ドーミン
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新たなる旅立ち

 ドーミンとアナフキンをぶら下げた風船体の大ちゃんは、いよいよ渓谷の上へと浮かび出た。
「見てよ大ちゃん、これが崖の上の世界だよ!」
 ドーミンが目を輝かせて叫んだ。
「見えねえよ、空しか」
 それもそのはずで、大ちゃんは上を向いた格好で浮かんでいるのである。
「ああ、そうか。じゃあ、アナフキンでいいや。ほら、これが崖の上の世界だよ、アナフキン!」
 ドーミンは気をとり直して言った。
「そうだね。でも私はこの間まで谷の外にいたから、特に珍しくもないよ」
「ああ、そうか。なんだい、つまんねえ連中だな、ペッ!」
 ドーミンは唾を吐いた。その様子を見た大ちゃんの表情が一気に険しくなった。
「なんだてめえ、その態度は!人が体膨らませてプカプカ浮いてやってるのに、つまんねえとはなんだ!そんなにつまんねえって言うなら、これからジェット風船みたいにピューピュー飛んでやったっていいんだぜ、オイ!」
 大ちゃんが怒るのも無理はない。
「ほんとかい、大ちゃん!そりゃあ楽しそうだ、早くやっておくれよ!」
 だがドーミンには大ちゃんの気持ちが通じなかった。
「よし、言いやがったな。せいぜい楽しませてやるから覚悟しろ。振り落とされても知らねえぜ」
「ちょっとちょっと、待って下さい!大ちゃんも落ち着いて!」
 アナフキンが慌てて声を掛けた。
「私もいるんですからね、2人の喧嘩に巻き込まれたんじゃたまりませんよ。それよりも、トリガー君を見つけなきゃならないんだから。そんなジェット風船の真似なんかしたらどこへ飛んで行くか分かったもんじゃない」
「ああ、そうだった。あやうくこのバカタレに乗せられるとこだったよ、先生」
 こうやってすぐ冷静さを取り戻す所など、大ちゃんはやはり昔の大ちゃんとは違うのだと、アナフキンは嬉しくなった。
「バカタレとはなんだよ、バカタレとは。フーンだ」
 ドーミンはへそを曲げたようだった。こんなところは母親に似ているのかも知れない。
「とにかく、トリガー君を捜しましょう。ほら、ドーミンもよく下を見回して」
「はいはい」
 ドーミンたちはトリガー君を捜し始めた。

「木が茂っていて全然分かんないなあ」
「そうだねえ」
 もしもトリガー君が森の中に落ちたのだとすれば、上空からでは決して見つかりそうにない。
「墜落地点はこっちの方向というのは間違いないんだね、ドーミン」
 アナフキンが訊いた。
「ムッシュさんはそう言ってたよ。きっとこのあたりにいるんじゃないのかなあ」
 このあたりと言っても、どのぐらいの範囲を探せばいいものか、その見当さえつかない。
「いつまでも上から眺めていてもしょうがないか。それじゃあ、あそこの少し広くなっているところへ降りてみましょう。あとは歩いて捜すしかない。大ちゃん、頼みます。私が誘導しますからね」
「ほいきた、先生。だけど、一度ガスを抜いちゃったら、もう上がれなくなるからね。ほんとにいいんだね」
「ああ、いいさ、大ちゃん」
 ドーミンが横から口を出した。
「バカタレには訊いてない。すっこんでな」
「なんだって!こんちくしょう!」
 カッとなったドーミンが大ちゃんの腹を思いきり殴った。
「イテッ!」
 腹を殴られたショックで、大ちゃんの尻の穴から一気に水素ガスが噴出した。
“バビューーーーン!!!”
 大ちゃんはジェット風船となって大空を縦横に駆け巡った。
「うわあー、落ちるうー!」
“ガサガサッ、バリバリッ!!”
 3人は目標地点を大きく離れた森の中に墜落した。幸い木の枝がクッションとなり、3人に大きなケガはなかった。

