フランク・フリップ
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アラン・ホールズワース 〜Allan Holdsworth〜

 このコーナーに積極的に採り上げたくなるアーティストの条件というのは、まず、そのアーティストの大ファンである場合。そして別な条件として、少なくともある程度以上好きなアーティストであって、かつ、そのアーティストの顔をとても描きたい場合。前者は、クリムゾン、ザッパ、イーノである。そして、後者は、ソフト・マシーンであり、このアラン・ホールズワースである。

 ソフト・マシーンの回(「ソフト・マシーン 〜Soft Machine〜」参照)でもホールズワースの顔は既に描いているが、あれはあくまでもソフト・マシーン時代の彼の顔である。この度、新譜『フラット・タイアー / FLAT Tire』を買った。そして、その紙ジャケットの内側見開きに載っている彼の顔写真を見て大いに驚いた。余りにも見事な“じいさん振り”なのである。最近のピーター・ガブリエルも随分と恰幅の良いじいさんになっていたのを見たが、彼の場合はまだ、かくしゃくとした貫禄溢れる老紳士という風情がある。ところが、一方のホールズワースときたら、これはまるで、少しボケちゃった意地悪じいさんなのだ。あるいは、総入れ歯を外したような顔とも言える。とてもじゃないが、ギターを弾く指は動かないんじゃないかという老いぼれ具合に見える。少なくとも往年の流れるような超絶ギターはありえないだろう、きっと、ベンチャーズのようになってるんじゃないか。そんなことを思いながら(例によってホントはそんなに思っていない)、CDをかけてみた。

 今回の新譜は久々にシンタックス(ギターシンセ)を多用(全部かな?)したアルバムで、最近作の中では割と良い出来のような気がする。ホールズワースのギタリストとしての才能に陶酔しているファンの一部には、このシンタックスというものを毛嫌いしている人達が少なからずいるようで、思い入れの激しい人になると、かつての『サンド / Sand』なんてアルバムは無視しても良いぐらいに言ってはばからない。そんなことを言うのは本人の勝手だが、私はそういう考え方を好まない。まるで、ギタリストであるホールズワースには価値があるが、シンタックスなんて軟弱なもんをいじくっているホールズワースはクズである、といった口調なのだ。その人はアーティストであるホールズワースのファンではなくて、ホールズワースが弾くギターのファンなのである。そこにはアーティストに対する敬意などさらさらなく、要するに自分が好きな音だけを作り続けるよう、アーティストに要求する横暴さが存在するのみである。

『ミザリー』という映画があった。大けがをして身動きの取れなくなったある小説家をたまたま自宅で介抱することになった、その作家の人気作品の熱狂的ファンであるいかれた一女性が、自分が望む結末を無理矢理に書かせようとその作家を監禁・脅迫する物語である。現実にはここまで極端なことはなかなか無いかも知れないが、あらゆる分野における『熱狂的ファン』に共通する、彼らの身勝手な心理というものを分かりやすく表現した映画ではある。

『熱狂』とは、アーティストやスポーツチームなどの対象物を利用して自己陶酔に陥ろうとする行為である。熱狂的なファンほど、真実のファンからはかけ離れている。彼らは実のところは決してファンではない。アーティストが好みの音から外れていけばすぐに見切りをつけ、チームの負けが混んでくれば、ファンであるはずの選手達に向かって罵詈雑言を浴びせる。自分を気持ち良くしてくれないのなら、もはやアーティストもチームも似非ファンにとってはなんの価値もないのである。

 あなたが、ホールズワースの真実のファンでありたければ、彼の意思に対して敬意を払い、彼が何故にシンタックスにこだわり続けるのか、その彼の欲求を理解しようと努めた後、それでも彼に間違いがあると思えるのなら、何が彼にとって不適当であるのか、その意見を述べるべきである。単に、自分の好みとしてギターの音を聴きたいとの観点からのみ作品を批判するような真似は、己の人としての価値を下げるだけの行為である。

 さて、私はどうなのかといえば、ホールズワースの熱狂的なファンでもないし、真実のファンでもなく、また似非ファンでもない。要するにファンというほどのものではない、まあ、そこそこ聴くかなという程度の、ただのリスナーである。彼のギターは大変個性的であるし、その流れる如くのハイスピードなフィンガーワークは誰も真似の出来る代物ではない。ザッパは共演したことがないとは思うが、ホールズワースのことは随分と高く評価していたというし、一流のギタリストであることに間違いはない。

 だが、なんだかあまり面白くない。彼のソロアルバムはかなりの数をそろえているが、ここのところ、買っては「ふぅ〜」、買っては「あぁ〜」、というのが続きっぱなしである。かつてのどのアルバムが素晴らしかったというほどの思い出もないのだが、他のミュージシャン、例えば、ブラフォード、ソフト・マシーン、チャド・ワッカーマン、ジャン・リュック・ポンティなどとの仕事はなかなか良くて、やはりホールズワースはグッド・ミュージシャンだと思うので、ソロアルバムもほとんどは手を出しているのだ。だが、ここ10年以上前ぐらいから、彼のソロアルバムといえば、なんとも同じような、ホワンホワンレロレロレロ〜ウレロレロレロ〜ホワレロレロンレロン〜といった音がなんとなく続くだけの印象の曲、ムードのみを追求しているかのような食い足りないものばかりがほとんどを占めているので、はっきり言えば、退屈極まりないのである。それでも、もしかしたら今度のは良いかも知れない、今度こそ傑作かも知れない、という可能性を考えると、買わずにはいられない。で、やっぱり、「はぁ〜」ということになる。

『アイ・オー・ユー / i.o.u.』、『ロード・ゲームス / Road Games』、『メタル・ファティーグ / Metal Fatigue』あたりを別にすると、個々の曲自体の出来という点から見れば、シンタックスをメインにしたアルバムの方が優れているように思う。ギターアルバムの場合、彼のギター独特の音色の美しさを強調する余り、結局いつも代わり映えしない曲調が繰り返されるように思う。一方のシンタックスの場合、曲で勝負という面がいくらか強いのではないかという気がするのだが、どんなもんだろうか。気のせいかな。彼のソロワークのうち、似たような曲を集約すると、結局曲の数は3分の1ぐらいに減ってしまうのではなかろうか(どうやって集約するのかよく分からないけれど)。

 なんにしても、本当に惚けたおじいさんになる前に、もうちょっとメリハリの利いた、「良い!」と叫びたくなるようなアルバムを出してもらいたいものだと思っているのは、私だけではあるまい。彼のアーティストとしての意思を尊重するという立場からすれば、彼がこれで満足しているというならしょうがないのだけれど。

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