フランク・フリップ
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ジャーニー 〜Journey〜

 ジャーニーをなめちゃいけない。産業ロックだのと言われるかつての大メジャーだが、これは大変な実力を備えた名バンドである。しかし、なぜ今ジャーニーを取り上げるのか。もしかしてタイムリーなのかなと思って調べてみたが、そうでもないようである。もっとも、調べてみなきゃわからないのであるから、なんにしてもタイムリーだから書いたわけではない。

 ジャーニーが最近どうなっているのか私は全く把握していなかったが、調査の結果、ジャーニーがいまだ存在しているらしいことを知った。実は一度『エスケイプ / Escape』時のメンバーで再結成があり、そのときのアルバムは結構売れたらしい(全米3位)。が、その後スティーヴ・ペリーとスティーヴ・スミスが抜けて、新メンバーを加えた形で最新アルバムが2000年に出たそうだ。ファンによればそれなりに良い出来だということで、人によっちゃジャーニーの健在振りが“涙もの”の作品であるとまで書いてある。ボーカルはスティーヴ・ペリーと良く似ていて、実力的にも遜色無いどころかそれ以上と言ってもいいぐらいだとのことだが、聴いてないのでなんとも言えない。

 と、最近の状況はこんなことらしいが、洋楽聴き始めのころからカンサスなどと共に随分と親しんできた私からしても、現在のバンドは既に興味の対象ではない。といったわけで、当然ながら過去のジャーニーについて書く。

 私にとってはちょっとタイムリーなジャーニーである。というのは、最近ジャーニーの旧譜をCDで買い直したからである。ジャーニーのほとんどのアルバムは大昔にレンタルLPからダビングしたカセットテープだけを持っていたけれど、カセットデッキが壊れて以来、ここ10年ほどはテープをほとんど聴かなくなっていたので、ジャーニーはあまり耳にしていなかった。カセットテープやLPだけでしか持っていないアルバムの中でも、名盤と思うものは時々CDで買い直していたので、ジャーニーの作品で『エスケイプ』だけは以前に買って持っていた。ところで最近、引っ越し時から仕舞い込まれて行方不明だったカセットテープ群が見つかったので、ジャーニーの他のアルバムを久しぶりに聴いてみると、「なかなか良いなあ」と再認識した作品が2つあった。それをCDで買い直したのである。何かと言えば、『ネクスト / Next』と『インフィニティ / Infinity』である。スティーヴ・ペリー加入前後の作品だ。

 『エスケイプ』は確かに最高傑作かも知れない。完成度は間違いなく一番だと思う。これぞジャーニーの頂点といった作品だ。セールス的にも最も売れた。次作『フロンティアーズ / Frontiers』が出るときにニール・ショーンが、

「この作品に比べたら、『エスケイプ』なんて“子供の遊び”さ」

 といったようなことを言っていたが、『フロンティアーズ』においてはかつてのジャーニーを彷彿とさせるハードな面を強調し、新旧ジャーニーのアイデンティティをさらなる完成度の上に融合させたという自負がそんな言葉になったのかも知れない。しかし、そんな“大人の仕事”はそれなりではあったものの今ひとつぱっとしない出来で、やはり“子供の遊び”の『エスケイプ』を越えることは出来なかった。

 最高傑作が出来あがると早晩バンドは解散するというのがよくあるパターンだが、ジャーニーもその道を辿った。頂点となる作品というのは、それまでバンドが目指してきた方向性における最終形と言えるものだろう。次なる作品には当然同じ方向性は許されない。だが、新しいことをやれば完成度は下がるだろうし、かといって同じ方向性を目指せばマンネリになる。いずれにしても最高傑作なる作品を越えることは難しい話なのだ。「やり尽くした」と思えばモチベーションの下がるメンバーもいるだろうし、マンネリに陥ればそれに飽き飽きした連中も出てくるだろう。見込みのある新しい方向性が見えてこなければ、脱退者が出てくるのも当然だろうし、新しい方向性を捜すためにメンバーを積極的に入れ替える必要もあるかも知れない。そんな変革を繰り返しながらも結果が出てくればいいだろうが、早々に答えを出さなければファンもレコード会社も見限ってしまう。そんなわけで、多くの名バンドが解散の道筋を辿っていく。

 というわけで、その結果も示す通り『エスケイプ』はジャーニーの行き着いた最終結果なのである。ジョナサン・ケインという、売れ筋の甘い曲を透き通った滑らかな音に乗っけるキーボーディストも入って大ヒット曲を飛ばしたし、本当に大メロディアス・ロック・バンドになったのである。『The Babys』なる、要するに『赤ちゃん達』というバンドにいたジョナサン・ケインだから、そもそもハード・ロックとは関係なさそうなのもしょうがない(だが、どうして“babies”じゃなくて“babys”なのか?俗語的綴り方なのだろうか。ネットで調べてみると少なからずこの綴りが出てくる。意味的にはやはり赤ん坊のことのようだが)。しかし、“赤ちゃん”の彼が入ることで、ジャーニーは“子供の遊び”をして、次いで“大人の仕事”に至ったわけだから、ジョナサン・ケインとしても順調で急激な成長を果たしたと言える。

