ドーミン
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小動物病院

「ブッ! ブブブブブブッ! ブモッ!」
 ドーミンを背中に乗せて歩いていた牛のジョンが、突然奇声を上げた。
「どうしたんだ、ジョン!」
 ドーミンが声を掛けた時には、ジョンの体は斜めに傾いていた。
「ドォーーン!」
 ジョンは地響きとともに倒れ、ドーミンは地面に叩きつけられた。
「おい、ジョン、大丈夫か!」
 自分の体の痛みも忘れ、ドーミンはジョンの身を案じた。ジョンは口から泡を吹き、完全に意識を失っていた。
「ジョンが気を牛なっている。いや、失っている!」
 自分の中でしかわからないダジャレに満足しながらも、それどころではない、とドーミンは己を戒めた。
「あ、あんなところに動物病院が!」
 実にうまいことに、数十メートルと離れていない先に『小泉小動物病院』という看板を掲げた建物があった。ただ、小動物病院というのが少しばかり気になる。
「すいませーん、ちょっと診て頂きたいんですが」
 中へ入ると、実に小さな病院だった。
「はいはい、なんでしょう」
 診察室から現れたのは、まだ若い青年だった。とても簡単な顔をしている。白衣を着ているから、これが医師に違いない。
「あのー、ここは小動物病院と書いてありますけど、小動物しか診てもらえないんでしょうか」
 小動物といえば、ハムスターとか、小鳥とか、せいぜいが猫や小型犬といったところなのだろうか。だとしたら、当然、牛なんてものは診察してもらえるはずがない。
「小動物? なにを言ってるんですか? うちはれっきとした総合動物病院で、小動物限定なんてことはありませんよ」
 医師はきっぱりと言った。
「そうなんですか。じゃあ、動物の前の『小』ってのはなんですか?」
「ああ、あれのことですか。あれは小学校の『小』です。小学病院なんですよ、ここ」
「小学病院?」
 ドーミンは首を傾げた。
「あれ? 御存知ない?」
「ええ、よくわかりませんが」
「おや、ものを知らないお人だ。人じゃないけど」
「あ、その『人じゃないけど』っての、久しぶりに聞いた気が」
「まあ、そんなことは気にせずに」
「で、小学病院って?」
「大学病院ってのは御存知でしょう? 東大病院とか。ここは小学校の付属病院。それも、動物専門だから、小動物病院」
「あ、なーるほど。ということは、『小泉小学校動物病院』の略ってことですね」
「まあ、そういうことですね」
「ってことは、小動物に限らず診てもらえるということですか」
「そりゃそうです」
 ドーミンは安心した。
「ところで、どうして小学校の付属病院なんでしょうか。お医者さんが小学生レベルってこと?」
「いえいえ、とんでもない。そんな馬鹿な話がありますか。小学生レベルじゃ、絆創膏を貼るぐらいしか出来ないじゃないですか」
「ははは、そりゃそうですね」
 ドーミンは我ながら馬鹿なことを訊いたと思った。
「安心して下さい。この病院の医師は、ちゃんと小学校卒業レベルですから」
「へ?」
「ちゃんと、消毒もできますしね。ちなみに消毒には、消毒液の染み込んだお手ふき紙を使います。給食の前に配るやつね。最後の方はビチャビチャだったりするんですよね、あれ。それから、赤チンも塗れますよ」
「赤チンって。最近使わないですよ、あんまり」
「そんな世間のことは知りゃしません。ウチじゃ使うんです!」
 医師は急に声を荒げた。
「ああ、そうですか、こりゃ、失礼しました。でも赤チンぐらい、幼稚園児でも塗れるんじゃないかなあ」
 そのドーミンの挑発ともとれる言葉を聞くと、医師は鬼の形相へと変わった。
「馬鹿を言っちゃいけない! 手負いの猛り狂う野獣を相手に赤チンを塗る行為がどれ程危険なことか、あなたは知っているのか! 暴れ馬、暴れ牛、はたまた暴れ熊、揚げ句には人食い鮫まで、あなたなら赤チンが塗れるのか! ましてや幼稚園児など、たちまちのうちに食い殺されてしまうであろう!」
