ドーミン
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解放

「奴?奴っていったい誰のことよ」
 ドーミンママは村長に威圧的な目を向けた。
「フランクだよ」
「フランクですって!?」
 その名前には心当たりがある。いや、心当たりどころではない。それはドーミンパパの芸名なのだ。
「そう、君の旦那だよ。もっとも、ついさっきまで、あの男が君の旦那になってたなんてことは知らなかったがね」
 村長は葉巻きをくわえた。その態度はとても落ち着いているように見えたが、しかしよく見ると、その手が小刻みに震えていることにドーミンママは気付いた。
「私はね…」
 村長は急に顔を赤くすると、怒りに満ちた声で叫んだ。
「あの男に騙されたんだ!決して許すわけにはいかない!」
 村長の怒りは体全体に及び、その全身は激しく震え始めた。
「騙された?」
 さすがのドーミンママも、村長の怒りの凄まじさに圧倒され、身を縮めるしかなかった。
「私もバカだな。どうしてそのことに今まで思い至らなかったのか、我ながら不思議だよ。なぜあの男が私を騙したのか、その理由がわからなかったが、ようやくわかったよ。やつにとって、私は恋敵だったってことだ」
 村長は大きく煙をひと吐きした。


 その時、ピエール(村長)は確かに桃子(ドーミンママ)のもとへ向かっていたのである。
「もし」
 木陰から男が姿を現した。緑青色の皮膚を持ったでっぷりした短足男で、縮れた長髪に独特の口ひげを生やしている。
「はい、なんでしょう」
 ピエールは愛想よく返事をした。男もニコリと笑った。だがその目に笑いの色はない。
(あまり善良な生き物ではないな)
 ピエールの勘がそうささやいている。ピエールは自分と似た匂いをその男に感じた。
「あなたは、最近村外れの洞穴に住んでらっしゃる旅人の方ですね」
「ええ、そうですが」
「ずいぶんと長居されているようだけれど、まだしばらくいらっしゃるおつもりで?」
 その質問には何か含みがありそうだとピエールは感じたが、嘘をつくのはかえって危険かも知れないと咄嗟に判断した。
「ええ、まあ」
 ピエールは素直に答えた。
「そうですか。それはよっぽどこの村がお気に入りになったってわけですね」
「いやまあ、そうと言えばそうですが」
「おや、なにかはっきりしないおっしゃりかたですね」
「いずれにしても、この村を出る手立てがありませんから」
 すると男は大仰に驚いた顔を作った。
「おや、それはどういうことです?この村ならいつだって出られますけど」
「えっ!?」
 今度はピエールのほうが本気で驚いた。桃子から聞いた話と違う。
「いつだって出られるって、そりゃ本当ですか!」
「ええ、もちろん」
「出るに出られぬ大渓谷ってのは、ウソなんですか」
「ああ、確かにかつてはそんな時代もあったみたいですね。でも今のドーミン谷はもはや外界と遮断された陸の孤島ではありませんよ」
「なんと!」
 ピエールは動揺した。既に男の言葉を疑うことを忘れている。
「しかし…」
「誰かがここからは出られないとでも言いましたか」
 男は真剣な表情になった。
「ええ、そのとおりです」
「どういう事情があったのかはわかりませんが、その人にはあなたを外に出したくない理由があったんでしょう。その人なりに仕方のないことだったのかも知れません」
「仕方がないなんて、そんな身勝手なことが許されるはずがない」
 ピエールは桃子の顔を思い浮かべた。
(私がもうひとつ乗り気でないとしても、村から出られないとなれば、自分と結婚せざるを得ないだろうという算段なのか)
 ピエールの中に桃子に対する不信感が起こり、それは同時に嫌悪感となった。
「本当のことを教えて頂いてありがとうございます。え〜と、ミスター…」
「長嶋です」
「長嶋さん?」
「あ、違いました、フランクです。そんなアメリカ人みたいな名前の聞き出し方をしようとするから、ビックリして間違っちゃいましたよ。ミスターと言えば長嶋さんですからね」
「はあ、そうですね」
 ピエールはいちおう調子をあわせておいた。

 数時間後、ピエールはいかだの上にいた。
「このまま川を下って行けば村の外へ出られます。昔は水量が多くて流れが急だったけど、最近は水が減って、安全に航行できるようになりました。力のある船なら、川を上って来ることも出来るようになったんですよ。あなたも、また遊びに来て下さいね」
 フランクは愛想のよい笑顔で言った。
「いかだまで作って頂いて、本当になんとお礼を言っていいものか」
「ちょうどボートが出払っちゃててすいませんねえ。皆、長期の出張に出ちゃってるから」
 フランクは申し訳なさそうに頭を下げた。
「いえいえ、いかだがあれば充分ですよ。本当に親切な方だなあ、フランクさんは。それに比べてあの女と来たら」
 ピエールの桃子に対する気持ちは、すでに憎しみにまで発展している。
「まあ、その人にも複雑な想いがあったんでしょう。許してあげて下さい。同じ村の者として、代わりにこのとおり頭を下げますから」
「フランクさん!!」
 ピエールは感激でついに涙さえ流した。
「ありがとう、この御恩は一生忘れません」
 しかし、恩ではなく、恨みという感情によってこの男のことを一生想い続けることになろうとは、この時のピエールには想像も出来なかった。

