ドーミン
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馬喰の横山

「なあ、もう歩きっぱなしで疲れちゃったよ。ちょっと休むね」
 ドーミンは道端にちょうどいい岩を見つけると、その上へ腰を降ろした。
「やれやれ」
 水色のタオル地ハンカチをどこからともなく取り出すと、それで顔の汗を拭った。
「ハンカチ王子かよ。流行はすぐ真似するんだな。ミーハーなこった」
 大ちゃんは、少し蔑んだような顔でドーミンを眺めた。
「ドーミンはテレビっ子だからね」
 アナフキンも少し小馬鹿にしたような顔で見ている。
「なに? ハンカチ王子? そんなの聞いたことないぞ。なんのことだかさっぱり」
 ドーミンがそう言ったときの顔つきが、とても嘘をついているようには見えなかったから、大ちゃんもアナフキンもドーミンの言葉を信じた。
「そうか、たまたまだったんだな。疑って悪かった。あやまるよ」
「ま、いいってことさ。俺はそんなことを気にする小さな男じゃないからね」
 ドーミンは余裕の笑みを浮かべた。
(ドーミンはいつのまにか大人になったんだな)
 アナフキンは、なにかとても嬉しかった。

「ところでドーミン、そのハンカチ、どこから出したんだ? お前、素っ裸だし、バッグだって持ってないのによ」
「ああこれ? へへ、不思議だろ」
 ドーミンは楽しそうに笑った。
「実はいままで皆には黙ってたけど、俺、裸じゃないんだぜ」
「え?」
 皆は意味がわからず、ドーミンの体をじっと眺めた。
「なに言ってやがる、やっぱり裸じゃねえか」
「まだわかんないのかい? 実はこれ、ボディースーツなんだ。本物の裸だと思ってビックリしたかい? ヘソだってちゃんと描いてあるんだぞ。ハンカチはスーツの中から取り出しました〜」
 ドーミンは得意満面の表情である。
 ところが、大ちゃんもアナフキンも、驚くどころか、ますますしらけた顔になった。
「ケッ、低俗だな」
「不謹慎ですよ、ドーミン」
 そう言い捨てると、ドーミンを置いて再び歩き出してしまった。
「え、なにが? なんで?」
 ドーミンにはなにが低俗で不謹慎なのかわからない。本当の裸で歩くより、こっちのほうがよほど社会性があるではないか。
「なんだよー、わけわかんないよー。ちょっと待ってよー。もうちょっと休もうよー」
 騒いでみても、二人は振り向く素振りさえない。
「ちぇっ!」
 ドーミンは仕方なく二人の後を追って歩き出した。
「ああ、やっぱりだめだ、もう歩けないや」
 しかし、ほんのわずか行ったところで、また腰を降ろしてしまった。今度こそ、もう動けないと思った。
「そういや、なんで歩いてるんだっけな」
 疲れのせいか、父親たちの危機を救うという目的さえすっかり忘れてしまったかのようだ。
「ま、いいか。しばらく休んじゃお」
 ドーミンは道端で居眠りを始めた。

