フランク・フリップ
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デヴィッド・ボウイ 〜David Bowie〜

 デヴィッド・ボウイの持つカリスマ性は、彼の最大の才能であると思う。人生の全てにおいてスーパースター(“スーパー”というほどではない?)たる要素を身につけ磨き抜いてきたとしても、持って生まれた才能が根底にあるからこそのカリスマである。

 出典は忘れてしまったが、かつて、おそらくクリムゾン関連のアルバムの解説の中で、エイドリアン・ブリューのヴォーカルについて、
「ブリューのヴォーカルにデヴィッド・ボウイのような説得力があれば…」
 との内容の批評が載っていたのを読んだ記憶がある(捜すと見つからないけど)。実に的を射た表現だと思った。デヴィッド・ボウイのヴォーカルは、岩崎宏美や布施明のようにウマイ!というものではないが(たとえが古い)、そこには猛烈な魅力があって、『味がある』とか『雰囲気がある』とかいった表現ではどうしようもなく足りない。まさに『説得力のあるヴォーカル』という表現がドンピシャなのである。これを書いた評論家の方(誰だかわからないけど)に拍手。

 デヴィッド・ボウイの音楽は基本的にポップでキャッチーであるし、そのあまりのスター振りに半ばアイドル的な非実力系との先入観を持っている方々がもしかしたら少なくないのかも知れないが、パフォーマーとしてだけではなく、彼の持つアーティストとしての実力はとんでもなく高いものだ。同タイプの、柔軟で内向的な創造者として比肩しうるのはブライアン・イーノかピーター・ガブリエルぐらいかと思うのである。イーノもピーガブもかなりのカリスマだが、スター性という点ではデヴィッド・ボウイがやはり抜きん出ている。ついでに言うなら、こういう感性豊かで屈折気味のねちっこいアーティストというのはやはりイギリス出身なのであって、どうしたってアメリカからは出てこない。そのようにちょっと屈折気味の感じがあるので、若干付き合いが難しいところもあるのだろうか。偉大なミュージシャン達と仕事をしてきた経歴を持つ、かのエイドリアン・ブリューによる“付き合いにくいアーティスト・ランキング”において、デヴィッド・ボウイは第3位にランクインしている。ちなみに2位はロバート・フリップ、1位はフランク・ザッパということで、やっぱり、という感じもしないでもないけれど、これは人間が難しいからというよりも仕事に厳しいという点で大変なのに違いないと私は解釈する。

 デヴィッド・ボウイと言えば、なにがなんでも『ジギー・スターダスト / The Rise And Fall Of Ziggy Stardust And The Spiders From Mars』だと思っている方は多いに違いない。初期の大傑作であることはもちろんだが、彼の全経歴を通してもやはりあのアルバムを超える作品はないと言い張る人がいても当然だと思う。楽曲の完成度やアルバム全体を通しての統一感、そしてなにより、若かりし頃の彼のヴォーカルは鬼気迫ると言ってもいいほどに魂の込められた“熱い”もので、最近の貫禄あふれる熟成したカリスマ性とはまた違った強い吸引力を感じる。

 しかし、『ジギー・スターダスト』における彼のヴォーカルはまだ未完の域にあるようで、やや危なっかしい印象も持つ。音的にも少し食い足りない。もちろんその頼りなげな印象がプラスに働いていて、そうでなければあの作品はよろしくないのかも知れないが、彼の力量が安定して充分に発揮されるのは、後のベルリン時代の『ヒーローズ(英雄夢語り) / Heroes』においてではないかと私は思う。などと言って、結局はブライアン・イーノとロバート・フリップが活躍しているゆえに、特別に愛着を感じるアルバムであるというだけかも知れない。あれはそう、のっけからイーノとフリップが勢いよくロックしまくる『美女と野獣 / Beauty And The Beast』で始まる。フリップ・アンド・イーノのようなウニョウニョではない(あれはあれでそれなりに良い面もあるのだけれど)。最初にこの音を耳にしたとき、「ウヒョウ!カッコイイ!」と思ったのである。やっぱりこんな音を作り出してくれる人達はそうそういないのであって、「スンバラシイなあ」とうれしくて仕方がなかった。

 そして、なんといってもタイトル曲の『ヒーローズ』だ。フリップのあまりに素敵なギターの音色。それに被さるイーノのシンセの音。そしてあのボウイの情感あふれる歌声に、美しい楽曲。この曲があるからこのアルバムは名盤なのである。後半のインスト群はイーノと組んだ為の弊害と言えなくもない地味なものばかりだが、そのマイナスイメージを補って余りある素晴らしさだ。前回のキング・クリムゾンのツアー『The ConstruKction Of Light Tour 2000』においてはイーノとボウイ抜きでブリューがヴォーカルをとったクリムゾン版『ヒーローズ』を演奏して私は大感動したけれど、大方のクリムゾンファンにはボウイの曲まではさほどの馴染みはなさそうでもあり、会場としてはあまり盛り上がっていないようでもあった。イーノがいないことでマイナス10点、ブリューのボーカルでマイナス30点というところではあったけれど、しかし、あのフレーズを同じ音のままフリップが生で聴かせてくれるのだから、私にとってはまさに夢心地だった。

