ドーミン
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ドーミンママの過去

「あれから何年になるかしら。どうしてあなたがこんなところにいるの?」
 ドーミンママは村長の正面に腰掛けると、佃煮を一つ口に放り込んだ。
「君なのか、桃子!」
「……」
 ドーミンママは答えずにモグモグしている。
「おい!」
 村長に睨まれてもまるで気にする風もなく、佃煮をゆっくり飲み込むとドーミンママはようやく口を開いた。
「昔とは少し味が違うわね」
「そりゃ、私が作っているわけじゃないからな。だが、一流の料理人に作らせてるんだ。私の作るものより品がある味だろう」
「私は秘境の育ちだから、田舎くさい味の方がいいわ。昔のあなたが作ってくれた素朴な味。今でも忘れられない。私も真似して作ってみたけど、あの味は出せないわ」
「そりゃ、私はあの頃本当に田舎者だったから。私の田舎くささがそのまま佃煮の味になっていたのかも知れないな」
「ほんと、随分と貫録がついたものね。あの頃のあなたはガリガリの痩せっぽちだったわ」
 ドーミンママは遠い目をした。
「君だって、名前の通り本当に美しい桃色の娘だった。出るに出られぬ大渓谷、秘境ドーミン谷から、まさかよりによって君が出てくるとはな。こんなことを言っては悪いが、今の君の姿を見て、あの桃子だとはまるで気がつかなかったよ」
「悪かったわね。でも桃子だなんて、自分の名前なのに、その名を呼ばれたのは本当に久し振りだわ。ドーミンを生んでから、私はずっとドーミンママだったもの」
「ドーミンか。見てくれはずんだ餅みたいだが、なかなかしっかりしたいい若者じゃないか。私の娘の婿にと思ったが、どうやら縁がなかったようだ。まさか娘のほうから断るとは夢にも思わなかったよ。せっかく君らを結婚式に招待したのに、見込み違いだったな」
「あら、おかしいわね。前と話が違うじゃないの。ドーミンはあなたのブサイクなお嬢さんを騙して逃げていったんじゃなかったのかしら」
 食い違いを指摘されて、村長は慌てた。
「あ、いやいや、そ、そうだ、もちろんそうだよ。それはその…あれだ、騙されたとわかったブサイクな娘がだな…、だ、誰がブサイクな娘だ!失礼な!とにかく、だまされた後でかわいい娘が言ったんだよ。『パパ、私あんな男と結婚しなくて良かったわ。あんな腐ったずんだ餅、こっちからお断りよ!』ってな。そういうことだ」
「ふう〜ん、そうなの」
 村長の心を見透かしたかのように、ドーミンママは余裕のある笑顔を向けた。村長の目が泳いだ。
「フフ、まあいいわ、好きに言ってなさい。どうせあなたの言うことだから信用には値しないしね。でも、ドーミン達は結婚しなくて良かったのよ。もしかしたら2人は兄妹かも知れないもの」
「何だって!?」
 村長は目を見開いた。
「兄妹って、そ、そりゃどういう意味だ」
「どういう意味って、そういう意味よ。ドーミンは誰の子かしら、ってこと」
「ば、馬鹿なことを…」
「馬鹿なことでも何でもないわ。私だってわからないんだもの」
「しかし、あんなもの…いや、御子息はどう見ても御主人の血を引いているようにしか見えないがね。ヒゲを付けて長髪と帽子を被せりゃ色違いのドーミンパパが出来上がるじゃないか」
「見た目だけじゃ意外とわからないものよ。せっかくあなたに再会できたんだから、この際DNA鑑定しましょうか」
「じょ、冗談はやめてくれ」
「あら、冗談なんかじゃないわよ。もしかして奥様の許可が必要かしら。だったら私から話してあげても構わないけど」
 村長の頬に冷や汗が流れた。
「妻には関係ないじゃないか。そもそも、結婚前のことだ。それが本当だとしたって、べつにやましいことはない」
「あらそう。だったら話してくるわね」
 ドーミンママは立ち上がった。
「待て待て、ちょっと待て。いいから座ってゆっくり話をしよう」
 村長はドーミンママをあわてて座らせると、佃煮を差し出した。
「まずはこれでも食べて落ち着きなさい」
「あら、落ち着くべきはあなただと思うけど。まあいいわ」
 ドーミンママは佃煮を口に入れた。
「なにが望みだ」
「……」
 ドーミンママは答えずにモグモグしている。
「おい!…いや、悪かった。飲み込むまで待ってるからゆっくり味わいなさい」
 ドーミンママはゆっくり佃煮を飲み込んだ。
「で…」
 それを見届けた村長が話しかけようとすると、ドーミンママは再び佃煮に手を伸ばし、今度は口いっぱいに頬張った。
「あ〜っと…、まあいい、好きなだけ食べなさい」
 村長はドーミンママの様子を黙って眺めている。
「おひゃひょうはい」
 ドーミンママが口に佃煮を含ませたまま言った。
「は?なんだって?」
「おひゃひょうはい」
 ドーミンママが何かを飲むような身振りをしたから、村長も理解した。
「ああ、『お茶ちょうだい』か。そりゃ気がつかなかったな。オーイ!」
 村長は冥土さんにお茶を運ばせた。お茶を出しながら、冥土さんはドーミンママに訝しげな視線を送った。
「あら、バーサン、ご苦労様ね」
 ドーミンママがお茶に手を付けようとしたから、
「なに!あんたに持ってきた茶じゃないよ!ふざけるんじゃない!だいたい、なんだってあんたがこんなところに悠長に腰掛けてるんだい!掃除はどうした掃除は!」
 冥土さんは怒鳴った。
「あら、ババアのヒステリーは恐いわ。ねえピエール」
「ピ、ピ、ピ、ピエールって!あんた、御主人様に向かって!」
「いいんだいいんだ、君はもう下がっていいから」
 冥土さんは仏頂面で部屋を出て行った。
「で、私にどうして欲しい」
「そうねえ、まず、事情を説明してちょうだい。あの時、どうして急にいなくなっちゃったのか」
「そうだな。私には説明する義務があるな」


