フランク・フリップ
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ピンク・フロイド 〜Pink Floyd〜

 2002年3月のロジャー・ウォーターズ来日公演のチケットが手元に届いたのを記念して、ピンク・フロイドを書こう。実のところ、まだ勿体を付けておきたかったが、早めに大物をやっておいた方がこのHPの為には良いようなので、また5大プログレに手を付ける。

 現在はピンク・フロイドが存在している状態なのかよく分からないが、なんにしてもウォーターズなしのフロイドは、まあこんなもんだろうというレベルであって、どうにもどうということのないバンドである。デイヴ・ギルモア、リック・ライト、ニック・メイスンのそれぞれのソロ・アルバムの方がよっぽど出来がよいなあと思う(ニック・メイスンの『空想感覚 / Nick Mason's Fictitious Sports』は果たして彼のソロと言えるのかという疑問はあるけれど)。それでも、ツアーをやればアホみたいに客が入って、もの凄い人気だったようだ。結局は昔の曲の吸引力だとは思うけれど。

 ピンク・フロイドといえば『狂気 / Dark Side Of The Moon』。なにがなんでも『狂気』と言う人は多い。私としては『ザ・ウォール / The Wall』の方が好きだし、完璧に近い出来だと思うが、世の中ではやはり一番は『狂気』ということになっている気配だ。中学の時、マジックで“狂気”と書かれた角材、通称『狂気棒』を教室に常備して宝物のようにしていた怪しい男がいた。彼こそアルバム『狂気』が狂ったほど好きな、本当のフロイドファンだったに違いない。それに比べて、はたして私はフロイドのファンなのだろうかと自問するに、ファンというほどのものではなかろうと思う。曲が好きとか、よく聴くとかいうものではあっても、『ファンである』と宣言できるまでにはまた違う要素が必要なように思う。それはなにかと尋ねれば、ミュージシャンのキャラクターだと思う。要するに、気が合わなそうな連中のことはあまり親身になって応援する程の気にはなれないということである。

 なにかとロジャー・ウォーターズの人間性についての評判が悪い。確かに彼はピンク・フロイドの最重要人物であったが、その才能ゆえに他のメンバーを軽んじるようになってしまったようだし、そもそも、傲慢で偏執的なところがあるようだ。何かピーター・ガブリエル関連の資料で読んだことだが(何に書いてあったか思い出せない)、確かベルリンの壁崩壊を記念したウォーターズの『ザ・ウォール』コンサートで、彼と仕事をした主催者側の人間、慈善団体とかそういった関係の、まるでロック界には無縁だった人の話として、とにかくロジャー・ウォーターズの異常とも思えるような性格の難しさに、ほとほと疲れ果てたとあった。ロック・ミュージシャンとはこういう人種だという概念が出来上がってしまい、二度とロック界にかかわるのは御免だと思っていたが、ピーター・ガブリエルと仕事をすることになって、そうした考えが違っているということを知ったという。単に、ロジャー・ウォーターズ個人の資質の問題だったというわけである。細部は違っているかも知れないが、概ねそんな内容の話が紹介されていた。

 同じ業界内でも、ロジャー・ウォーターズの評判は悪いようだ。“UKプログレッシヴ・ロックの70年代”(青林堂)の中で、キース・エマーソンがピンク・フロイドについてこんなことを語っている。あまりに面白いので以下に紹介しよう。

 ピンク・フロイドはものすごく控えめな人達だった。彼らがムーヴメントから無視されたのは、彼らがどこにも属していなかったからだ。まるで大学生のような感じで、他の連中とうちとけようとしなかった。変わっていて、とらえどころがなかったんだ。会っても大して話もしなかったしね。とにかくみんなの輪の中に入っていないようだった。パリでロジャー・ウォーターズとリック・ライトが話をしているのを聞いたことがあるんだけど、内容は、明日は誰がスタジオへ行く番かというものだった。みんな一緒にスタジオへ行かないんですかと僕が思わず聞いてしまうと、そうではないと言う答えが返って来た。なんかすごく冷たくてよそよそしい態度だったな。バンド内だけでなく、外部の人間に対してもだ。なんか変わった連中だなと思ったよ。正直言って、僕はピンク・フロイドの大ファンではない。『ザ・ウォール』が出た時はなんだと思ったね。自分が落ち込んでいる時にはかけられないなと思ったよ。そんなことしたら、手首を切ってしまいそうだったからだ。ピンク・フロイドのどこがそんなに素晴らしいのか、僕には理解できなかった。ギルモアは素晴らしいギタリストだし、リック・ライトも素晴らしい。ニック・メイソンはいいやつだった。ロジャー・ウォーターズは受けた教育が悪かったのかな。わからないけど。

