ドーミン
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アナフキンの過去

「ねえ、穴付近。あ、違った。ねえ、アナフキン」
「今、漢字で呼びましたね」
「そうだけど、わざわざ言い直すこともなかったね。どうせ分かりゃしないのに。そのへん、まだまだ世渡りが下手だなあ、ダメだダメだ」
 2人が出会った翌日、ドーミンはアナフキンのことを既に呼び捨てにしている。

(このドーミンって子供はかなりの性悪かも知れない。まるで、あいつのように…)
 アナフキンの頭には過去の苦い思い出が去来していた。

「ねえ、アナフキンってば」
「なんでしょう」
「アナフキンは人間みたいに見えるけど、人間?」
「いえ」
「じゃあ、やっぱり僕らと一緒で妖精?」
「妖精?」
「僕、妖精なんだよ」
「ホントですか?誰が言いました?」
「父ちゃんとママ」
「『父ちゃんとママ』ですか。なんだかチグハグな呼び方ですが…」
「そんなことはいいんだよ」
「ご、ごめんなさい。えーと、ご両親は信頼できる方々ですか」
「いいえ」
「なんと。えーと、言い方が悪かったかな。ご両親の言うことは信用できますか」
「いいえ」
「うーん。もう一度訊きますが、ご両親はウソをつかれたりはしないですよね」
「いいえ」
「ははは…」
「もしかして僕、騙されてる?」
「多分」
「なんと。あのヒゲオヤジばかりか、ママまでも」
「妖精だという他には何と言われました?」
「脱皮をして羽が生えるとか、筋肉質になるとか」
「あれまあ」
「人間のそばに写っている小さい妖精は僕らの仲間じゃないの?」
「ドーミンはあんなに小さくないでしょう。見た所150センチはある。それにあれはヨーロッパの方の写真ですからねえ」
「ここはヨーロッパじゃないの?」
「え!?そんなことも知らない?」
「知らない…」
 ドーミンは少し恥ずかしそうに下を向いた。
「この谷は木曾の山中にありますからねえ」
「木曾?」
「そう。ここは日本ですから、やっぱり我々は妖精というよりは妖怪でしょうか」
「妖怪!」
 ドーミンの顔には驚きと共に落胆の色が浮かんだ。
「そうガッカリする事もありません。妖精も妖怪も特に違うものではありませんから。呼び方の問題ですよ。最近の流行りで言えばポケットモンスターと呼んでもいいかもしれない」
「ああ、ポケモン。僕、あんまり詳しくないんだ、ああいう子供っぽいものには興味が薄いから。でも、少しは知ってるよ。一番の人気キャラの名前はたしか“ヒカシュー”っていうんだよね」
「“ヒカシュー”じゃないですね。“ピカチュウ”ですね。暗い部屋では見ないで下さいね」
「ああそう。でもさ、結局なんでもいいってことなの?僕らの呼び名は」
「基本的には妖怪ですが、お好みでいいかも知れません。しょせんは決めごとですからね」
「じゃあ、やっぱり妖精と呼んでくれ」
「まあ、妖精だと言い張るのは勝手ですが…」
「あっ!」
 ドーミンは何かに気付いたようだ。
「どうしました」
「父ちゃんたちの話は全部デタラメなんだよね」
「そうですね」
「ということは、自然と筋肉質な体になるというのもウソ?」
「ウソですね」
「また、体を鍛え始めないと…」
 そういうお年頃のドーミンである。
「だけど、アナフキンって物知りだねえ」
「こんなのは物知りのうちには入りませんが、以前はいちおう教師をやっていました」
「学校の先生だったんだ」
「もう辞めちゃいましたけどね」
「どうして?」
「いやあ、私はダメ教師でしたから…」
 そう言ってアナフキンは遠い目をした。

 数年前、アナフキンが現役の教師だった頃のある日。
「じゃあ、ここのところはいいかな。何か質問のある人」
「はい!」
「は、はい、大ちゃん」
 この小学校には“大ちゃん”という名の一際大きな体をした生徒がいた。身の丈は2m。その大きさゆえ、ガキ大将である事はもちろん、気弱な教師であるアナフキンに対しても常に横柄な態度で接する問題児だった。
「質問じゃないんですが」
「え?じゃ…じゃあ、なんでしょう」
「詰問があります」
「きっ…きっ…きっ…詰問!?なっ…なっ…なんで!?どっ…どっ…どっ…どうして!?」
 アナフキンの顔は真っ青になった。
「ダメですか?」
「いっ…いや、その…、きっ…君は生徒だし、私はいちおう先生だし…、だからそのう…、生徒から先生に詰問というのはちょっとどうかなあと…」
「答えられないと?」
「いっ…いや、答えるとか答えないとかいう問題じゃなくてね、その…果たしてどうなんだろうっていうかね、どうしてかなあというような…」
「俺の詰問に答えられないというのか!」
「ひゃあ!怖い!答えます答えます」
 この出来事をきっかけに、すっかり自信を失ったアナフキンは教職を退いた。

