ドーミン
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ドーミンの嘆き

「おはようございます」
 聞きなれない女性の声でドーミンは目を覚ました。気持ちのいい朝だった。

「あれ?」
 目を覚まして少しすると、ドーミンは不審な点に2つばかり気付いた。ひとつは、
「おばあちゃん誰?顔色悪いねえ」
 ドーミンを起こしにきた老女の存在。そしてもう一つは、
「どうして朝になってるんだ?昼寝していたはずだけど」
 ということである。

「わたくしめはここの古株のメイドでございます。文字通り冥土に近づいております」
 老メイドは真剣な表情で言った。
「そういうことを真顔で言わないでくれるかなあ、返事に困るからさあ」
 ドーミンは少し迷惑顔で言った。
「それは申し訳ございませんでした。どうぞ年寄りのたわ言と思ってお聞き流し下さい」
「ああ、たわ言ね、わかった。ところで冥土さん、じゃなくてメイドさんか。どうして朝になってんの?昼寝してたはずだったんだけど」
「はあ?」
 老メイドは耳を疑うような顔をした。
「それは、お婿様が昨日の昼間からずーっと寝ていたからに決まっております」
「ああ、そうか、そうね」
 ドーミンは納得しかけたが、すぐそのことに気付いた。

「今、“お婿様”と言ったよね、冥土さん、じゃなくてメイドさんか。いや、もう冥土さんでいいか、わかりやすいし」
「わたくし、メイドでございます」
「わかってるよ、冥土さん。誰がお婿様だい?」
「そりゃまあ、ドーミン様でございます」
「やっぱり俺?」
「はい」
「どうしてさ、だって、俺はまだ独身だよ、子供だし」
「そうではございますが…」
 そう言ったきり、冥土さんは黙り込んでしまった。
「そうなら、お婿様じゃないだろう」
「……」
「あ、もしかして!」
「……」
「俺が老けてるってこと?中年太りのオヤジにでも見えたってことか!?」
「いえ、そういう事ではございません」
「そうじゃない。じゃあどういうことだ?オヤジじゃあないけど結婚してると思ったってこと?」
「いえいえ、独身でいらっしゃることは存じております」
「じゃあなんで“お婿様”なんだよ、矛盾してるじゃんか」
「……」
「またダンマリかよ、まったく。あ、わかったぞ。いわゆるあれだ、冥土さん、いい歳なんで、ボケが入っちゃったんだな」
「誰がボケとりますかあ!馬鹿にされますな!」
 冥土さんの形相が激変した。
「あ、ご、ごめんなさい。そんなに怒んなくてもさあ…」
「ツーン」
「な、なんだよ『ツーン』って。いい歳こいて子供じみた…、これだから年寄りはやだよ」
「わたくし、これにて失礼いたします。朝食の準備ができましたらまたお声をかけにまいります」
「そう、わかった。あ、そうだ、今度はさ、冥土さんじゃなくてビッグヘッドちゃんをよこしてよ。ほんとは起こしてもらうのもこんなおばあちゃんじゃなくて彼女がよかったんだけどなあ」
 それを聞くと冥土さんはムッとして、不機嫌そうに言った。
「ババアが起こしちゃって悪うございました。しかし、あのデカ頭娘をここへよこすのはどうしたって無理というものです」
「こら!ビッグヘッドちゃんをデカ頭娘などと呼ぶな!」
 今度はドーミンが機嫌を悪くした。
「どちらでも意味は同じでございますよ。わたくしは年寄りですから外来語は苦手でございましてね」
「ちぇっ、いちいち可愛げのないバーサンだな、まったく。でもどうして彼女が来るのは無理なのさ」
「そりゃあ、あの娘はもうおりませんから」
「ああそう、帰っちゃったんだ。じゃあ明日あたりまた出勤なのかな」
 てっきり今日は非番なのだろうとドーミンは思い込んだ。
「いえ、そうではなくて、あの娘はもうこの屋敷のメイドではなくなりましたので」
「え、なに!?辞めちゃったってこと?なんでさ、だって昨日あんなに俺にときめいていたのに、好きな男を放っておいていなくなっちゃったの?ありえないじゃんか!」
 ドーミンは驚いた。的が外れている分、余計な驚きが加わっている。
「おやおや、あのマセガキは人様のお婿様にそんな色目を使ってたのかい、まったく」
「あ、また、お婿様だなんて言う。どういうことだよ」
「あら、わたくしまた余計な事を…、まあそれはおいおいに…。それではひとまずこれにて」
 冥土さんはそそくさと部屋を出て行った。