 こんな話をするキース・エマーソンが私は好きだ。すると、私はこの素敵な“くるくるエマーソン”(「エマーソン・レイク&パーマー 〜Emerson,Lake&Palmer〜」参照)がいるELPのファンに自然となってしまう。それと反対に、人としてあまり素敵でないロジャー・ウォーターズや、さほど面白みのない他の連中のいるこのピンク・フロイドというバンドに対しては、ファンという立場からは一歩退いたところで留まってしまう。とはいえども、ピンク・フロイドの音楽はとにかく随分と聴いたのである。特に『原子心母 / Atom Heart Mother』以降のアルバムについては、一時は毎日のように聴いたものだ。『ファイナル・カット / The Final Cut』にのめり込んで、戦争というものに日々思いを巡らした時期もある。そういった影響力というか、人に何かを考えさせる迫力、深みというのは、やはりウォーターズでなければ出せないものだ。あの詩、曲、ヴォーカルがなければピンク・フロイドとは言えまい。しかし、ピンク・フロイドはロジャー・ウォーターズだけで十分というわけでは決してない。それは前回のロキシー・ミュージック(「ロキシー・ミュージック 〜Roxy Music〜」参照)の文章の中で書いたとおりだ。

 ピンク・フロイドのメンバーのそれぞれの役まわりというのは、ビートルズのそれとよく似ているように思う。ニック・メイスンのんびりとした印象のドラムは、もちろんリンゴ・スターに通じるところがあり、曲作りへ貢献している程度も似たようなものかと思う。人間的なムードもなにか似通ったものを感じる。物静かでナイーブな印象のリック・ライトの存在は、ジョージ・ハリスンに重なるものがあると思う。こちらも曲作りへの貢献度としては同じようなものだろう。デイヴ・ギルモアとポール・マッカートニーはいずれもバンドのナンバー2的位置にいて、音楽的にはかなりの貢献度がある。彼らの存在はバンドに欠かせないものとなっており、世間的にも彼らに対する評価は高い。そして、天才肌の2人、ロジャー・ウォーターズとジョン・レノン。彼ら無くしては、このイギリスが誇る2つの偉大なバンドは本当には存在し得ない。人間性についての類似があるかどうかはともかくとして、この2人の持つ能力は残りのメンバー達のそれを遙かに凌駕しており、ナンバー2であるギルモア、マッカートニーとそれぞれ対立していた点でも共通している。その実力からすれば、彼らが独立してやっていきたいと考えたことも当然だと思うが、ソロ作の出来をいまひとつ物足りなく感じるのは私だけではあるまい。たとえ微力だったとしても、バンドの音にはウォーターズやレノンの作った優れた曲の魅力をさらに高める働きがある。ピンク・フロイドにはメイスンのもたついたドラムや、ライトのホンワカとしたキーボード、そしてギルモアの気持ちよいギターが欠かせないのだ。別のミュージシャンがたとえ同じように演奏したつもりでも、そこにはやはりどうしても埋められない穴が存在するのである。だから、実のところ、今度のロジャー・ウォーターズの公演にはそれ程の期待を持っていない。それでも9000円を投じてしまう私はアホだろうか。そうかも知れないが、それよりも9000円も取るロジャー・ウォーターズには、やはり謙虚さが足りない。デフレの日本にやって来るのだから、入場料もデフレにならうべきだ。どうか『郷に入っては郷に従え』という言葉を誰か教えて帰らせて欲しい。

 そういえば、シド・バレットについて触れるのを忘れていた。彼が在籍していた時の作品は、その後のフロイドのものとは全く異質だと言っても良い。『シー・エミリー・プレイ / See Emily Play』などは大好きだが、もし、彼がずっと影響力を持ってバンドに在籍していたなら、フロイドはこれほどの実績をあげることは無かったかも知れない。だが、ロジャー・ウォーターズの強引さからすれば、当初のフロイドの音楽性がそのまま続いていくという可能性は、そもそもあり得なかったかも知れない。後のフロイドの作品にコンセプトを与えたという点からすれば、シド・バレットこそ最大の貢献者と言えないこともない、かも知れない。

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