フランク・フリップ
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ケヴィン・エアーズ 〜Kevin Ayers〜

 ひとことで言えば『お気楽』、それがケヴィン・エアーズだろうと思う。

 ソフト・マシーンのオリジナル・メンバーである彼は、後のソフト・マシーンの持つ緊張感とクールさには特に関係がない。なんとなれば、ファーストだけで抜けちゃったし、そもそもこの人に緊張感とかクールさなんてものは無縁なのだ。要するに自由人で、規律とか義務とか、プレッシャーの中で仕事をするなんてことはまっぴらごめん、というタイプだろう。絶対にフリップやザッパなんかと仕事をすることには耐えられないに違いない。

 そんな彼のことなので、もちろん音楽はホンワカしている。歌声もモッサリしている。今や完全な初老のやや小汚い風情だが、若い頃はブロンドに甘いマスク、優しげで茶目っ気もあって、モテモテだったこと請け合いです。しかし、ホントにそれは遙か昔の話。今更そんな話をしてもしょうがないから、音楽の話をしよう。

 なぜか彼はバナナが好きだ(いきなり音楽の話からはずれてる)。ガッツ石松のようにいつもバナナを持ち歩いて食っているとかそういうことではなくて(バナナ協会を組織していたこともあったそうなので、その可能性を否定することはできないけど)、バナナ関連の歌が多い上に、バナナキャラクターを前面に押し出したアルバム、その名も『バナナムーア / Bananamour』なんてのがあったりする。このアルバム、どっかの誰かさんが世界三大バナナアルバムのひとつだと書いてあるのを見た記憶があるが、他にはヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコのデビューアルバム(アンディ・ウォーホールが描いたバナナが一本ドーンと載ってるジャケット)があって、もうひとつはなんだったか忘れた。

 この『バナナムーア / Bananamour』は私が最初に聴いた彼の作品のような気がするもので(曖昧)、場合によっちゃ復帰作の『フォーリング・アップ / Falling Up』が先だったかも知れないが、少なくとも、二番目以内には聴いたはずのアルバムだ。当時はクリムゾンやらフロイドやら、いわゆる五大プログレを本当に一生懸命に聴いていた頃だったから、彼の作品中でも殊にユル〜い感じのこの浮かれアルバムにはまるっきりピンとこなかったものだ。しかしそれから20年以上は経っているだろうか。彼の他の作品にも随分触れたし、私も歳を取って、緊張感や完璧さばかりを求めることもなくなって、彼のユルさの魅力にようやく気づいたようなところがある。というわけで、最近CDで買い直したこの『バナナムーア / Bananamour』はかなりお気に入りなのである。

 『お気楽』は素晴らしい。『癒し』と言えばちょっと堅苦しいし、人によっては宗教的な胡散臭さを感じてしまうだろうが、結局のところ『お気楽』の効果は『癒し』に他ならない。緊張をほぐし、憂鬱さを遠ざける。そういうスタンスで生きていれば、自分自身に対する効果はもちろん、彼のように『お気楽』を社会に発信することで、世の人々を救うことにもなる。『救う』と言えば大げさに聞こえようが、しかし実際こうした音楽や物語や芸能が果たす役割と力というものは思いの外に大きいものだ。だからと言って『お気楽』を気負ってやってはいけない。気負えば気が重くなるから。あくまでも、自分のペースで、ゆったりと、まったりと。それを実践している人がケヴィン・エアーズその人である。まあ、本人は自分がやりやすいようにやっているだけなのだろうけれど、それを貫くにも結構、気骨と意志の強さがいるものに違いない。

 彼のファーストソロアルバムは言わずと知れた(言わないと知らない人のほうが本当は圧倒的に多いはず)『ジョイ・オブ・ア・トーイ / Joy Of A Toy』で、これはとっても黄色いアルバムだ(ジャケットが)。なかなか楽しい佳作で、世間的にも評判が良い。お気楽具合はこのときから変わらないが、しかし、お気楽ばかりが彼でもない。実のところ彼は繊細で敏感であって、精神や社会について鋭く切り込むだけの知性を備えてもいる(たぶん)。ただのお気楽のようでいて、そこには底知れぬ深みが備わっているのだ(少し言い過ぎかも知れない)。優れたアーティストに欠かせない哀愁も持ち合わせているし、彼が大好きな南の島の陽気さに隠れがちではあるが、感動を覚える曲も無いではない。

 以前は、

「ケヴィン・エアーズ? ふふん」

 と、多少鼻で笑う程度の評価でしかなかったのに、彼をこれ程気に入るようになるとは思わなかった。ま、『アルプスの少女ハイジ』を見ながら泣いちゃうようになったぐらいだから、そのぐらいの心境の変化はあってもおかしくはない。

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