 15年近く前のことになる。桃子はドーミン谷きっての器量好しとして、知らぬもののない存在だった。当時はまだ18歳、恋に憧れてはいるものの、身近には魅力ある異性も見あたらず、ただただ運命的な出会いを夢見る乙女だった。
 ところが、夏も終わろうとしているある日。
「お嬢さん、ちょっとお尋ねしますが」
 今まで見かけたことのない男に声を掛けられた。
「は、はい」
 桃子は警戒心を強めた。
「ここは、どこです?」
「どこって、蛇沢三丁目ですけど。そこの田中さんのおうちが3番地です」
「ヘビサワ?いやいや、何丁目でも何番地でもいいんですが、この村はなんてところですか」
「この村は、って、馬鹿なことを。自分の住んでいるところもわからないの?」
「いえいえ、僕はここの住人じゃありませんから」
「何を変なこと言ってるのかしら。じゃあ、あなたはよそから来たとでも?出るに出られぬ大渓谷、ドーミン谷のドーミン村には誰も入って来れないはずよ」
「農民村?」
「ノーノー、ノーミンノー、ドーミン、ドーミンネ、ワカリマスカァ?」
「いやいや、急にそんな妙な発音にならなくたって、僕は流ちょうな日本語でしゃべってるでしょう。落ち着いて下さいよ、美しいお嬢さん」
「あら!今なんと?」
「落ち着いて下さいよ、と」
「落ち着いてますよ。その後よ、わかるでしょ。ホントは聞き返すまでもなくわかってるけど、もう一回言わせたいのよ。鈍いわね、あんた」
「ああ、それは失礼、美しいお嬢さん」
「あらまあ!なんてことかしら」
 この時点で、桃子はすっかり警戒心を解いた。
「あなた、本当に外からやって来たの?」
「ええ、本当ですよ」
 桃子は男の全身を眺め回した。
「なるほど、確かにここら辺じゃ見かけない生物だものね」
「生物とは失礼だなあ、美しいお嬢さん」
「あらまあ、美しいだなんて。あなたもあんまり素敵じゃないけど、まあ、耐えられないほどじゃないわよ」
「そりゃどうも、ははは」
「あなた、何者なの?」
「あ、これは申し遅れました。僕はピエール、しがない旅人ですよ」
「あら、しがない旅人だなんて、なんだか素敵っぽい」
「こりゃどうも」
「あら、誤解しないでね。素敵っぽい、って言ってるだけで、素敵だと言ってるわけじゃないのよ。しがない旅人なんだから、やっぱり素敵なわけないわね。つまらない旅人なんでしょ」
「いやいや、それはその、謙遜して言っているわけであって、そんなにつまらないわけでもないんですけどね」
「あら、そうなの?本当は素敵な旅人なのかしら」
「ええ、そりゃあもう保証しますよ。美しいお嬢さん」
「まあ」
 桃子が恋に落ちた瞬間であった。

