ドーミン
ホーム      前へ INDEXへ 次へ
謎の村長

 歩き始めて1時間も過ぎたころ。
「お腹空いたなあ」
 ドーミンがアナフキンの顔を窺うように、遠慮がちに言った。
「そうかい」
 アナフキンは気のない返事をした。
(おや?)
 いつものアナフキンらしくないな、とドーミンは思った。でっぷり贅肉質のドーミンにとっては、空腹は死活問題である。気のない返事などしてもらっていては困る。
「そうだよ。減りに減っちゃったな、こりゃ。お腹が減りすぎて、食道と直腸がくっつきそうだよ」
 遠慮している場合ではないと、今度は空腹を激しくアピールした。

「食道と直腸が?よく意味がわからないね」
 アナフキンの言い方がなんとなく冷たい。
「うーん、確かにあんまり適切な言い回しではなかったかも知れないけど、要するにものすごくキューッと腹が減ってるってことだよ」
「そうかい」
 再びアナフキンは気のない返事をした。いったい何事かとドーミンは思った。

「ちょっとちょっと、アナフキンさん」
「……」
 ついにアナフキンは返事をしなくなった。
「腹減ったぞー」
「……」
「腹減って、もう歩けないかなあ」
「……」
 何を言ってもアナフキンは答えない。
「穴付近さんってば」
「……」
「今、漢字で呼んだんだよ」
「……」
 漢字で呼ばれることにはとても敏感なはずなのに、今日のアナフキンは何も聞かなかったかのようにそのまま歩き続けている。

「腹減った!なんか食わせろ!」
 ついにドーミンが怒鳴った。

「ひゃあ怖い!食わせます食わせます!」
 いつもなら当たり前のようにアナフキンはそう言うはずだった。しかしこの時のアナフキンは違っていた。ゆっくり振り返ってドーミンに冷めた眼差しを向けただけで、また静かに歩き始めた。

「分かればいいんだよ、分かれ…、アレ?」
 驚いたのはドーミンである。
「なんで黙って行っちゃうんだ〜?」
「……」
「ちょっと〜、腹減って動けないよ〜」
 ドーミンの声は世にも情けない。その声を耳にしたアナフキンはキッとドーミンを睨みつけた。

「男なら…」

「えっ!?」
 その顔は今までのダメ教師風情のアナフキンとはまるで別人だった。

「男なら、そんな情けない声を出さずに黙ってついてきなさい。そうすれば食事にありつけるから。私が今何も食べ物を持っていないことは見ればわかるだろう。そんなところで立ち止まって騒いでいたって、私は何もあげられないよ」
 なんたる上からの物言いだろう。
「ちぇっ、男なのにいつも『ひゃあ怖い!』って情けない声を出してたのは自分じゃないか。今日ばっかり急になんだい、偉そうに」
 ドーミンがそう言うのも無理はない。それほどにアナフキンの豹変ぶりは劇的なものだった。

「ついて来るのか来ないのか、はっきりしなさい」
「はいはい、行きます行きます」
(まったく、調子狂っちゃうよ)
 ドーミンは思った。
(腹が減ってほんとは動けないぐらいだけど、動かなけりゃ食い物にはありつけない。そうとなりゃ頑張って歩くしかないわな)
 ドーミンの原動力はなんといっても食欲だ。

 2人はドーミン谷とは反対側の山の斜面を下リ始めた。途中、視界の開けた場所から麓の景色を眺めることが出来た。

「ドーミン、これが外の世界だ。広いだろう」
「これが…。すごいや!すごいすごい!ひゃあすごい!広い広い!ひゃあ広い!」
 ドーミンははしゃいだ。生まれてこの方、山に囲まれた狭いドーミン谷しか知らなかったドーミンにとっては、その景色はあまりにも雄大だった。
「変わった喜び方をするね、ドーミンは」
「なんとでも言うがいいさ。ステキステキ!ひゃあステキ!」
 ドーミンの正直な気持ちだった。ただただ興奮した。

 それから数十分歩き続けた。まだ食事にはありつけない。
「ねえ、食事はまだあ?」
 ドーミンは再び情けない声を出した。もう情けなかろうとなんだろうとどうでもよかった。
「もうすぐだ」
 ドーミンは空腹をごまかすためにアナフキンに話しかけることにした。
「ねえ、アナフキン」
「なんだい」
「そういや訊いてなかったんだけどさ」
「うん」
「そもそも、アナフキンが僕らの村へやって来た理由はなんなのさ」
「理由?」
「何をしにやってきたんだい?」
「別に理由なんてないよ。私は旅人だから、ふらっと立ち寄ったまでさ」
「でも、ふらっと立ち寄るにしちゃ、ドーミン谷はやっかいな場所じゃないか」
「まあね。でもほら、私は山男だから、そういうところに行くのは楽しみでもあってね」
「ふうん、そんなもんか」
「そんなもんだよ」