 一人になったドーミンは、ふぅと大きなため息をついた。
「どうしてビッグヘッドちゃんは俺のもとを去ったのか」
 ドーミンの中でのビッグヘッドは、今や自分を愛し抜いている存在になってしまっている。もちろんドーミンの思い込みであり全くの妄想に過ぎないのだが、彼の精神はいわゆるストーカーのそれと違わない状態に陥っていた。
「なにか止むに止まれぬ事情があるに違いない。俺が、今すぐにでも君を助けに行く!」
 ドーミンの頭の中で劇的な妄想ドラマが作り上げられつつあった。

「ドーミン様、朝食の用意ができましたので、御案内いたします」
 冥土さんに連れられて食堂まで案内される途中、ドーミンはトイレに寄った。
「ふう〜」
 小用をたしながら、その2階にあるトイレの窓から何気なく外を見ると、屋敷の門へ向かって遠ざかって行く2人連れの後ろ姿があった。
「ん?」
 見慣れた後ろ姿だった。明るい緑色の服に緑色のチューリップハット、間違いなくアナフキンである。
「あ!」
 そしてその横を歩く小さな後ろ姿は、あのビッグヘッドに他ならなかった。
「あ〜っ!!」
 ドーミンは後処理もそこそこにトイレを飛び出した。
「バーサン、バーサン!アナフキンとビッグヘッドちゃんが2人で出て行くじゃないか!どういうことだ!」
 冥土さんはドーミンのその剣幕にまず驚いた。
「なんですか、ちゃんと片付けてから出てきてくださいな。どういうことです!」
「あ、いやいや、ちょっと慌ててたもんで、ごめんごめん。それにしたって、どうしてあの2人が連れ立って歩いてるんだ!いったいアナフキンはビッグヘッドちゃんをどこへ連れて行こうっていうんだよ!」
「さあ、わたくしには分かりかねますが」
 冥土さんは落ち着いて答えた。
「ええい、なんだっていいや、とにかく2人を追いかけなきゃ!じゃあね、バーサン、村長さんによろしく言っておいて!」
「あ、ドーミン様、困ります、勝手な事をなされては!」
 冥土さんの制止も聞かず、ドーミンはあっという間に階段を駆け降りて行った。
「まーったく、あのヒネたガキンチョは性質が悪いね。旦那様もあんなずんだ餅が本当にいいのかねえ」
 冥土さんは苦々しい顔で独り言ちた。

 玄関を飛び出したドーミンは門へ向かって走った。門は閉ざされている。
「ねえ、早く門を開けてよ!」
 ドーミンはそこに立っている門衛に向かって叫んだ。
「今ここを出て行った2人を追いかけてるんだ!」
「そうですか。でも、開けるわけには参りません」
 門衛は静かに言った。
「なんでだよ!早くしないと2人が行っちゃうんだよ!」
 ドーミンは門扉に手をかけると、自ら開けようと試みた。
「そんなことをしても開きませんよ」
 門衛は冷たく言った。
「どうして開けてくれないんだ!おい!」
 ドーミンは今にも門衛につかみ掛かりそうになった。
「お気の毒ですが、御主人様の命令ですので」
「どうして村長にそんな権利があるんだよ!」
「詳しい事はわかりかねますが、とにかく私は御主人様の命令に従うまでですので」
「むう…」
 ドーミンは唇を噛みしめた。いつもの半笑いの表情は跡形もない。
「わかった。村長と話してくるよ」
 そう言ってドーミンは屋敷に向かって歩き出した。
「お客様!」
 門衛が後ろから声を掛けた。ドーミンは立ち止まって振り向いた。
「裏門にもちゃんと門衛がおりますから行かれても無駄ですよ。それと塀の高さはどこも4m以上はありますから、越えるのも無理ですからね。大人しくお屋敷へお戻り下さい」
「ちぇっ!」
 ドーミンの考えは完全に読まれていた。ここはあきらめて村長に会うしかなさそうである。

