ドーミン
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離陸

「ヒュ〜ッ、ドンドン!」
 ドーミン谷の狭い青空に花火の音が響いた。
「いよいよこの日がやって来たね。実にめでたい」
 ムッシュさんは傍らのモモトフに握手を求めた。しかしモモトフはそれには応えずに微笑んで言った。
「まだうまく行ったわけじゃありません。握手は谷の上でしましょう」
「そうか、まあそうだな」
 ムッシュさんは満足気に頷いた。

「ごめんやっしゃー」
 ドーミンパパとドーミンママがやって来た。
「また新しい挨拶かね。相変わらず能天気なオヤジだな」
「俺はマンネリを嫌う男なんでね」
「あら素敵、あなた。キャー!」
 ドーミンに再会できるからか、あるいは初めて谷を出られるからか、ドーミンママは少し興奮ぎみのようである。
「いよいよどうかしてきたかな。どこぞの芸人夫婦のようだね」
 ムッシュさんは呆れ顔である。
「なんとでも言え。ところでムッシュ君、誕生日おめでとう」
「おや、どうしてそれを?」
「私はみんなの誕生日を覚えているんだよ」
「キャー、凄いわあなた!」
「うーむ、ますますもってあのピンク色の夫婦のごとし。そのうち写真を撮り出すんじゃないだろうね」
「はいチーズ!パシャッ!」
 すでに撮っていた。
「おいこら、そんなことはいいからそこへ並んでくれ」
 ムッシュさんが2人を促した。
「おや、写真のプロが記念撮影してくれるのかい。せっかくだけど間に合ってるよ」
「そうよ。こんな離して下げた胸、撮られたくないわ。言っておきますけど、これは『悪魔のブラ』のせいなんですからね。私の胸はこんなに離れても垂れてもいないのよ!なによ、コンチクショウ!」
 ママは相当に辛い心境のようである。
「なんだいそれ。何を興奮しているのかわからんが、写真を撮るわけじゃないよ」
「あら、そうなの。せっかくおめかししてるのに」
「そうだよ、かっぽう着姿じゃないママなんて、そう見られるもんじゃない」
「それに服を着たパパもね」
「なんだよ、結局撮って欲しいのかね。わけがわからんな。なんなら特別料金で撮ってやらない事もないぞ」
「ケッ!有料かよ。全くケチだな。だったら結構だよ」
「ああそうかい。どっちがケチなんだか。じゃあとっとと式典を始めるぞ」
「なんだ?結婚式はまだだろう。こんなとこで始められたって困るぞ」
「そうよ、話が違うわ」
「いちいちうるさい夫婦だね。結婚式じゃないよ。いいから黙って並びなさい。時間が無いんだから」
「はいはい」
 ドーミンパパ達は渋々そこへ並んだ。

「えー、皆様、本日はお忙しい中お集まり頂きまして…」
 ムッシュさんが挨拶を始めた。
「皆様ってのは俺達のことかね」
 ドーミンパパはママに耳打ちした。
「たぶんそうだと思うわ。ちょっとひっかかるけど気の済むように言わせておきましょう。ムッシュさんには彼なりの都合があるのよ」
 ママには意外と大人の部分もある。
「…いよいよ本日より、ドーミン谷と外界を結ぶ航空便が一般の皆様にも御提供できる運びとなりました。これにより長年隔離され続けてきたこの秘境ドーミン谷も、ついに世界に開かれた村となることが叶うのです。我々村民長年の悲願であったこの歴史的大事業が実現に至りましたのも、ひとえに大商人モモトフ様の全面的ご支援の賜物でございます。どうぞ皆様、このムッシュモモトフ航空を末長く御愛顧下さいますよう、よろしくお願い申し上げます」
「聞いたか、ママ」
「聞いたわ、あなた。ビックリね」
 驚きの表情の2人を見てムッシュさんは満足そうに微笑んだ。
「さて、それでは試乗されるお二人はどうぞこちらへ」
「試乗?」
「そう、試乗」
「試乗って?」
「試乗は試乗。試し乗り」
「試し乗り?」
「そう、試し乗り」
「試し乗りって?」
「試し乗りは試し乗り。テスト飛行」
「テスト飛行?」
「そう、テスト飛行」
「テスト飛行って?」
「テスト飛行はテスト飛行。安全は保障できないよ」
「安全は保障できない?」
「そう。でもその代わりタダだよ」
「ああ、タダか。じゃあいいか、ねえママ」
「そうね、あなた。『安全は保障できない』って聞いた時はどうなるかと思ったけど、タダなら安心ね」
「そうだね、フトコロが安心だ」
 ドーミンパパもドーミンママもホッとした顔をしている。
「よし。ホントにそれでいいのかと言いたいところだが、当人たちが安心してくれたなら結構だ。まあ私も媒酌人として結婚式には出席しなきゃならないみたいだから、覚悟を決めて一緒に乗りますからな。変な事にはさせないよ。ねえモモトフさん」
 ムッシュさんはモモトフに顔を向けた。
「へい、もちろん心配には及びませんとも。少なくともトリガー君よりは安定して飛べると思いますよ」
「では、空港へ案内しよう」
 4人は空港へ向かった。