 ピエールを乗せたいかだは、ゆっくりと岸を離れた。
「二度と外の世界には出られないと落ち込んでいたから、まるで景色が違って見えるなあ。世界は明るく輝いているぞ!」
 今さらながら、自分が桃子という性悪女を一時でも愛したと錯覚していたことが情けなかった。
「でもいい、過ぎたことだ。この経験をバネに、俺は強く深い男になるのだ」
 頭上に広がる青空と同様、晴れ晴れとした気持ちで川を下って行くピエールの視界に、突如、信じられない光景が映った。
「エッ!」
 川がない。続いているはずの水面が、空中で唐突に終わっていた。
「滝だ!」
 叫んだけれど、どうすることも出来ない。いかだは滝へ向かって加速して行く。
「うわー!」
 それからのことははっきり記憶がない。気がつけば、川岸に流れ着いていた。岩に当たったのか、体中に大小の傷があった。


「九死に一生を得た私は、あのフランクという男に復讐することを誓ったのだ」
 村長は恨みの目を宙に向けた。
「そんなことがあったなんて…」
 ドーミンママの顔には同情の色が浮かんでいる。
「あの人ならやりかねないわね」
「だから私は、モモトフやアナフキンを差し向けて、ドーミンパパの動向をさぐらせていたのだよ。そして、ついに私の奴隷としてこき使う機会を得たのだ。この日をどれほど待ち焦がれていたことか!」
「確かに、そんなことをしたんじゃ、なにをされても仕方がないわね。あの人を好きにするといいわ」
「言われなくたって、そうさせてもらうさ」
 村長は満足気に笑った。
「でもね、ピエール」
 ドーミンママは村長に顔を寄せた。
「私に対するあなたからの償いはどうなるのかしら」
「へ?佃煮?」
 村長は戸惑いを見せた。
「つくだにじゃないわよ、つぐないよ。両親に挨拶をするという約束を破って一人で村を出て行ったあなたの不実は消えていないのよ」
「……」
 そういえばそうだったと、村長は改めて気がついた。
「君の旦那に対する怒りで頭がいっぱいで、そのことをすっかり忘れていた」
「さあ、どういう誠意を見せてくれるのかしら」
 ドーミンママはさらに顔を近づけた。
「いやあ、誠意といってもなあ」
 村長は煮え切らない。
「ドーミンをあなたの子として認知してもらおうかしら」
「そ、そんなバカな!」
「そうと決まれば、奥さんには御承知置きしておいて頂かないとね」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
「あら、待ったらなにかいいことでもあるのかしら?」
 ドーミンママは不敵な笑みを浮かべた。
「わかったよ。認知以外ならなんでも言うことをきくから」
 村長が敗北した瞬間であった。

「いやあ、一体なにがあったんだい?」
 ドーミンパパの顔が晴れ晴れとしている。
「きっと我々の働きが良かったお陰でしょう。これ以上掃除する所がなくなっちゃったんじゃないかな?」
 ムッシュさんもご機嫌である。
「なんでもいいのよ。気が変わりやすい人なんだわ、あの村長さん」
「気が変わったのか。なんだかよくわからない男だな」
 ドーミンパパは事の原因が自分にあるということにこれっぽっちも気付いていない。自分が村長に対して行った過去の行為も覚えてはいないし、そもそも村長があの時の旅人であったことさえも気付かずにいるのだ。
「そうそう、こんなお土産までもらっちゃったのよ」
 ドーミンママは紙袋から包みを取りだした。
「おや、なんだいそれ」
 ドーミンパパが身を乗り出した。
「おいしい佃煮よ」
「え!また?」
 ドーミンパパの顔が曇った。
「あら、嫌い?」
「いやあ、そんなことはないけどさ。なんというかほら、得体がしれないから」
 実はモモトフに、この佃煮はあまり食べない方がいい、と言われたのである。
「まあ、ドーミンじゃあるまいし、あなたまでそんなことを言うなんて。ケツの穴が小さいのね。材料なんてなんだっていいのよ、美味しければ。そうそう、ケツの穴といえば、この佃煮の材料と関係してないことはないわね」
 ドーミンママがニッコリと言った。
「え!?そ、そうなのか。そうだ、ムッシュさん、あんたにお土産だ。とっときなさい」
 ドーミンパパは包みをムッシュさんに差し出した。
「いや、結構。私は体が小さい分、ケツの穴も針の穴ぐらいしかないんだ。そんなもん、食う勇気はない」
 ムッシュさんははっきりしている。
「あら、針の穴に比べたらあなたのケツの穴なんて巨大なものだわ。よかったわね、あなた」
「そ、そうだね、はははは」
 三人はいつもの明るい調子で歩き出した。村長の屋敷が背後で小さくなって行った。

「おーい!」
 放尿堂の便槽から響くモモトフの叫び声は、もはや彼らには届かない。

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