 医師のあまりに激しい剣幕に、ドーミンは一歩身を引いてしまったほどであった。
「『食い殺されてしまうであろう!』って、熊に人食い鮫じゃあ、幼稚園児どころか大人だって食われちゃうよ」
 それでもツッコミは忘れなかった。
「それはそうと、こんなことを言ってる場合じゃないんです。僕の牛を診てください。すぐ近くで気を牛なっている、いや、失っているんですけど」
「牛?」
「はい」
「牛というと、あのブモ〜ッというあれですか」
「牛と言やあ牛でしょう。それ以外になにがあるって言うんです。獣医のくせにそんな確認をしないとわかりませんか?」
 すると、医師は不機嫌な顔になった。
「なんだ、いちいち突っかかってくる人だ。人じゃないけど」
「はいはい、そうです、ブモ〜ッという牛ですよ。いいから早くお願いします」
 ドーミンもかなりイラつき始めていた。
「じゃあ、診てあげますから、その牛を連れて来て下さい」
「は?」
 ドーミンはいよいよあきれてしまった。
「ねえ先生、人の話聞いてますか? 人じゃないけど」
「妖怪ですね」
「妖精と言って下さい。って、そんなことはいいんです。あのね、こんなとこに連れて来られるわけないじゃないですか」
「ははあ、さては暴れ牛ですか」
「『ははあ』じゃないよ、もう」
「『もう』って、ダジャレですか、うまいですね、もう」
「うるさい。ほんとに人の話を聞いてないんだな。人じゃないけど」
「妖精ですね」
「そうです。って、そんなことはいいんだってば、もう」
「あ、また『もう』って…』
「やかましい! あのね、僕の牛がすぐ近くで気を牛なっている、いや、失っているって言ったでしょ。暴れ牛どころか、眠れる森の牛ですよ。森じゃないけど」
「道端ですね」
「そうです。って、だからいいんですよ、そういうことは。とにかく、あんな倒れてる牛をどうやって連れて来いっていうんですか。先生が来て下さいよ」
「それは困りましたねえ。当院では往診は行っていないんですよ。この病院は私一人でやっていますからね。私がいなくなると他の患者さんに迷惑がかかってしまいます。というわけでお引き取り下さい。次の方どうぞ!」
 医師は大声をあげた。
「おいあんた、ふざけてんのか」
 その声音は低く抑えられていたが、そこには殺気にも似た感情が潜んでいた。ついにドーミンの忍耐も限界に達したようである。
「『次の方』なんてどこにいるんだよ。さっきから他の患者なんてだーれもいやしねえ。くだらねえこと言ってねえで、いいから俺の牛をとっとと診察しやがれってんだ! このクソバカタレのスットコドッコイが!」
 ドーミンの怒りが爆発した。だが、医師は顔色も変えず、むしろ楽しそうでさえある。
「おや、粋だねえ、あんた江戸っ子かい? 実はあちきも築地の生まれでねえ」
「へえ、ほんとかい。俺はドーミン谷の生まれでね、江戸っ子なんかじゃねえや」
「あ、なんだ。ってことは、ナンチャッテ江戸っ子かい。実は私もそうなんだ。築地ってのは嘘でね、実は生まれはこの辺なんだよ。いやあ、でも君、ナンチャッテ江戸っ子の割にはなかなか様になっているじゃないか、ははは」
 医師は白い歯を見せて笑った。
「ああ〜」
 ドーミンは頭を抱えた。
(あの無駄話の権化みたいなヒゲオヤジと暮らして来た中でさえ、ここまで不毛な会話をしたことはなかったぞ)
 ドーミンの目に決意の火が灯った。
「いいから来い!」
 ドーミンは医師の襟首を引っ掴むと、そのまま外へと引きずって行った。
「君、何をする! 離したまえ!」
 医師がなにを叫ぼうと構わず、ドーミンは牛の元へと医師を引っぱって行った。

「あれ!?」
 ドーミンは思わず大きな声をあげた。ジョンがいなくなっている。
「どこにいるんです、その牛とやらは」
 医師はドーミンの手を振り払うと、不機嫌の極みといった顔で言った。
「さっきまで確かにいたんだ。どうしちゃったんだろう、意識が戻ってどっかへ行っちゃったのかな」
「おや?」
 医師がなにかに気づいた。