 しかしだ。実は私が一番すばらしい作品だと思うのは『インフィニティ』である。ここにはオリジナル・メンバーのエインズレー・ダンバーもグレッグ・ローリーもいて、新旧ジャーニーの良いところが混ざり込んでいる。エインズレー・ダンバーと言えば、ザッパのバンドでしばらく仕事をしていたこともあるし(『グランド・ワズー / Grand Wazoo』や『ワカ・ジャワカ / Waka Jawaka』といった私の大好きな作品あたりで)、初期のクリムゾンが解散状態にあったときにフリップを自分のバンドに誘って、逆にフリップからクリムゾンに入らないかと言われたという、『フランク・フリップ』にはちょっと縁のある男である。ペリー加入以前には、ニール・ショーンと共に無茶苦茶激しく活躍していた実力派だけれど、『インフィニティ』に至って急に地味な立場に追いやられている。直前のアルバム『ネクスト』と聴き比べてみれば明らかなように、気の毒なほどの変わりようだ。それが不満だったのかどうかは知らないが、このアルバムを最後にジャーニーを去っている。

 ちなみに今はすっかりジャズ・ドラマーをやっているという後釜のスティーヴ・スミスだが、この人の実力も凄い。かつて伊藤政則氏が「スティーヴ・スミスはうますぎたからジャーニーを首になった」と言っていたけれど、このウナギ犬似のおじさんは、とんでもなく速く手足が動くのである。ジャーニーではそれほどの印象はないが、なんといってもザッパゆかりのバイオリニスト、ジャン・リュック・ポンティの傑作アルバム、アラン・ホールズワースも参加した『秘なる海 / Enigmatic Ocean』でのプレイにはぶったまげる。こりゃあ人間業かいなと思うほどの凄さである。うますぎて首になるという理屈はよく分からないが、確かにメロディアス・ジャーニーにはもったいないテクニックかも知れない。

 初期の3枚はサンタナを飛び出したニール・ショーンとグレッグ・ローリーがとにかく思い切りやりたいようにやっていたという印象だ。サンタナのように半端なノリのラテン・ロックなんてものではなく、若者らしいハードで格好良いロックを目指していたと思われる。かといって、単純にストレートなロックというわけでもなく、何か新しいものを模索している姿勢が見て取れる。とにかくニール・ショーンが弾きまくり、エインズレー・ダンバーが叩きまくるので気持ちがいいが、確かにグレッグ・ローリーとニール・ショーンのボーカルでは弱い。悪い声ではないのだが、売れるかどうかと言えばやはり難しいのだろう。この副業ボーカリスト2人が中心になって作っていた曲調も素直な人達受けはしないだろう。特に女性受けはしない。ジャーニーのベスト盤(当然初期の3枚は無視されている)を買って来るほどにジャーニーのバラードが好きである私の妻は『ネクスト』を聴いて「ダサイ」と言った。私のようなひねくれ者は前期ジャーニーも好きこのんで買ったりするが、やはりこれは男のバンドなのである。たとえば『ニッケル・アンド・ダイム / Nickel and Dime』は前期ジャーニーの典型と言えるようなインストナンバーだが、これなど実に格好良い。ペリー加入以降にはこういった格好良さというのは全くなくなってしまうので、ある面とてももったいない気はする。

 演奏力という意味ではジャーニーは最初から一流である。しかし、売れる線を作るとなると曲も変えなければならないし、良いボーカルも必要だった。スティーヴ・ペリーは、売れる曲と良いボーカルの両方を持ち込んだ。その実力差からだんだんと1人ボーカルになっていくわけだけれど、『インフィニティ』ではまだまだグレッグ・ローリーのボーカルも聴けて、その掛け合わせがなかなか良いのである。曲作りでもグレッグ・ローリーはまだ随分貢献していて、その混ざり具合のムードがいい。ニール・ショーンもその後だんだんと目立たない演奏をするようになるが、『インフィニティ』においてはまだ自己主張の激しいギターがそこそこ聴ける。そしてなにより、“まだ売れていない”という段階での熱意、希望、一途さというものが強く感じられるのがいい。全てはそこに尽きるかも知れない。どうにも抑えきれないエネルギーがこのアルバムには輝いているのだ。

 最後にひとつ、どういうわけか歌を詠ませていただく。

 ジャーニーは
 いつになっても
 インフィニティ
 それがいやなら
 エスケイプかな

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