ドーミンは、村の名士ムッシュさんの写真館を訪ねた。入口扉の横には、“トリガー航空便取扱店”と書かれたのぼりが立っていた。
「こんちわー」
ドーミンが大きな声で呼びかけると、店の奥から1.5頭身の小さな中年紳士が現れた。
「おや、これはまた珍しい。何年ぶりかな。ずいぶんとでっぷりしたもんだね」
ムッシュさんはドーミンの顔を見ると微笑んで言った。ドーミンはムッシュさんの言葉にムッとしたけれど、どう返していいものか分からずに、
「恐れ入ります」
と答えた。
「そんなことに恐れ入る必要は無いよ。よーく訪ーねてくーれたねー、まあまあ、かけたーまえー」
ムッシュさんは妙なイントネーションでドーミンにイスを勧めた。
(なんだ?歌でも唄ってんのかこのおっさん)
ムッシュさんのことを村の名士だと人は言うが、ドーミンにはただの変人にしか見えなかった。
ドーミンは勧められるまま、イスに腰掛けた。
「あのう、トリガー君という人はいますか?」
「ああ、トリガー君か。明日が集荷日だからね、明日の昼ごろに来るはずだよ」
「そうですか」
ドーミンは少しがっかりした。一日でも早くフルートが欲しいのだ。
「なにか荷物でも送るのかい?」
「いえ、ちょっと欲しいものがあるんです」
「通販かい」
「まあ、そんなところです」
ムッシュさんは懐から葉巻を取り出すと、そのまま店の奥へ消えて行った。
(あれ、どこへ行った?書類でも持ってくるのかな?)
少しするとムッシュさんが戻ってきた。手にはなにも持っていない。
「どっこらせっと」
ムッシュさんはイスに腰を掛けるとうまそうに葉巻をふかした。
「いちいちキッチンまで行ってガスコンロで火を付けるのは面倒だね」
「あははは、そりゃ面倒ですね」
ドーミンは内心あきれていたが、軽く調子をあわせておいた。
「そうだ、今度トリガー君に頼んでおこう。注文書、注文書…と。ああ、そうだ、ドーミン君も書類が必要だね」
「はい、お願いします」
ムッシュさんはドーミンに注文書を渡した。
「書き方はわかるかな」
「ええ、だいたい分かります」
「そうか。賢くなったもんだな。昔は何にも出来ない子供だったのに」
いちいち言うことが腹立たしい。
(なんだこのおっさん、殴るぞ!)
ドーミンはぎゅっと拳を握りしめた。
(ん?)
しかし、ムッシュさんが書類に書き込んだ文字を見てドーミンの体から力が抜けた。
『卓上コンロ:1ケ』
「あのう…」
「なに?」
「それって、葉巻のためのものですか?」
「そうだけど、なにか?」
「いやあ、だったらライターにしたほうがいいのでは?」
「お?」
「ライターに」
「あ?」
「ライターを注文したほうが」
「おお!ほほほほほほほほほ!」
ムッシュさんはやおら立ち上がるとドーミンの注文書を取り上げた。
「フルート一本ね。いっぽん?『ぽん』でいいのかな、フルートの数え方は」
「さあ、わかりませんけど、とにかくひとつってことです」
「わかったわかった!さあ、用が済んだら帰ってね!」
突然ドーミンを追い出しにかかるムッシュさんだった。明らかに照れ隠しだろうとドーミンは思った。
「あのう…」
「なに?」
「トリガー君に直接説明したい事があるので、明日また来ますから」
「はいはい、勝手にしなさい。それじゃあ、また明日」
「はい」
店を出て行く間際、ドーミンは振り返って言った。
「ライターがいいと思いますよ」
ムッシュさんの顔が紅潮するのが分かった。ドーミンは楽しい気分で家路についた。
翌日、再びムッシュさんを訪れたドーミンは、昨日の事は忘れたような爽やかな顔で挨拶した。
「こんにちは」
「ああ、来たか」
ムッシュさんの顔はなんとなく浮かない感じである。
「トリガー君はまだですか?」
「それなんだがね、ややこしいことになった」
「どうしたんです」
「トリガー君が…」
「トリガー君が?」
「行方不明なんだ」
「行方不明?トンズラですか」
「何を言っている。なんで彼がトンズラしなきゃならんのだ。どうも山中に墜落したようなんだ」
「墜落?どうしてわかったんですか」
ここには電話もなにも無い。事故があったとしても連絡してくる手段はないはずだ。
「どうしてわかったかって?だって、あっちのほうに落ちるのが見えたから」
意外と簡単なことだった。
「で、どうするんです」
「どうしようかなあ。そのうちまた飛んでくるんじゃないかとは思ってるんだけど」
「そのうちって、ケガでもしてたらどうするんです」
「どうしようかなあ。ケガしてたら痛いだろうねえ」
「そんな問題じゃないでしょう!俺の注文が遅れるでしょうが!」
「ああ、そういうことね」
とてもドライなドーミンだった。
「よし、俺が救助に行く!」
ドーミンは力強く言った。
「しかし、落ちたのは谷の外だよ。山の上だ。どうやってそこまで行く気だい。ここは“出るに出られぬ大渓谷”だぞ」
そんなことは改めて言われるまでもなく充分にわかっている。だが、ドーミンはフルートが欲しかった。一日でも早く、自分のフルートが欲しかった。そのためにはどんな努力も厭わないつもりだった。それに、ドーミンには頼るべきあてがあった。
「あっちだね」
ドーミンはトリガー君の墜落地点を聞くと、凄い勢いで店を飛び出して行った。
「私一人の力では難しい」
しばらく考え込んでいたアナフキンが、最初に口にした言葉だった。
「じゃあ、無理だって言うの?」
ドーミンは真剣な表情でアナフキンを見つめた。この大渓谷を登る事が出来るのは山男アナフキンをおいて他にはない。
「あと2人必要だ」
「2人?」
「出来るなら山登りの経験のある人があと2人欲しい」
「そんな人、この村にはいないよ」
「それなら、あきらめるしかない」
「でも、トリガー君が死にかけているんだよ!早く助けに行かなければ手遅れになってしまうかも知れない!」
ドーミンは情に訴えてみた。むろん、本気ではない。
「……」
アナフキンは苦悩していた。
「ねえ、アナフキン、俺が行くよ!」
「ドーミンが?」
「ああ、それから大ちゃんはどうだろう。大ちゃん、そろそろこの流刑地から脱出したいだろうし、頑張ると思うよ」
「しかし、君たちは素人だ。危険にさらすわけにはいかない」
アナフキンは悲痛な表情だ。
「でも、このままトリガー君を放っておくわけにはいかないよ!」
「……」
アナフキンは目を閉じてじっと考えている。
「ねえ、アナフキン!」
アナフキンは静かに目を開けた。
「わかった。君がそこまで言うのなら、できるだけのことはやってみよう」
「よっしゃあ!ありがとうアナフキン!さっそく大ちゃんのところへ行こう!」
大ちゃんも大乗り気で参加を決め、ドーミン谷始まって以来の冒険が開始されることになった。名目はトリガー君の救助だが、3人の思惑がはたしてどこにあるのか、本当に知っているのは本人達のみである。