フランク・フリップ
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バリー・マニロウ 〜Barry Manilow〜

 以前、私が勤めていた会社に、T村君という某有名私立大学の学生がバイトにきていた。このT村君、剣道の有段者で、どっかの中学校の剣道部のコーチなどやっていたらしい。ワイルド系で顔はそこそこ、私にお化け話をしてくれた悪ガキのT内君(うんち君のこぼればなし『仙台名物“パタパタ”』参照)のお友達らしく、やっぱりちょっとガラが悪い。

「俺、しょっちゅう彼女変わるんスよね」
 てなことを言っていたもんであるが、そんな事を言われても、
「ああ、そう」
 ぐらいしか返事のしようもない。

 そのT村君が、ある日私のところに悲愴な顔つきでやって来て、
「実は友達がトラブルに巻き込まれちゃって、2万円貸してもらえないスか」
 と言った。

 なんだか、その困り果てた表情を見ていると、実は自分の抱えたトラブルじゃないのかという疑いも抱いたが、たぶん言いたくないだろうと思って詳しい事情は訊かなかった。「貸して」とは言っているものの、実際には返ってこない確率50%かなあ、とチラッと思ったが、当時は独身で金にも余裕があったから、その場で2万円を貸してやった。

 ところが、案の定と言うか、それ以降T村君はパッタリ会社に来なくなり、連絡も取れなくなった。聞けば他にも金を貸した人間がいると言う。バイトのK藤君も2万円ばかり貸したそうだが、返してもらおうにも連絡がつかないから、実家のお兄さんに事情を説明して、そちらから返してもらったらしい。私はそこまでして返してもらおうと思わなかったので、そのままほったらかしだったが、思えばあれから15年。そろそろ返してもらってもよい。

 T村君、これを読んで自分のことだと気づいたら直ぐにお金を返しなさい。利息はいらん。2万円だけでいいから菓子折りかなんかつけて返しなさい。もちろん気持ちで利息をつけてくれてもかまわない。正直、助かる。約束を守って、早く真人間になれ。

 さて、2万円の話は関係ない。ついでに書いたまでだが、話は少しだけ戻って、まだT村君がちゃんと会社で仕事をしていた時のこと。当時の仕事は地域計画とか景観形成計画調査とかいったようなことだったので、時々現地調査なることをしに出かけて行ったものである。ある日、とある現地調査にT村君と2人で出かけた。レンタカーを借りて、車中で持ってきたカセットテープをかける。私がその時かけたのは、ブラフォード(最近で言えば『ブルッフォード』だが、当時は『ブラフォード』だったので)である。

 するとT村君、あんまり面白くなさそうに、
「パワーがない、ってヤツですかね」
 なんてことを言った。
(ナヌ!)
 私はちょっとカチンときたものの、まあ確かに普通のロックに比べりゃパワーのある音楽でないことは確かだと、己を落ち着かせた。

 で、彼が大好きと言って持ってきたものはと言えば、Level 42である。おいおい、フュージョン真っただ中じゃねえか。
「このベースは世界最高のチョッパーだから」
 と、T村君は力説するが、所詮はフュージョン。これだったらまだブラフォードのほうがパワーがあるように思える。

「もう1つかけていいスか。これもすごい好きなんスよ。兄貴が持ってるやつ、ダビングしてきたんスけどね」
 Level 42を聴き終わると、T村君はそそくさと鞄からまたカセットを取り出した。なーにが出るかな、と思って待っていると、なんだか聞き馴染みのある軽快なイントロが流れてきた。それこそ、バリー・マニロウの『コパカバーナ』であった。もはやパワーがあるとか言う話じゃない。お前は結局パワーのある音楽が好きなわけじゃないのか、コラ。

 といったわけで、こんなワイルド系のT村君もバリー・マニロウが大好き、と聞いてとても意外であった、というお話である。実に長い前フリだったが、やっと本題に入る。

 よもや、『フランク・フリップ』にバリー・マニロウが出てこようとは、ほとんどの人が予想していなかったに違いない。プログレじゃないどころか、ロックでさえない。そもそも、「誰それ?」なんて言う人が今や結構多いかも知れないし、そうでなくともせいぜい知っている曲といえば『メモリー』と『コパカバーナ』ぐらい、なんてところが普通かも知れない。

 バリー・マニロウは歌のうま〜い、「これぞプロ」と言える本物の歌手である。手足がやたら長く、なぜか妙に高いイスに座ってピアノを弾き、鼻はどこまでも高く(まあ、どこまでも、ってことはない)、品のある穏やかさがあって、犬で言うとボルゾイみたいな人である(犬で言う必要もない)。完全に自分だけで書いた曲はさほど多くはなく、共作と他人から提供された曲が多いように見受けられる。