「さあ、着いたよ」
 ムッシュさんが言った。
「『着いたよ』って、写真館の裏庭じゃねえか。いや、庭と言うのもはばかれる、ただの空き地だが」
「うるさいよ」
「あなた、あれ」
 ドーミンママがあるものに気付いた。
「お気付きになりましたな」
 モモトフが言った。
「あれは気球だな」
 そこにはバルーンがしぼんだ状態の気球があった。
「実はこれ、私が移動するのに使っていたものなんですがね。今後定期便としてドーミン村の皆様にもご活用していただこうということになりまして」
「そうか、それであんたが神出鬼没だった謎がとけたってわけだ。この気球、名前はついてるのかい?」
「へい。“ママ号”でございます」
「あら、いい名前ね」
 ドーミンママはその名前がいたく気に入った様子である。
「“ママ号”か。いまひとつだな」
 だがドーミンパパは気に入らない。
「あらそんなことないわよ」
 ママは口をとがらせた。
「“ママ号”というのはあくまでも今まで私が使っていた時の名前でして、今後はどうぞ新しい名前を御自由にお決めになればよろしいかと思いますよ」
 モモトフは自分用にはまた新しい気球を使うつもりらしい。
「そうだな。新しい名前にしよう、ムッシュ君」
「なんだいさっきから、ムッシュ君ムッシュ君って偉そうに。あんたにそんな風に言われる覚えは無いよ。年下のくせして」
「まあまあ、男はそんな小さな事にかまうもんじゃないよ。それよりどうだい、今後はこの気球を“パパ号”と呼んだらいいんじゃないかな」
「あら、だめよそんなの!“ママ号”でいいじゃないの」
 ドーミンママは表情を険しくした。
「女は黙っていなさい」
「なんですって!また殴られたいの」
「いえ、殴られたくはないです」
「じゃあ、“ママ号”でいいのかしら」
「はい、いいです」
 ドーミンパパは寂しげな顔をムッシュさんに向けた。
「話はついたみたいだな。そんなすがるような目を向けられたって私は知らないよ。それじゃあ、出発の準備をしよう」
 気が付けば、モモトフがバルーンに水素ガスを注入し始めていた。

「それでは除幕式です!」
 そう言うと、ムッシュさんは気球へ近づいていった。
「パンパカパーン!」
 カゴを覆っていた真っ赤な布がムッシュさんの手で取り去られた。
 “ムッシュ1号”の文字がカゴの側面に大きく書かれている。
「うわ、最悪だ」
「センスを疑うわ」
 そんなドーミンパパたちの声を気にする様子もなく、ムッシュさんは満面の笑みを浮かべている。
「“ムッシュ1号”、就航バンザーイ!」
 ムッシュさんは一人でご機嫌である。
「おい、ママ号とかパパ号とかいう話はどうするんだ」
「そうよ、私達の話を聞いていなかったの」
 ドーミンパパたちには納得が行かない。
「うるさい。あんたら客が何を言ったところで聞く義務なんざありゃしないのだ。オーナーの私にこそ全てを決定する権限がある。あんたらはオーナーの決定をただ受け入れてりゃいいんだよ」
「なんたる横暴。許せん。顧客のニーズに耳を傾けられないとは、きっとこの業界は衰退するぞ。老害だ、老害だ」
「そうよそうよ、どうせなら“ジジ号”にでもしちゃったらいいんだわ」
「失礼な。なにが老害だ。人をジジイ呼ばわりするな。私はまだ壮年だぞ。たかがタダ乗りの客のくせに、わきまえなきゃいかん。お前らは乗せて頂く立場なんだぞ。気に入らなきゃ一生この谷に閉じこめられてるがいい」
「ウググ、悔しい。ママ、悔しいぞ」
「わかるわ、あなた。悔しいのは私も同じ。でも今はドーミンの結婚式へ出る事が先決よ。ここは長いものにまかれましょう。この悔しさをバネに大きくなるのよ、あなた。いつかこのチンチクリン1.5頭身オヤジを見返してやりましょう」
「ママ…」
 ドーミンパパは改めて妻の愛の大きさを感じた。この女を妻にして良かったと思った。
「ムッシュさん」
 ドーミンパパはムッシュさんの方へ向き直ると静かに言った。
「早くドーミンの元へ我々を連れていって欲しい。よろしくお願いします」
「おや、急にしおらしくなったね。自分の立場がやっと分かったようだな。もちろん、連れていってやるとも。大船に乗ったつもりでいなさい」
 ムッシュさんは満足気に自らの胸をポンと叩いた。

「それでは出発しますよ」
 モモトフがロープを離すと、4人を乗せた気球はゆっくりと地上を離れた。

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