「アイテテテ……。おい、コラ!」
 大ちゃんが叫んでいる。
「俺の上からどかねえか、このクソバカタレがあ!」
 ドーミンの尻の下に、再びスルメのようになった大ちゃんが横たわっていた。
「ああ、メンゴメンゴ。よっこらせっと…。あっ!」
“ドサッ!”
 立ち上がったドーミンがバランスを崩して再び大ちゃんの上に尻餅をついた。
「痛ってー!てめえ、わざとやりやがったな、ただじゃおかねえ!」
「あらら、ゴメンチャイ。落っこちたショックで体がふらついてるみたいだな、悪い悪い」
 立ち上がったドーミンは横たわる大ちゃんの顔を覗き込んでニコリと笑った。
「ただじゃおかねえって、いったいどうするのかなあ?動けないのに。…フフフ」
 ガスが抜けきってしまった大ちゃんは、自ら発酵するガスによって体がある程度膨らむまでは動けない。
「あっ、目まいが…!」
“ドサリ!”
 またドーミンは大ちゃんの上に尻餅をついた。
「ウッ!!…て、てめえ、もう、生かしちゃおかねえ…」
「ああ、ゴメンよゴメンよ、大丈夫かい、大ちゃん。わざとじゃないんだからそんなに怒んないでおくれよ、ね。友達なんだから。…フフ」
「なんで最期に笑う!どうしてそんなに楽しそうに笑いやがるか!いつまでも人の上に座ってんじゃねえ!このクズ野郎!」
「ふうん、クズ野郎かあ。いいクッションだなあ、これ。もう少し座ってようかなあ」
「ウググググ…」
 大ちゃんの顔が鬼のようになった。
「あれ?大ちゃんって、赤かったっけ?」
 怒りに充血した大ちゃんの全身は真っ赤に染まっていた。
「凄いなあ、大ちゃん。スルメになったり風船になったりするだけじゃなくて、色も自在に変えられるんだねえ、さすが大ちゃん、やんややんや!」
「やんややんやってのはな、口で言うもんじゃねえんだ、覚えとけ、この低能野郎が!いいからとっとと俺の上からどかねえか!」
「あっと、そうだったそうだった。痛かったかい?ほんとゴメンよ、大ちゃん。そろそろ飽きたからほんとにどくよ」
 ドーミンはスクッと立ち上がった。

