの価値も魅力も感じ得なかった。芸術作品としては、あきらかにスタジオ製作されたもののほうが完成されているに決まっているのだから、わざわざ金を払って粗雑な生演奏を聴きに行く理由がどこにあるのか、なんてことを思っていたものだ。しかし、ライブとはそういうものじゃあない。目の前に本物のアーティストがいる、ということに価値がある。スタジオ版のオリジナルとは異なる演奏による迫力や緊張や楽しさがある。客の生の反応を楽しむアーティストを見て、さらに客がそれを楽しむ。それがライブの良さであって、そういうことを充分に感じさせてくれたアーティストは沢山いた。例を挙げれば、キング・クリムゾンはもちろん、ELPもエイジアもデヴィッド・ボウイも素晴らしかった。

 が、今回のポリスはといえば、オリジナルのアルバムを聴いてた方がよっぽど魅力的だなあ、という演奏のオンパレードだったように思えてならない。音のバランスが悪いのは会場のせいもあるかも知れないが、それでも3人だけの構成というのは、特に後半のポリスの作品を演奏するには不充分じゃないかと思う。かつてのような女性3人のバックコーラス隊はいらないが、多少なりともサポートメンバーのミュージシャンが必要だったんじゃなかろうか。素朴な原点に還った演奏といえば聞こえはいいが、要するに単純化した手抜きだったと言えなくもない。ソロでもそれぞれ活躍するあれだけのミュージシャンが3人集まっているのに、これといったソロ・パフォーマンスも無く、ただ過去の曲を粗い演奏でなぞっただけでは、決定的にサービス精神が足りないのではなかろうか。安けりゃまだいいが、内容的に13,000円の価値があったかといえば、そりゃあ無かったと断言出来る。なんたって、オリジナルをアレンジし過ぎてメロディーラインが聞き取れないことが多すぎたし、スティング自体が主旋律を歌わない。曲が始まってしばらくはなんの曲やらさっぱりわからないのだから、そりゃあなかなか楽しめるわけもない。音的には勢いだけのライブ、なのにスティングは淡々と低いパートばかりを歌うチグハグさで、曲の魅力は半減だった。長丁場の世界ツアーだし、年齢的なことを考えれば昔のようなハイトーン・ボイスを披露し続けるわけにはいかなかったのだろうが、最も魅力的なメロディーラインがカットされているんだから、そこは録音を被せるとか、なにか工夫はできなかったんだろうかと思う。

 ライブで最もガッカリするのは、

「ああ、もうすぐだ、ここからのメロディーがいいんだよなあ!」

 と期待しているところに、オリジナルと全く違うアレンジで歌われてしまうというパターン。

「なんでそこを変える!? そこが一番大事なところじゃないか!」

 と、怒りさえ覚えるものだ。歌っている本人は飽き飽きしちゃっているので違うアレンジで歌いたいんだろうが、客の期待しどころを外すというのはエンターティナーとしての心掛けがよろしくない。今回のスティングなんか、その繰り返しだった。客を喜ばせる事を第一に考えるという姿勢が足りないんじゃなかろうか。コープランドは、以前に来日した時の会見で、

「スティングが新しいアレンジにしたがるから、アンディと2人で、オリジナルのまま演奏するようにと必死に説得してるんだ」

 といったようなことを言っていたのに、結局は説得に失敗したらしい。最近のスティングのアルバムは本当につまんないし、彼はどうも感性がズレてきちゃってると思うなあ。

 彼らの容貌についてはさすがに歳をとったと感じざるを得なかったが、とりわけ他の2人より10歳ほども年長のアンディ・サマーズについては、

「おじいちゃんだなあ」

 としみじみ感じてしまった。コープランドとスティングは髪が白かったり少なかったりはするものの、体つきはまだまだ締まって若々しいが、さすがに65歳になったサマーズは全体にたるんでしまった様子で、口元は高木ブーを彷彿とさせるし、アップで写された手元は完全におじいちゃんのしわしわの手だった。そりゃ23年ぶりの再結成に27年ぶりの来日だってんだから歳をとってもしょうがないが、でもまあ、まず想像もしていなかった再活動があって、その元気な姿を生で見る事が出来たってことは、なにはともあれ幸いではあったんじゃないかなあと思わないこともないような気がしないでもない。

 会場からの帰り、iPodで聴いたクリムゾンの『Sartori In Tangier』に痺れて、

「やっぱクリムゾンが最高だなあ。やっぱりプログレなんだよなあ」

 と、己の還るべきところを再認識した。ところで、しばらく音沙汰のないクリムゾンはどうなってる?

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