「もしもし」
 肩を叩かれて、ドーミンは目を開いた。
「ん?」
「こんなところで居眠りをしててもいいのですかな。お連れさんはもう随分と先のほうへ行ってしまいましたよ」
 見れば、口の周りにべったりと青髯を貼り付けたなんとも油っぽいオヤジが、覗き込むようにドーミンの顔を眺めていた。
「誰だい、おっさんは」
 ドーミンは用心のために身構えた。
「警戒なさることはございません。決して怪しいものじゃございませんから」
 オヤジは人懐こい笑顔を見せた。
「怪しいものじゃなけりゃ誰さ。どうして連れのことを知ってるんだ」
「お連れさんとはこの道の先ですれ違いましてね。もしもお坊ちゃんが休んでるようだったら、声を掛けて早く追いかけるように伝えてくれって頼まれたんですよ。申し遅れましたが私、横山と申しまして、馬喰をやっております」
「ばくろう?」
「そう、馬をあつかう商人でございますよ。ほれ、あそこに二頭の馬を連れてきております」
 少し離れた木の幹に、確かに二頭の立派な馬が繋がれていた。
「そうかい。そりゃ面倒をおかけしましたね。もう起きたからいいよ、ありがとさん」
 ドーミンは目をこすりながら立ち上がると、大きな欠伸をした。
「疲れも少しはとれたみたいだから、どれ、二人を追いかけるとするか。えーと方向はこっちでいいんだっけかな」
 ドーミンはどちらの方向へ向かうべきなのかよくわからなくなって、後ろを振り返った。すると、そこにはまだ馬喰の横山がなにか言いたそうな顔をして突っ立っているのである。
「あれ? おっさん、まだいたのかよ。なんか俺に用でもあるのかい」
「用ですか。そりゃあ、ありますとも」
 しかし、馬の商人など、どう考えたってドーミンに用があるとは思えない。
「いったいなにさ」
「商人の用事といえば、商売に決まってますよ、お坊ちゃん」
 横山は商売人らしい、隙のない笑顔をつくった。どうせつくり笑いだろうと思いながらも、つい気分を良くしてしまうような、そんな笑顔だった。
「商売って、まさか俺にあの馬を売ろうってわけじゃないよね」
「馬喰の商品は馬しかございませんよ」
(なにを言っているのだ、このおっさんは)
 ドーミンはきっとからかわれているのだろうと思った。
「つまんないこと言ってないで、ちゃんと馬を買ってくれる人のところへとっととお行きよ。俺は急いで二人を追わなくちゃならないんだから」
 ドーミンは横山を放ったままにして歩き出そうとした。
「お坊ちゃん、そっちじゃありません。反対ですよ」
「あっそうか、いけね」
「お坊ちゃん、悪いことは言いません、馬を使いなさい。歩いてたんじゃ、大事な御用に間に合わなくなってしまいます。お父さんたちを助けに行かなきゃならんのでしょう?」
「あ! そうだった! 思いだしたぞ!」
 確かに横山の言うとおりだった。のんびりトボトボ歩いている場合ではなかったのだ。
「ああ、俺としたことが、どうして昼寝なんて。いったいどうしたらいいんだろう!」
 ドーミンは天を仰ぎ、両腕をいっぱいに広げて叫んだ。
「お坊ちゃん、落ち着きなさい。だから、馬を使いなさいと言っているんです」
「馬ったって、そんなもん、ただでくれるわけじゃないんだろ。俺はなんにも持ってないよ。ほ〜れ、このとおり素っ裸なんだから」
「フフフ」
 横山は不敵な笑みを浮かべた。
「私の目を甘く見てはいけませんよ。その肉じゅばんはなんですか」
「に、肉じゅばんって言うな! ボディースーツだ!」
「ま、なんでもよろしいですが、そのなんとやらを私の馬一頭と交換致しましょう」
「え、本当に?」
 これはいい話だとドーミンは思ったが、しかしこの肉じゅばん、いや、ボディースーツに馬一頭の価値があるのだろうか。
「実に素晴らしい」
 ドーミンのその思いを察したかのように、横山はボディースーツを称賛し始めた。
「このリアルな皮膚感覚、まさか誰もこれが偽物だとは思わないでしょう。これを作られた方は、天才に違いありません。これこそまさに至高の芸術品ですよ」
 ボディースーツを作ったのはドーミン自身だ。ここまで褒められて気持ちの悪いはずはない。さっきまで、馬一頭の価値にはとうてい足りないと思っていたのに、今や馬一頭では安過ぎるような気がしてきた。
「そこまで褒めるのなら、馬二頭と換えておくれよ」
 ドーミンは臆面も無く言い放った。
「馬鹿を言っちゃいけない!」
 横山の血相が変わった。
「これだから子供って奴は! 馬二頭だって!? 馬と鹿を一緒になら換えてやったっていいがね。わかるかい、お坊ちゃん。人の言葉をそのまま受け取るもんじゃないんだ。言葉の奥になにが隠れているのか、それを察することが出来なければ大人とはいえないんですよ。いいから馬一頭を有り難く受け取っておきなさい」
 横山の強い物言いにドーミンは気圧され、従う以外にはなかった。
「それじゃあ、確かに。可愛がってやって下さいよ」
 横山はドーミンのボディースーツを受け取り、残ったもう一頭の馬に乗ると、一気に駈け去っていった。