「お早いお帰りでした」
 玄関を入ると、冥土さんが待ちかまえていた。
「さあ、どうぞ。食堂で御主人様がお待ちかねです」
「おい、バーサン!」
 ドーミンは小さいが鋭い声で言った。
「どういうことだ。どうしてアナフキンたちが出られて、俺は出られないんだ。あの村長ってのはいったい何者なんだ」
 冥土さんは少し困った顔をして、静かに言った。
「御主人様にはあまり逆らわない方がよろしいかと思います。御主人様はとても残忍な方でらっしゃいますから、ドーミン様のお命にかかわりますよ」
 ドーミンは言葉を失った。
「さあ、どうぞ」
 冥土さんは静かにドーミンを促した。
「あ、うん…」
 ドーミンは青ざめた顔でゆっくり歩き始めた。

「やあ、おはよう。随分と疲れていたようだね。昼寝のはずが朝までおやすみとは」
 ドーミンが食卓に腰掛けると、待ちかまえていた村長が明るい笑顔で言った。
「ええ。なんせ、昨日は初めての経験を沢山しましたから」
 ドーミンはなるべく平静を装いながら話したが、自分でも笑顔が引きつっている事を感じていた。もっとも、ドーミンの普段のヒネた笑顔に比べてどこがどう違うという程のものではない。
「娘たちもお腹を空かせて待っていたところだよ」
「そ、それは、どうもすみませんでした」
 ドーミンは村長の妻と娘に向かって軽く頭を下げた。2人はニコリともしない。
(なんなんだよ、この連中、感じ悪いなあ)
 ドーミンの気分はもはや最悪である。

「あのう…」
 食事が始まって暫くしてから、ドーミンは思い切って声を発した。
「アナフキンの姿が見えないようですが…」
「ああ、アナフキンなら出て行ったよ」
 村長が答えた。
「え!?出て行った?」
 ドーミンは大袈裟に驚いてみせた。
「ああ。君も知っているとおり、さっきデカ頭娘と一緒に出て行っただろ」
「あ、あれ?そ、そうでしたっけ?あ、あー、そうか!あれがアナフキン達だったんだ、気が付かなかったなあ、そうかそうか、なるほどなるほど」
 ドーミンは冷や汗を垂らした。
「知らなかったのかね」
「ええ、後ろ姿をチラッと見ただけだったのでわかりませんでした。そうかそうか、アナフキンだったのかあ」
「ほほう、すると君は、誰だかわからない2人を追いかけて行こうとしたわけだな、変わってるねえ」
「へ?」
「そういう風に門衛から聞いておるが」
「追いかける?」
「そう言っていたと」
 村長はドーミンの目を見据えている。
「あ、ああ!きっとあれだ、『2人に問いかけてるんだ』と言ったのを聞き間違えたんだな」
「問いかけてる?」
「そうです、トイレから2人が見えて、『どなたか知りませんが、おふたり揃ってどちらへおでかけですかあ』と問いかけたんですが、遠くて聞こえなかったらしくて、それで、もっと近づいて聞こうと思ったんですよねえ」
「ほほう、どうやらこの屋敷の人間は耳が悪いらしいな、昨日の『うんこをされる』から聞き間違ってばかりだ。これはどうも変な事を言ったね、忘れてくれたまえ」
「いやあ、間違いは誰にでもある事ですから、どうぞお気になさらないで」
 ドーミンはとびきりの笑顔を作ってみせた。

「ときに村長さん」
「なんだね」
「アナフキンも先に出て行ったことですし、私もそろそろお暇いたします。どうもお世話になりました。すっかり御馳走になってしまって」
「そうかい、帰るかい」
「ええ」
「楽しかったかい?」
「ええそりゃあもう」
「楽しいならもう少しいなさい」
「いえいえ、そんなにいつまでもお世話になるわけにはいきませんから」
「うちなら構わんよ」
「いえ、これにて失礼します。どうぞ門衛に門を開けるよう伝えて下さい」
 ここは勢いで押し切るに限る。ドーミンは扉へ向かって歩き出した。
「まあまあ待ちなさい」
「待てません。アナフキンが行ってしまいます」
「アナフキンなどどうでもいいではないか。あれは君を売った男だ」
「え!?」
 ドーミンの足が止まった。
「アナフキンが俺を売った?」
「そう、私が買ったんだ」
 村長は静かに言った。
「君はこの屋敷から出られないぞ。ここは“出るに出られぬ大屋敷”だよ、フォフォフォ」
 ドーミンは、頭の中が真っ白かつ目の前が真っ暗になるのを感じた。

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