ドーミン
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フルートが欲しい

「プス〜、プッスウ〜」
 ドーミンは憮然とした表情である。
「だめだ、まともに音が出ない、クソ〜」
 フルートの練習を始めてまだ間がない。
「フルートをなめちゃいけないよ」
 アナフキンが諭すように言った。
「根気強く続けることだよ」
「まあ、それはそうなんだけど…」
 ドーミンはなにか物言いたげな表情だ。
「どうかした?」
 アナフキンがやさしく問いかけるとドーミンは言った。
「自分専用のフルートが欲しい」
「ああ、そういうことか」
 アナフキンは納得した様子で静かに話し始めた。
「確かに、借り物では気持ちが入りにくいかも知れないね。楽器に対する愛着がやる気を起こさせるという面もあるし、フルート一本一本に独特の癖というものがあるから、自分専用のものを早く持つことが大事と言えるかも知れない。でも、はっきり言ってそういうことを考えるレベルじゃないから、それはもう少し先に考えたらどうかな」
 アナフキンは自分の言葉に満足した。これはなかなか良いことを言っただろう、という気持ちだった。
「いや、そうじゃない」
 しかし、ドーミンは思いのほか冷めた声で言った。
「え?」
「アナフキンのフルートを使うってことが気持ち悪いんだよ。間接キスだろ」
 アナフキンは言葉を失った。ドーミン相手に変な自信を持ってはいけないのだと、このときアナフキンは肝に銘じたのである。

「どうにかして自分のフルートを調達しなきゃ」
 ドーミンは完全にその気になっている。なるべく早く男同士の間接キスから解放されたいと思っている。
「でも、この村でフルートを売っているようなところがあるのかい?」
 アナフキンが訊いた。
「ないよ。だから困っているんじゃないか」
「それなら、谷の外へ出なきゃならないけど、この谷から出ることができるのかな」
 さしもの山男アナフキンでも、この谷から脱出するには相当の準備と覚悟を要することは明らかだった。
「ねえ、外の世界に行けばフルートが手に入るんでしょ?」
 ドーミンが訊いた。
「まあ、そうだね。でも、タダってわけにはいかないよ」
「どういうこと?」
「人間の世界にはお金ってものがあるけど、妖怪、いや妖精と言っておこうか、妖精の世界にはそういうシステムがないからね。なにかそれに見合った代償が必要なんだ」
「ダイショウってなにさ」
「要するに、フルートやるから代わりになんかよこせ、ってことさ」
「そいつは、そんな生意気な口をきくのか」
「いやいや、それは分かりやすく言ったまでで、そんなふうに要求されることはあまりないよ。とくに私のフルートを作ってくれた職人さんは、とても優しいお爺さんさ」
「そのおじいさんは、谷を出たらすぐに会えるの?」
「いや、ずいぶん遠い所にいるよ。東京っていう大きな街のね、御茶ノ水ってところさ。楽器といえば御茶ノ水なんだよ。これ、世の常識」
「オチャノミズ?」
 ドーミンには聞き覚えがあった。
「そこって、エレキギターなんかも置いてある?」
「ああ、あるよ。エレキバイオリンなんかも置いてあってね、これは人間社会の方の、つまり表の次元の御茶ノ水の話だけど、私の知り合いの鬼山って人はエレキバイオリンを衝動買いしてね。これなら夜中でも弾けるだろうって思ったんだけど、意外と音が大きくて結局ほとんど弾かずにしまい込んでしまったって。もったいないねえ」
「そんな話はどうでもいいんだよ!」
 ドーミンが恫喝した。
「ひゃあ、ご、ごめんなさい!」
 アナフキンは意外とおしゃべりである。
「確か父ちゃんがエレキギターを手に入れたのがオチャノミズだって言ってたような気がする」
「ははあ、するとドーミンパパもあの爺さんのお客なのかな」
 そう言ってからアナフキンは首をかしげた。
「でも、どうやって手に入れたんだろう。君のお父さんはこの谷を出たことがあるのかな」
「いや、そんな話は聞いたことがないなあ。いつも『外の世界を見てみたい』ってよく言っているもの」
「それじゃあ、どうやって…」
 二人には皆目見当がつかなかった。
「よし、聞き出してやる」
 ドーミンは自宅へすっ飛んで帰った。

「ただいまあ」
 家の中にはいい匂いが漂っている。ドーミンママが夕食の仕度をしていた。
「あら、遅かったのね。すぐご飯よ。手を洗って着替えてらっしゃい」
「はーい…って、僕、いつも裸じゃないか」
「あらそうだったわね、ホホホ」
「全くいつも同じ冗談ばっかりで飽き飽きだよ」
 ドーミンはため息をついた。
「まあ、これは手厳しい。あなたにはレベルの低いジョークは通じないのね…って、もういないじゃないの。まったくせわしない」
 いつもの母子の光景である。