「うわ、やっぱり寒いなあ」
 秋の風が素肌を刺激した。
「おまえ、名前はなんてえんだ? といったって、答えられるわけはないか、ははは」
 ドーミンは馬に話しかけた自分を自嘲するように笑った。
「ジョン」
「うわっ! 答えやがった!」
「驚くこたあねえや。俺様は馬じゃねえ」
「馬じゃないって?」
 しかし、ジョンの姿はどこをどう見ても馬そのものだ。
「俺には馬にしか見えないけどなあ。あのおっさんも馬だって言ってたじゃんか」
「そう、あの横山の野郎だ。アイツのお陰でおれは馬の姿にされちまったんだ」
「馬の姿にされたって、いったいどうやってさ」
「そりゃあ、魔法に決まってるだろうに」
「そんな、ありがちな…。安易なストーリーだね」
「安易だろうがなんだろうが事実なんだからしょうがねえ。ところであんた、俺を元の姿に戻してもらいてえんだがな」
「いやまあ、俺にできることならやってあげないことはないけど。いったいどうすればいいんだい?」
「それがまあ、ありがちと言っちゃありがちなんだがね」
「まさか…」
 ドーミンは嫌な予感を覚えた。
「くちづけをひとつ。それもディープなやつを」
「馬鹿を言っちゃいけない!」
 少し前に言われたセリフが、今度は自分の口から出てきた。
「どうして、こんな汚い馬の口にディープキスなんかしなきゃいけないんだよ。病気になるに決まってる!」
「まあまあ、そう興奮しなさんな。ひとつ耳寄りな情報を教えてやろう。これを聞いたらお前さんの気持ちも変わるってもんだ」
「変わるわけがないさ」
「まあ、いいから聞きなって。今でこそこんな雄馬のなりをしているがね、実は絶世の美女だったらどうする?」
「え!?」
 ドーミンの目が輝いた。
「そ、そうなのか!?」
「若いよ」
 それだけを言うと、ジョンは沈黙したまま微笑を浮かべた。
「うーむ」
 ドーミンはしばし悩んだ。

「よし!」
 決意の言葉を発すると、ついにドーミンはジョンの口へむしゃぶりついた。
「これでどうだ!」
 すると、ジョンの体がにわかに変貌を遂げ始めた。
「うわあ、すげえ!」
 ジョンの言ったことは嘘ではなかったのだ。今、彼の本当の姿が現れようとしていた。
「な、なんだこれは!」
 しかし、そこに現れたのは、若く美しい女性などではなかった。
「は、話が違う! どういうことだ! おい、ジョン!」
 ドーミンはジョンの体を激しく叩いた。
「おい! なんとか言ったらどうだ!」
 しかし、ジョンは空ろな目つきで、ただ、
「モ〜!」
 と、鳴くばかりだった。
「畜生! 文字通り畜生じゃねえか! 俺のくちづけを返せ!」
 しばらくの間、狂ったようにそのジョンを叩き続けていたドーミンだったが、ついにあきらめたのか、その背中にまたがると、ゆっくりと道を進み始めた。
「ちぇっ、こんな牛に揺られて行ったんじゃ、何日かかるか知れたもんじゃねえな。でも、もういいや」
 ドーミンは、すっかり気力を失っていた。今や、なんのためにどこへ向かおうとしているのかさえ、よくわからなくなってしまっていた。
「でもなあ、ジョン。あんなに賢い馬だったのに、こんな馬鹿牛に戻りたいなんて、俺には理解できないなあ。なにもわからなくなっちまうほうが幸せなこともあるってことなのかい? おまえ、馬にされていた間、幸せじゃなかったんだな、きっと。あの横山って馬喰が人で無しだったんだろう。よし、ジョン。俺がお前の面倒見てやるよ。どういうわけか、お前のこと放っておけなくなっちゃった。これも、くちづけの魔力かな。ははは」
 ドーミンの手が、優しくジョンの体をさすった。

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