 それからの2人は、村の外れで逢瀬をかさねた。ピエールが仮の住まいとしている洞穴を桃子が訪ねるのが常だった。後にドーミンがアナフキンと出会うことになる、あの洞穴である。
「へえ、フィエーフ」
 ピエールの腕の中で、桃子が甘えるように言った。
「また佃煮を口に入れてるのか。いつの間に食ってんだ。布団の中で食うのはよせと言ってるだろう。ボロボロボロボロ食いカスを落とすんだから。それに、話す時はちゃんと飲み込んでからにしろよ」
「……」
 桃子はふてくされ顔になって、黙々とモグモグしている。
「おい!」
 桃子はようやく佃煮を飲み込んだ。
「なによ、飲み込めって言うから一生懸命急いで飲み込んだんじゃない!そこで怒るってどういことよ」
「君が僕を無視したみたいに仏頂面でモグモグやってるからだよ」
「飲み込んでから話せって言ったり、無視するなって言ったり、私はどうすればいいのよ!矛盾してるわ」
 桃子の顔には怒りよりも哀しみの感情が強く見てとれた。ピエールは少しばかり冷静さを取り戻した。
「ああ、そうだね、ごめんよ。僕は少しイライラしているみたいだ」
「私、近ごろのあなたがわからなくなってきたわ」
「わからない?なにがわからないんだい」
「あなた、いつまでも私の両親に会ってくれようとしないじゃないの。もう少し、もう少しって、もうすぐ冬になってしまうわ。いつまでもこんな洞穴で暮らすわけにも行かなくなるのよ。それに、いい加減私だってごまかしきれなくなるわ。いつもどこに行ってるのかって、さっきも訊かれたところよ。本当にこの村で私と一緒に暮らすつもりがあるの?本当にこのドーミン村の村長になるつもりなら、皆の前に早く姿を見せるのが本当なはずよ。やっぱりあなたはこの村を出て行くつもりなんだわ」
「なにを言っているんだよ。出て行こうったって、出て行きようがないじゃないか。ここは一度落ちたら出られない蟻地獄、さもなきゃウツボカヅラさ」
「なんてことを言うの!ドーミン谷はあなたを殺すような真似はしないわ。あなたを迎え入れて一緒に幸せを育んでくれる、それがドーミン谷よ!」
 桃子の顔は涙でグチャグチャになった。
「ああ、まただ。僕としたことが…、悪かったよ、桃子。本気じゃないんだ。ただ、僕もちょっとホームシックになっているっていうか、やはり僕にだって親兄弟がいるんだからね。少し取り乱しているんだよ」
 ピエールは桃子を優しく抱きしめた。
「明日こそ、ちゃんと御両親に会いに行くから。正直言って、確かに僕は今まで迷っていたけど、今度こそ本当に決心がついたよ。君と一緒にこの村で暮らす。そして、村長になるんだ」
「ああ、ピエール!」
 桃子の涙は、喜びの涙に変わった。


「でも、あなたは来なかったのよ」
 ドーミンママは静かに言った。その落ち着きが、かえって村長に怖れを抱かせた。
「申し訳ない」
 村長は小さな声で言った。
「申し訳ないで済む話じゃないわよね」
「いやはや、ごもっともで」
「私があの日、どれだけあなたが現れるのを心待ちにしていたかわかる?」
「はい」
「なのに、待てども待てどもあなたは来なくて、あなたに何かあったのかと、どれほど心配したかわかる?」
「はい」
「そして洞穴であなたの書き置きを見つけて、どれだけ怒りを覚えたかわかる?どれほど哀しかったかわかる?」
「はい」
「それだけ?」
「面目ない」
 村長は頭を垂れ、どんどん小さくなっていった。
「なにがあったの?どうして居なくなってしまったのよ」
「いや、私は決して行かないつもりじゃなかったんだ」
 村長はフゥとひとつ息をついた。
「君の家に向かう途中、奴に出くわしてしまってね。それで私の心が揺らいでしまったんだよ」

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