フランク・フリップ
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カンサス 〜Kansas〜

 普通はカンザス州とかカンザス・シティーとか言うんだが、日本では昔からカンサスで通っている。まあ、間違いというわけでもないようだ。

 見てくれは、とてつもなく田舎臭い。どこからどう見てもアメリカ人のバンド。こんな格好をしたブリティッシュ・ロックのバンドは絶対にない。広大な農場でトラクターを運転している姿が自然と目に浮かぶ。日本語の吹き替えが付いたとしたら東北弁でしゃべり出しそうである。

 余談だが、テレビでアメリカの田舎のおやじなんかが出てきたときに、東北弁で吹き替えるのは失礼ではないか?例えばUFOの特番などで、目撃者の農夫がこんな風に言うのだ。

「おらがよ、畑ば耕してたら、あっちの方から変なもんがフワーッと飛んできただよ。ありゃあなんだべえって母ちゃんと話してたんだべ。そしたらそいつが急に光り出してよ、それからあっというまに消えちまっただ。びっくらこいただなや」

『田舎者といえば東北人』という発想に対して、東北人としては抗議したい。が、そんな風にしたくなる気持ちも良く理解はできる。

 それはともかく。カンサスに戻る。とても田舎臭いカンサス。しかし、見た目はこんなでも、音楽はとんでもなく洗練されている。なんてことは本当にとことん無い。見た通りにダサダサである。だが、なかなか良い。

「うわあ、ダッサいなあ。近所に聞かれたら格好悪いから、とても大きな音ではかけられないよ」
 と思ったりするが、ハマると好きになる。ダサい加減がなにか安心感を与えるのだろうか。要するにスキだらけなのだ。クリムゾンやソフト・マシーンのような張りつめた緊張感というものがない。かといってダレているというわけでもない。具体的に何が一番の原因かと言うと、バイオリンには違いない。クリムゾンのデヴィッド・クロスをも下回る。だが、基本的には全ての楽器、全ての要素でそれぞれにダサさがにじみ出ている。総じてセンスがあまり良くないのだ。まあ、あまり批判的なことを書いても楽しくないので、このぐらいでやめておこう。

 カンサスは私にとっては最も早い時期に聴き始めた洋モノバンドの一つだったので、今になっても愛着を持てるのかも知れない。これが最近になって知ったバンドだったとすれば、すぐに見捨ててしまったかも知れない。

 実のところ、カンサスが現在も活動しているということを知ったのは昨年(2000年)のことである。クリムゾンのライブのときにカンサス来日のチラシをもらった。おお、カンサスを生で見るチャンスだ、とはちょっと思ったが、正直ライブに行く気はほとんど起きなかった。私の中では、「カンサスは『オーディオ・ヴィジョン / Audio-Visions』まで。ケリー・リヴグレンとスティーヴ・ウォルシュが揃ってないと駄目だ」と結論づけられている。『ビニール・コンフェッション / Vinyl Confessions』で失望して、『ドラスティック・メジャース / Drastic Measures』で完全にあきらめて、スティーヴ・ウォルシュの戻ってきた(でもケリー・リヴグレンがいなくなった)『パワー / Power』にもう一度だけ望みを託したが、やっぱりご臨終になった。それ以来、その先のことには全く意識がいかなくなった。というわけでその後に何枚かアルバムが出ていることもまるで知らなかった。もちろん今でもそれらを聴く気はない。カンサスは私にとっては過去の一時期だけに価値がある。だが、その一時期の作品にしてもそうそうしょっちゅうは聴けない。そんなバンドは他にもいっぱいあるが、まあ仕方のないことだ。

 ところで、スティーヴ・ウォルシュはとても良いボーカリストだ。実に良い。そう思ったのは実はカンサスのアルバムを聴いてのことではない。元ジェネシスのスティーヴ・ハケットのアルバム、『プリーズ・ドント・タッチ / Please Don't Touch』の中での彼の歌声を聴いてのことである。冒頭の『ナーニア / Narnia』という曲での彼のボーカルは、カンサスでは全く感じなかった、不思議なほどの魅力に溢れている。カンサスではありえない繊細な音とのマッチングがそう思わせるのだろう。カンサスファンでジェネシス嫌いの人でも、これだけは聴いておくと良いかも知れない。

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