 イーノとフリップはボウイとの相性が良い。イーノが関わったベルリン時代の3部作、『ロウ / Low』、『ヒーローズ(英雄夢語り)』、『ロジャー / Lodger』はどれもそれまでのアルバムとは全く厚みの違う音を出しているし、もちろん楽曲自体の面白味も増していて、その色合いの多様化がボウイの魅力を更に引き出していると言える。『ロジャー』以来17年ぶりにイーノとの共演になった『アウトサイド / Outside』もデヴィッド・ボウイとしてはいつもより実験的な佳作になっている。またフリップ先生大活躍の『スケアリー・モンスターズ / Scary Monsters』などはその歯切れの良い音空間に、「もう、シビレル!」という心地良さだ。余談だが、いろんなアルバムの解説や資料本などを眺めていると、いまだ頻繁に“ロバート・フィリップ”という記述に出会う。いくらカタカナ表記が正確な発音を表すものではないとはいえ、“Fripp”はどう書いたって“フリップ”であって、決して“フィリップ”じゃないだろう。これは“ピーター・ガブリエル”か“ピーター・ゲイブリエル”かといった類の議論とはちょっと違う。ピーガブの場合は考え方によってどちらを取るか意見の分かれるところがあるけれど、“フリップ”を“フィリップ”と書けばそれは明らかな間違いと言っても良い。いくらクリムゾンに暗いライターだとしても、プロとして書いているからにはその辺の認識はしっかり持っておいてもらいたいといつもイライラするのだ。

 さて、バンド『ティン・マシーン 〜Tin Mschine〜』以後、ソロに戻ったボウイの最近作はどれも粒ぞろいで、全てが違った色合いに仕上げられている。毎回全く異なったアプローチをしながら、確実に期待に反しない質の高い作品を提供し続けてくれるあたりは、さすがの才能と向上心、そしてベテランの堅実性だと感心する。

 デヴィッド・ボウイは近年私にとってやや特別な位置にあるアーティストとなった。というのは、彼の音楽があるひとつの記憶に関連してしまったからだ。記憶と関連して最も強く働く感覚は嗅覚だと聞いた。人はある匂いを嗅ぐと、それに結びついた記憶を呼び覚ましやすいということだ。味覚も同様に強いというが、それらに次いで記憶との結びつきが強いのは聴覚のようだ。例えば、過去の恋人とよく聴いていた音楽を耳にするとその時の情景が鮮明に浮かんできてつい涙をこぼす、などという女性が世の中には少なくないはずで(女性には限らないけれど)、さらにそれよりも、一緒によく食べたものを口にしたり、恋人が使っていた化粧品の匂いを嗅ぐと、より泣けてくるということだ。いや、“より泣ける”わけではなくて“より思い出し易い”のである。私の場合もボウイの音楽が記憶を引き出すスイッチのようになってしまった。ただし、色恋沙汰とは関係がない。

 1999年の春に父親が倒れ、長いリハビリの後、なんとか退院に漕ぎつけたのが秋口だったろうか。11月になり、多少無理はあるものの、岩手県で姉がやっているピアノ教室の発表会に父親を連れて行くことになり、東京から私と兄が駆けつけて(正確には私は埼玉からだが、職場は東京なので)、母を入れて4人、仙台の実家から車で出発した。その時車の中で私がかけていたのが当時の新譜『アワーズ / 'hours...'』だった。このアルバムはそれまでの3作に比べ地味ではあるが、その分感傷的な仕上がりだと言える。

 クラシック以外をほとんど認めない父から言わせると、私の聴くような洋楽は“ガチャガチャ音楽”であり“頭がおかしくなる騒音”でしかない。例えばクリムゾンの『ディシプリン』などは、

「同じメロディーを繰り返してばっかりで、こういう連中の音楽は簡単でいいな」

 となる。このように車の中で嫌いな音楽を聴かされればいつも文句を言っていた父だったが、この日に限ればこの『アワーズ』に対しては何も言わなかった。クリムゾンなどに比べればおとなしめのアルバムだったからということもあるのかも知れないが、当然、文句の一つも出るだろうと思っていた私にとってはとても意外なことだった。病気になって人生を違った目で見るようになった父親の心境が以前とは異なった態度となって表れているのかなと、とても印象に残った出来事だった。

 姉のピアノ教室の発表会は毎年行われるので、これからはこの家族ツアーを毎年の恒例行事にしようと思っていたところだったが、結局その年の暮れに父は亡くなってしまった。最後を看取ることは出来たが、再会した父は既に意識を失っていたので、予想外にもあの小旅行の時の食事が父との最後の食事になり、あの時言葉を交わしたのが顔を会わせての最後の会話となった。

 それ以来、『アワーズ』を耳にすると父の姿が浮かぶ。そして、あの時このアルバムを父が一言の文句も言わずに黙って聴いていてくれた意味をあれこれと考えてみるのである。


(2003/02/03 一部更新)
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