「さてと。そういえばアナフキンはどこへ行ったかな?」
 ドーミンはあたりを見回してみたが、アナフキンの姿は見当たらなかった。
「上だ上だ」
 大ちゃんが言った。ドーミンが見上げると、すぐ上の木の枝にぶら下がって気を失っているアナフキンの姿があった。
「あれまあ、大変だねこりゃ。おーい、アナフキン、寝てる場合じゃないよ」
 ドーミンは手を伸ばしてアナフキンの足をつかむと左右に揺さぶった。
「気がつかないなあ。おーい、アナフキーン!」
 ドーミンはアナフキンの足をグイッと引っ張った。
「あっ、てめえ、やめろ!こら、バカッ!」
 アナフキンの体が枝から離れ、横たわる大ちゃんをめがけて落っこちてきた。
「ウッッグウー!」
 大ちゃんの悲痛なうめき声が森の中をこだました。
「はっ!」
 枝から落ちたショックでアナフキンは目を覚ました。
「あ、気がついた気がついた」
 意識を取り戻したものの、アナフキンにはすぐに状況がつかめないようだった。
「あ、ドーミン…。ここはどこ?」
「気がついたね、アナフキン。そこは大ちゃんの上だよ」
「え?」
「は、早くどいてくれ、先生」
 背中の下から大ちゃんのつぶれた声が聞こえたので、アナフキンは飛び上がった。
「うひゃあ!ご、ごめんなさい、ごめんなさい!どきました、どきました、もうどきました!」
 一瞬にしてアナフキンの意識は完全に覚醒した。
「ひどいなあ、アナフキン。大ちゃんを下敷きにするなんて」
 ドーミンはアナフキンを責めるように言った。それを聞いてアナフキンは冷や汗まみれになった。
「ほ、ほんとにごめんなさい、大ちゃん。知らぬ事とはいえ、なんとお詫びをしていいのやら…」
 それを見た大ちゃんは、醒めた表情をして静かに言った。
「いいんだよ、いいんだよ、先生。俺にはわかってるんだから。悪いのはみんなこいつなんだよ。そこにいる変な緑色したでっぷり野郎なんだよ。先生は何にも悪くねえ」
「で、でっぷり野郎?」
「そう、そこのろくでもねえ、ずんだ餅野郎だ」
「ずんだ餅?」
 アナフキンはドーミンを上から下まで眺めたあと、ほとんど分からないぐらいに小さくプッと吹き出した。
「俺は、もうこいつとはおさらばするよ」
「えっ?」
 ドーミンが小さな声をあげた。
「何かあったんですか、2人の間に」
「なあに、たいしたことじゃねえが、お互い、新しい関係に移った方が良さそうだと思ったまでよ。なあ、ドーミン」
「ふうん、そうなんだ」
 ドーミンには大ちゃんのその言葉が少し意外だった。ちょっとばかりやり過ぎたかも知れないなと思った。
「とにかくだ。俺はもう用無しだろうからここでお別れするよ。トリガー君なんてのは俺の知ったこっちゃねえから、あとは2人にまかせるよ。いいだろ、先生」
「ええ、まあ、それは構わないけど」
「ドーミンもいいだろ、それで」
「あ、ああ、いいよ」
 ドーミンの顔にはちょっとした戸惑いが伺えた。
「でも、大ちゃんはこれからどうするんです?」
 アナフキンが訊いた。
「さあなあ、取りあえず故郷に帰ってみるか。悪さしたほとぼりもいい加減さめてるだろうし」
「そうですか、故郷ですか。懐かしいですね。私も機会があったら訪ねてみますよ」
「ドーミンも…」
 大ちゃんがドーミンに顔を向けた。その顔は優しい笑顔だった。
「遊びに来るといい」
「あ、うん。わかったよ」
「じゃあ、そろそろ行きなよ。あんまり放っておくと、トリガー君とやらが死んじまうかも知れねえぜ」
「ああ、そうですね。そうしましょう。じゃあ、行こう、ドーミン」
「うん」
 ドーミンとアナフキンは最期に大ちゃんと握手をすると、横たわるスルメ体を残して歩き出した。大ちゃんの体は既にいつもの青色に戻っている。

「おーい!」
 2人が数十メートルも歩いた頃、背後から大ちゃんが叫んだ。
「アナ先生ー!先生に会えて嬉しかったよー。また会おうぜー!」
「は、はーい!またー!」
 アナフキンが柄にもない大声で答えた。
「おーい、ずんだ餅野郎ー!」
「なんだとー!」
「罪人の俺と友達になってくれてありがとうよー!楽しかったぜー!」
「……」
「お前、少し性格直した方がいいぞー!そんなんじゃ、俺が最期の友達になっちまうからなー!」
「う、うるせー!」
「遊びに来いよー!性格直してからなー!彼女といっしょに来いよー!」
「だ、大ちゃんだって、彼女作って待ってろよー!」
「おう、まかしとけ!達者でなー!」
「大ちゃーん!」
「なんだー!」
「動けない間に獣に襲われないように気をつけてねー!色々出ると思うからー!」
「え!?」
 大ちゃんの体の青色が濃くなった。
「あはははー!じゃあねー!」
 ドーミンはアナフキンを促すと再び歩き出した。
「獣が出るってほんとかい?ドーミン」
 アナフキンが不安気に尋ねた。
「知らないよ、そんなこと。ここへ来たのは初めてなんだから」
 ドーミンはシレッと答えた。確かにドーミンは性格を直すべきだなと、アナフキンは思った。

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