フランク・フリップ
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マイク・オールドフィールド 〜Mike Oldfield〜

 マイク・オールドフィールドなど知らぬという人でも、あの有名なオカルト映画『エクソシスト』のテーマ音楽なら聞き覚えがあるかも知れない。あの印象的なテーマ曲こそマイク・オールドフィールドのデビュー作『チューブラー・ベルズ / Tubular Bells』である。極めて内向的で、人生を通じて不幸な感情の虜であり、また明らかに神経症であったらしい彼は、音楽へ打ち込む事で精神的な安逸を得ていた。800万枚を売りあげたというファーストアルバムは19歳のときの作品だが、曲の一部は既に15歳の頃に書かれていたそうだ。両親との折り合いが悪く、多感で早熟、繊細な彼は、そのころ数週間にわたる発狂状態も経験したと後に語っている。

 彼自身は、自分のデビュー曲があんなオドロオドロしい映画に使われた事に強い不快感を持っていたようだが(チューブラー・ベルズという曲自体は決してオドロオドロしいものではない)、『エクソシスト』という映画と彼のキャラクターにはなかなか興味深い関連がなくもない。最近は割と知られてきた話ではあるが、ポルターガイストに見舞われる家庭には必ずと言っていいほど、情緒的に不安定な思春期の子供がいるという事実があるらしい。現象はその子供を中心に起こるというのは研究者の間では常識といってもいい事実のようだ。ゆがめられて抑圧されたそうした子供のエネルギーが、無意識の超能力的に発揮されてポルターガイスト現象が起こるという仮説がある。あるいは、やはり“騒々しい幽霊”というやつが存在していて、そいつらがそうした子供のエネルギーを利用して事を起こすとする仮説もある。いずれにしても、思春期のオールドフィールド少年は、『エクソシスト』の中心にいてもおかしくないような状況にあったといえる。ちょうどその頃にこの曲の一部が書かれ、完成された曲が映画に使われたというのはなかなか面白い繋がりだと思うのである。

 オールドフィールドはあのヴァージンレコードの第一号契約アーティストとしても有名だが、おそらく日本ではそれ程有名ではない。なんたって地味な人だから。それでも、『チューブラー・ベルズ』は『エクソシスト』の効果もあって世界中で大いに売れたし、その後もなかなかのセールスを記録しているアーティストではある。後々ポップな面を打ち出してシングル・ヒットもいくつか成し遂げてはいるが、彼の音楽を特徴づけるのはやはり大作主義だ。特に3部作といわれる初期の3枚、『チューブラー・ベルズ』、『ハージェスト・リッジ / Hergest Ridge』、『オマドーン / Ommadawn』はリズムセクション以外の多くの楽器をほとんど一人で演奏して多重録音するという彼の専売特許とも言える共通の手法でつくられており、曲も全てが素晴らしい。それぞれがパート1,2に別れてはいるが、基本的には1アルバムで1曲と言えるものだから、こんなのがちゃんと売れていた'70年代前半というプログレ全盛期は実に良い時代だったと強く思う。個人的には最も地味と思われる『ハージェスト・リッジ』が一番好きだが、オールドフィールド本人の気持ちとしてはやはり『チューブラー・ベルズ』への思い入れが飛び抜けて強いのだろう。後年、『チューブラー・ベルズ II / Tubular Bells II』、『チューブラー・ベルズ III / Tubular Bells III』、おまけに『ミレニアム・ベル / millennium Bell』なんてものまで出していることからもそのこだわりが伺える。だが、おそらくファンの間でも好意的に受け入れられていないこれらの焼き直しシリーズは、後になるほどどんどん出来が悪くなっていくという、哀れな道筋を辿る事になる。特に『ミレニアム・ベル』なんてものは私の好みからするとどうにも甘ったるくて聴くに堪えないという具合で、この人は基本的にはセンスの悪い人なのかなという思いを決定的にした。残念ながら私はこれですっかりオールドフィールドからは足を洗った。

 彼の音楽には独自性があって、牧歌性、安らぎ、ユーモア、多少のロック性、多国籍性など様々な要素が入り交じっている。初期の彼の作品ではそれらがうまい具合にブレンドされていたのだけれど、4枚目のアルバム『呪文 / Incantations』を最後に彼の音楽スタイルは大きく変わる。LPの片面を費やす大作と共にもう片面ではキャッチーな小品を手がけるようになり、大作の曲調もそれまでより明るくポップになった。その変化は同時に彼の性格の改革とも結びついていたようで、人前に出る事を極端に嫌うそれまでの態度を改め、大規模なコンサートツアーを行うなど、積極的に外部との接触をはかるようになった。そうした意識改革、あるいは精神的なリハビリとでも言ったような試みが新しい音楽性にやや強引に表れていて、それが悪く言うと甘ったるさというか、クサさというか、ポップにすぎるというような印象になっているとも思う。もちろんそれでシングル・ヒットも出て、世間的にはより受け入れやすい方向に向かったとは言えるのかも知れないが、私からすると魅力が半減したようにも感じる。

 そんな中で、'90年の『アマロック / Amarok』は久々に良かったと思う。青い瞳が印象的な大きな目を持ち、顔立ちは結構な二枚目だが、そのハンサム顔を大アップにしたジャケットはなかなかストレートで良い。彼は極めて内向的だが、それでいて自意識はかなり強いという印象を持つから、こういったジャケットもその表れのようにも思える。『アマロック』は60分で1曲という思いきりの良さが音の面でもよく現れていて、何か自然に楽しんで作ったという雰囲気が伝わってくる。しかしながら、その後の作品というのはどうもテーマに捕らわれ過ぎているのか、音作りにわざとらしさのようなものを感じてしまう。期待しながら買い続け、何度ガッカリさせられたことか。

 彼は流行を追いかけない。格好良さを目指さない。だから悪く言えば流行らないダサい音楽を作っているということにもなるが、それは言い換えれば自分にとって最高と思える普遍的な音楽を常に追い求めているということでもある。だが、なんだか中途半端にちょっとだけ流行を気にしていそうな感じも無きにしもあらずで、そんなところが煮え切らないと感じられてしまう要因なのではないかなとも思う。才能がある事は確かなんだが、世間との折り合いをつけるのが苦手なある意味不器用人なので、なかなか完全には信用しきれない、惜しいアーティストの一人なのである。

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