「なにかを引きずったような痕がありますね」
「なんだって!」
 道横の草むらの中に、一本の小道のような、なぎ倒された草の帯が続いていた。
「この倒れた草を見ると、確かにちょうど牛ぐらいの幅ですね。何者かが牛を連れ去ったのでしょうか」
「でも、倒れた牛を引きずって行くなんてことが誰にできるって言うんだよ」
「うーむ」
 医師は腕を組んでなにかを考えている。
「もしかして、アイツの仕業かも知れない」
「アイツ?」
「そう、伝説の怪物…」
「か、怪物!?」
「オンゴボンゴドンドンモンゴス」
「オンゴ…?」
「…ボミドミマンゴス」
「まだ続いてたのかよ! なんだよそのクソ長ぇ名前は」
「なんだよって、だから怪物の名前」
「もういっぺん言ってみてくれよ」
「だから、オンゴボンゴボンボンドンゴスボンスモンゴスです」
「なんかさっきと違わないか?」
「確かに違っているかも知れない。なぜなら、その正体は誰にもわからないから」
「なんかおかしいだろ、それは」
「ヤツは変幻自在なのです」
「でも名前は変わらないだろう、普通」
「いやいや、アイツが一貫してないんだからしょうがないんですよ」
「一貫してないってどういうこと?」
「いえね、こないだウチに遊びに来た時には、『こんにちは、オンゴドンゴモンモンボスゴスモスモスバンゴスです』とか言ってましてね、もうムチャクチャなんですよ、あいつ」
「なんか、親しい間柄みたいに聞こえるけど」
「いやいや、謎の存在です。決して気を許してはいけない、恐ろしい怪物ですよ。ま、通称『オンゴ』で通ってますがね。彼も、そう呼んでくれていいよ、って言ってました」
「なんか気さくな感じだなあ。やっぱり仲良しなんじゃないの?」
「冗談じゃありません、あんなヤツと仲良くしたら、たちまち食い殺されてしまいます」
「あ、ってことは、人食い鮫とか人食い熊なのかな」
「いえ、あくまでもオンゴドンゴモンゴスボンボンノンノモンゴシです」
「ノンノモンゴシ?」
「はい。得体の知れない喋る怪物です。誰もその姿を見たものはいません」
「え? だって、さっき、家に遊びに来たって言ったじゃんか。会話してたのに見たことないってどういうことだよ。人と話をする時は相手の目を見て話しなさい、って教えられなかったのかよ」
「はい、もちろん教わりましたよ。でもヤツは怪物です。人じゃありません。目を合わせたら最後、石にされてしまいます」
「あ、話が変わってる。それ、メデューサの話だろ。やっぱり口からでまかせだったんだな、さっきからおかしいと思ってたけど」
「なにを失敬な! 話は全然変わってなどいませんよ。石になる話は今初めて出て来たというだけだし、私はオンゴ君を見ながら話したなどとはひとことも言っちゃおりません。なんならVTRをチェックしてもらってもいい」
「VTR?」
「いや、VTRは嘘です。勢いで言ってしまいました。とにかく、オンゴ君は危険だ。今ごろ、あなたの牛はステーキにされていることだろう!」
「石にされてるんじゃないんだ」
「あ、そうか、なるほど。おっしゃるとおり、もしかしたら石焼きステーキにちょうどいい石にされているかも知れない」
「どっちにしてもステーキ関連なんだな」
 ドーミンは悩んだ。
(さて、どうしたものか)
 得体の知れない怪物、『オンゴ君』を追ってジョンを助けるべきか。しかし、石にされる危険を冒してまでジョンを助ける価値があるのだろうか。
「無い。あきらめよう」
 ドーミンは先へ急ぐことにした。
「こんなことしちゃいられないんだった。大ちゃんとアナフキンに追いつかなきゃ」
 人生においては、大切な出会いもあれば、なんだか意味のよく分からない刹那の出会いもある。ジョンとの思い出は自分にとってなんだったのだろう。今のドーミンにはまだわからない。だが、いずれその答えが出る時がきっとくるだろう。そんな思いを胸に抱きつつ、ドーミンは再び歩き始めた。

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