「ところでドーミン」
「なんだ?メシか?食いもんか!?」
「いやいや、そうじゃなくて」
「なんでえ、違うのかよ!」
 ドーミンは空腹のためにイライラしている。
「ドーミンは彼女なんてものはいないよね」
 唐突な話題だった。
「なにを!なんで彼女がいないと決めつけるか!」
 いくらアナフキンでもそういう決めつけ方は失礼ではないかと、ドーミンはいきり立った。
「いないよね」
「まあ、いないわな」
 だが確かにその通りだった。
「どんな女性が好み?」
「ど、どんな女性って言われても…」
 ドーミンの顔がにわかに赤くなった。そんなところはまだまだウブなドーミンである。
「小っちゃくてかわいい娘がいいなあ。でも、ちゃんと出るべきところは出て、引っ込むべきところは引っ込んでるようなグラマラスな、トランジスタ・グラマーって言うの?トラグラだね。たまんないね」
 ウブというほどでもないらしい。
「トランジスタ・グラマーって、えらい死語だなそりゃ。いったい歳はいくつだいドーミン」
「死語なの?我が家ではヒゲオヤジがバリバリに使ってる日常語だったけどなあ」
「すると、あれだね、キュッ!ボン!キュッ!ってやつだね」
 アナフキンはジェスチャーを交えて言った。
「そうそう!キュッ!ボン!キュッ!ね。ん?待てよ。違う違う!逆だ逆だ。それじゃ、出るべきところが引っ込んで、引っ込むべきところが出てるじゃないかよ」
「そうかい?じゃああれか、いっそのことボン!ボン!ボン!っていうのはどうだい」
「だから、そんな筒型ダイナマイトボディーも嫌だよ」
「じゃあ、キュッ!キュッ!キュッ!ってのは?」
「良いと言うと思うのか」
「そうかあ、ドーミンの好みは難しいなあ」
 アナフキンは困り顔だ。
「なにも難しいことはないだろうよ」
「じゃあさ、キュッ!キュッ!ボン!とか、ボン!ボン!キュッ!ってのはどう?」
「何が言いたいのさ!普通にボン!キュッ!ボン!じゃダメなのかよ!」
 ドーミンは声を荒げた。
「いやね、世の中はなかなか希望通りには行かないものだということなんだよ、ドーミン。そのことを肝に銘じておいて欲しいんだ」
 そう言いながらアナフキンはふと淋しげな表情を見せた。その言葉が何を意味しているのか、この時のドーミンには分かるはずもなかった。

 ドーミン達はふもとの集落へ辿り着いた。
「さあ、いよいよ村へ着いた」
「やったー、メシだメシだ!」
 ドーミンは無邪気によろこんでいる。その喜びを捨て置いたまま、アナフキンは浮かない顔で歩き続けた。
「おいおい、どこ行くんだよお、メシは〜?」
 先を歩くアナフキンの背中に向かってドーミンが問い掛けると、アナフキンは突然振り返って、
「うるさい!」
 と怒鳴った。その顔がこれまでのアナフキンからは想像ができないほど険しいものだったので、ドーミンは言葉を失った。
「いいから黙ってついてきなさい」
(今日のアナフキンはなんだかとても変だ)
 ドーミンの心は落ち着かなかった。

 2人は大きな屋敷の前に立った。
「待っていなさい」
 アナフキンは門に近づくと、インターフォンを押した。中の人と話をしているようだが、少し離れて見ていたドーミンにはその内容は聴き取れなかった。やがて、門扉の鍵が開かれる音がして、2人は敷地内へ入った。
「でかい屋敷だなあ。ドーミンハウスよりでっかい!すごいや!」
 ドーミンハウスとはドーミン村にある科学館のことで、村最大の建物である。公民館としても使われる、いわば多目的ホールみたいなものだが、村の住人全てを収容できるほどの規模を誇るドーミンハウスでさえ、この屋敷に比べたら犬小屋のようなものだとドーミンは思った。

「やあやあ、来たね。思ったより随分早かったじゃないか」
 玄関の扉をあけて出てきたのは、世にも珍しい顔をした初老の男性だった。おとぎ話に出てくる王様のような格好をしている。
「ドーミン、こちらは村長さんだ。これからご馳走をしてくれるよ」
 『ご馳走をしてくれるよ』とはアナフキンにしては随分と厚かましい物言いだとドーミンは思った。
「君がドーミン村の青年かね。なかなか骨のあるいい面構えをしているな。それに、なかなか肉のあるいい腹構えだ、フォフォフォ。その腹ならたいそうなご馳走をしてやらねば満足しないだろう。さあ、こちらへ来なさい」
「い、いやあ、お褒めに預かって光栄です」
 なんだか初対面なのにえらく失礼な男だとドーミンは腹を立てたが、食事が終わるまでは下手に出ていようと思った。

 ドーミン達は応接間へ通された。
「ここで少し待っていてくれたまえ。すぐに食事の用意をさせるから。それまで、そこのお菓子でも食べていてくれ。…アナフキン、ちょっと」
 村長はアナフキンを呼びよせると、2人で部屋を出て行った。

「このお菓子ってのはなんだろう。なんとなく見覚えのあるような」
 ドーミンはテーブルに置かれた焦げ茶色の食べ物を口に入れた。
「あ!これは、いつぞやの!」
 そのお菓子とは、いつかドーミンママがつくった得体の知れない佃煮に違いなかった。
「いったいどうして?」
 ドーミンは混乱した。
「いったいどうして佃煮のことをお菓子だなんて…」
 少し観点がずれていることには気が付かないドーミンだった。

「失礼します」
 部屋のドアが開き、お茶を手にしたひとりの小柄な娘が入ってきた。
「あ…」
 ドーミンは思わず声を上げた。
「え?どうかされましたか?」
「い、いえ。なんでもありません」
 ドーミンは慌てて答えたが、なんでもないことはなかった。そこにいる美しい娘のことをドーミンはいっぺんで好きになってしまったのだ。
(谷を出てきて良かった!)
 空腹のつらさとアナフキンの態度の不可解さゆえに、旅を始めた事を早くも後悔し出していたドーミンだったが、彼女との出会いがその気分をたちまち吹き飛ばした。

ホーム      前へ INDEXへ 次へ