 今もきっとしっかり唄ってるんだろうが、最近のことは知らないし興味がない。ついでに言えば、ブロードウェイ・ミュージカル、キャッツのテーマとしてヒットした『メモリー』なんて曲の頃の彼にも興味がない。私が聴くのは’70年代のアルバムだけ。この時代には、スンバラシイ曲が沢山あるし、また、アレンジが良い。それ以降の時代にはどうもムードと盛り上がりと深みが足りない。曲自体の質も落ちたと思う。全体的に妙に明るくて軽く、バラードはちょっとクサくて甘ったるいのだ。

 バリー・マニロウを知ったのは、私がロックを聴き始める以前、小学生の時である。自分ですすんで聴いていたわけではなく、姉がファンだったので、自然と耳に入ってきた。子供心に聴いても名曲ぞろいだったから、それなりに私も好きになった。そのあたり、兄貴の影響で好きになったT村君と共通している。実家にいる間は時々聴いていたけれど、そのうちテープもなくなって、その後15年間ぐらいは聴いていなかった。それが2,3年前に何かのきっかけで想い出したようにCDを買ったら、やっぱりさすがに良い。これを聴きながらあんなことしてたなあ、あんな時代だったなあと、歌声とともに思い出が甦り、一人涙したのである。というのはやっぱり嘘で、別に泣いちゃいない。でも、懐かしさになんだかしんみりした。思い出に結びつくと、とても心に染みちゃうような音楽と歌声なのである。

 フランク・フリップ的にはクリムゾンとザッパに関係があると良いのだが、まあ、普通に考えてバリー・マニロウが彼らに関係あるわけもない。と、思われるだろうがそうでもない。そうでもない、とわざわざ言うほどの関係でもないんだが、無理矢理に絞り出せば、関係ないこともないというぐらいの関係はある。

 唐突だが西城秀樹はバリー・マニロウのファンである。また、西城秀樹がかつてのコンサートでクリムゾンの『エピタフ』を唄っていたというのも、クリムゾンファンにはちょっと知られた歴史的事実。というわけで、西城秀樹の尽力によりクリムゾンとバリー・マニロウが繋がった。ちなみに『エピタフ』に関しては、ザ・ピーナッツやフォーリーブスまでもがカバーしていたというから、なんとも不思議な時代だ。

 と、こんなのは本当に関係あるとは言えない。実は、ザッパこそバリー・マニロウと直接に関係がある。同時代に活躍したアメリカ人のエンターティナー同士、やはり接点はあるものだ。バリー・マニロウの最高傑作アルバムと言えば、サード・アルバムの『歌の贈りもの / Tryin' To Get The Feeling』で間違いないと思うが、このアルバム中、『歌の贈りもの』という名曲があって、タイトル曲かと思うと実はそうではない。日本語的にはタイトル曲の体裁だが、実は『歌の贈りもの』という曲は原題を『I Write The Songs』といって、アルバムタイトルの『Tryin' To Get The Feeling』という曲は正確には無い。だが、『Tryin' To Get The Feeling Again』(放題は『フィーリング』)という曲はあって、これまた名曲なんだが、要するにこっちが元々のタイトル曲と言える。なんてことはまあいいんだが、この全米チャート一位も獲得した『歌の贈りもの』という曲の一節を、ザッパの曲中で聞く事ができる。その曲は『ティンゼル・タウン・リベリオン / Tinsel Town Rebellion』。同名アルバムのタイトル曲だが、オリジナルではなくて、『ダズ・ヒューモア・ビロング・イン・ミュージック? / Does Humor Belong In Music?』などのアルバムやライブ・ビデオのバージョンで出てくる。曲の途中でボビー・マーティンが、

「I write the songs that make the young girls cry〜」

 と、小馬鹿にしたように唄うのである。ライブ映像で見てみても、泣き真似などしながらやっぱり茶化しているように見える。ザッパが曲中に他のアーティストの歌とか名前を出す時というのは、たいがい馬鹿にしていることが多いので(例えばトゥイステッド・シスターとかマイケル・ジャクソンとか)、バリー・マニロウの場合もその可能性が高いのだが、いかにもザッパの曲にはあり得ないタイプの音楽だから、虫酸が走ったりするのかも知れない。でも、バリー・マニロウは小馬鹿にされるような内容の歌手ではないので、もしかしたら茶化しているつもりではないかも知れない。結局、真意はわからない。なんにしてもこれがザッパとバリー・マニロウの関係で私が知っている唯一で最大のものである。

 私の音楽コレクションには、バラードとか感傷的な曲が本当に少ない。あんまりない事ではあるけれど、そういうムードに浸りたい時にはバリー・マニロウはうってつけである。皆さんも、たまにはこういうのをどうぞ。

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