「いななきまーす!」
「ヒヒーン!」
 ドーミンパパが音頭を取り、ドーミンとドーミンママが唱和する。これがドーミン家の食事前のしきたりだ。
「これ、美味しいね」
 ドーミンは今夜の佃煮がいたく気に入った。
「ほんとに美味しいよ、この佃煮」
 ドーミンパパも顔をほころばせて言った。
「あら、そう。それは良かったわ」
 ドーミンママは褒められて嬉しそうだ。
「これ、何の佃煮?」
 ドーミンが訊いた。
「……」
 ドーミンママには聞こえなかったのかも知れない。ドーミンはもう一度訊いた。
「ねえ、これ、何の佃煮?」
「……」
 やはりドーミンママは答えない。
「ねえ、ママ、これはいったい…」
「ドーミン!」
 その時ドーミンパパが怒鳴った。
「世の中には、訊いて良いことと悪いことがあるんだ!」
「ええ〜!?」
 ドーミンは理不尽さを感じた。どうして自分が怒鳴られなければならないのか、子供の素朴な疑問を無視する母親こそ責められるべきではないのか、と。
「ど、どうしてさ!」
 ドーミンは勇気を振り絞って反発した。
「あなた、ゴニョゴニョゴニョ」
 すると、その様子を見たドーミンママがドーミンパパになにやら耳打ちをした。
「ああ、そうか、うん」
 ドーミンパパの表情が少し和らいだ。なんとなく照れ臭そうでもある。
「ドーミン、ちょっと違ったみたいだ。言い直そう」
「なにさ」
「世の中には、知らないほうが良いこともあるんだよ」
 こんどは優しく語りかけるドーミンパパだった。
「そうかい、わかったよ。まったく何食わせたんだよ、いったい」
「まあ、世の中は謎だらけってことさ、ハハハハ」
「そうね、ホホホホ」
 ドーミンパパもドーミンママもなぜか楽しそうだ。
「笑えねえ。たぶん俺はグレるぞ」
 いままで自分のことを“僕”と呼んでいたドーミンが、初めて“俺”を使った瞬間だった。それは子供のドーミンから大人のドーミンへのメタモルフォーゼと言えるものかも知れなかった。

 食事が終わり、ドーミンママは後片づけのためにキッチンへと消えた。食卓に居座ったまま爪楊枝でシーハーやっているドーミンパパに向かって、ドーミンはいよいよその話を切り出した。
「なあ、オヤジ」
「なんだ」
「オヤジのギター、御茶ノ水で手に入れたって言ってなかったか」
「ああ、そうだよ」
 “父ちゃん”という呼び名が“オヤジ”に変わったことになぜか気付かないドーミンパパだった。
「御茶ノ水に行ったことがあるのか?」
 ドーミンの口調にはグレ始めた気配が漂っている。いや、既にグレ切ったと言っても言い過ぎではないかも知れない。
「御茶ノ水に?行けるわけないさ。この谷を出たことがないんだから」
「じゃあ、どうやってギターを」
「トリガー君だよ」
「トリガー君?」
「運送屋のトリガー君を知らないか?」
「知らねえなあ」
「あのクルクル廻ってブーンと飛んでくトリガー君を知らない?」
「知らねえよ」
「頭が重いからフラフラしちゃって、トリガー付きじゃないとすぐ倒れちゃうトリガー君だぞ、知らない?」
「知らねえって言ってるじゃねえか」
「ふう〜ん、知らないんだあ」
 ドーミンパパは勝ち誇ったような薄ら笑いを浮かべてドーミンを見た。
「なんだよ、なんでそんな顔で見るんだよ」
「いやなに、お前が何を考えているのかなと思ってね」
 ドーミンパパはこう見えて馬鹿ではない。ちょっとした態度の変化から相手の心理を読み取る鋭敏な観察眼を身に付けている。その上で意味あり気な言動によって相手の心を揺さぶり、さらに奥深い相手の本音を引き出そうとする。全く油断のならない相手なのだ。いくら意気がってみたところで、今の自分にはとうてい敵う相手ではないことぐらいドーミンには充分過ぎるほど分かっていた。
「なに、この谷の外に出たことがあるのかと思って興味がわいただけさ」
「そうか。あのアナフキンとやらの影響で、外の世界に興味をもったのかな」
「まあ、そんなところだよ」
 ドーミンはこれ以上話すことは危険だと感じた。自分がこっそりフルートの練習をしていることをまだドーミンパパに知られたくはなかった。しっかりとした実力を身に付けたそのとき、初めて父の前に立とうと決めているのだ。
「ふうん。私も外の世界に行ってみたいもんだな。こんどお前のお友達のアナフキン君を家に連れてきなさい。私も彼の話が聞いてみたい」
「ああ、わかったよ。今度もし会う機会があったら言っておくよ」
 フルートのレッスンのためにアナフキンとは毎日顔を会わせているのだが、そのことを悟られるわけにはいかなかった。
「じゃあ、今日はもう寝るから」
 ここはそろそろ退散したほうが安全だと、ドーミンは思った。
「おや、もう寝るのか。飯食ってすぐ寝ると牛になるぞ。人間の場合はたとえ話だが、われわれドーミン族にとっちゃあながち嘘とも言えない」
「えっ!マジで!?」
「…かもね。フフ」
「ケッ!」
 吐き捨てるように言ってドーミンは歩き始めた。親子断絶の危機はいよいよ深刻な局面を迎えているのかも知れなかった。

「ドーミン!」
 部屋のドアに手をかけたとき、背後からドーミンパパが声を掛けた。少しだけ振り返ったドーミンの耳には、思いも寄らない言葉が飛び込んできた。
「トリガー君に会いたいならムッシュさんのお店へ行きなさい。あそこが取り次ぎ店になっているから。それから、フルートが欲しいのなら御茶ノ水の楽器店の爺さんに紹介状を書いてやる。それをトリガー君に渡して持って行ってもらいなさい」
 ドーミンは耳を疑った。
「どこまでこのオヤジは底知れないのか」
 悔しいけれど、このヒゲオヤジを超える日はまだまだ遠いと予感したドーミンだった。

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