「ずいぶん弱っちいねえ。ケツの穴付近が小さいんじゃないの?」
 話を聞いていたドーミンが薄笑いを浮かべながら言った。ただし、端から見ているといつものすました表情との区別はつかない。
「付近が小さいかどうかは知りませんが、確かに穴自体は小さいのかもしれません。面目ない」
「それでどうするのさ」
「どうする?」
「このままじゃただの負け犬じゃないか」
「ただの負け犬…」
 アナフキンはドーミンのその厳しい言葉に強い衝撃を受けたようだった。
「ここはひとつ、その大ちゃんと対決するというのはどうだろう」
「対決と言ったって、どこにいるかもわからないし」
「この村にいるよ」
「へ!?」
「大ちゃんでしょ、身の丈2mの。僕の友達だよ」
「へ!?」
「ピンと来たんだ。大ちゃんからその話聞いた事あるよ。まさか、その先生がアナフキンだったとはなあ、世の中狭いもんだ」
「いや、しかし、どうしてまた彼がこんなところに…」
「悪さの度が過ぎてここに送られてきたんだよ。島流しみたいなもんかな。川流れだっけ?」
「いや、川流れじゃないでしょう、カッパじゃないので」
「でも川を流れてきたよ。じゃあ川流しか」
「まあ何でもいいですが。そうですか、ここはそんな土地だったんですか。とんだ掃溜めだ」
「掃溜めとは失礼な。まあいいや、とにかく会いに行こう、会いに。今すぐ行こう、すぐ」
「……」
「嫌なの?」
「でも、会ったからって何をすればいいんでしょう」
「大人の貫録を見せつけてやるのさ」
「大人の貫録といっても…」
「ガツンと言ってやるのさ」
「しかし、今更彼に言う事なんてなにも…」
「行かないの?」
「……」
「行けばいいじゃないか!どうして行かないんだ!」
「ひゃあ!怖い!行きます行きます」
 こうしてアナフキンはドーミンに伴われて大ちゃんの家を訪ねる事になった。
「御し易い奴…」
 ドーミンは呟いた。そして、自分の両親もこれほど御し易ければどんなに楽だろうと、しみじみ思うのだった。

「おーい、大ちゃーん、いるー?ドーミンだけどー」
「ほーい」
 家の中から大きな声が聞こえてきた。
 ガチャリ。ドアが開き、中から見上げるばかりの大妖怪が現れた。
「やあ、大ちゃん」
「どうした?」
「今日は珍しい人を連れてきたんだ…って、アレ、いないや。逃げちゃったかな」
「珍しいって、俺に関係ある人かい」
「実際には人間じゃないって言ってるけど、まあ便宜上は人だ」
「人かどうかってことはどうでもいい。俺に関係あるのかどうかを答えろ」
「うわっ、詰問された!」
「きっ…詰問なんてしてないだろう。嫌な事を言うなよ」
「フフ。その“詰問”ってのに関係ある人さ。便宜上の人だけど」
「それはもういい。“詰問”に関係ある人?」
「懐かしい人さ、便宜上の」
「だからそれはもういいって。“詰問”に関係ある懐かしい人?便宜上の…」
「なんだい、それはもういいんじゃなかったのかい」
「いやいや、自分で言ったら気になったもんで」
「でも、どっかにいっちゃったよ。ホントに気の弱い先生だこと」
「先生!?まさか、ドーミン…」
 そのとき、背後からあの音色が聞こえてきた。
「フルフルフル〜、フルットゥフルットゥフルットゥットゥットゥ〜」
「やっぱりそうだ!!」
 大ちゃんはその音の元へ向かって猛烈な勢いで駆け出した。そしてフラミンゴ奏法でフルートを奏でるかつての恩師の姿を大木の陰に見いだした。
「穴先生!!」
「や、やあ、大ちゃん」
「穴先生、元気でしたか」
「あ…ああ、元気だけど。君も元気そうで、な…なによりだね」
「穴先生、あの頃はすみませんでした。俺、なんて言っていいのか」
「へ!?」
「俺のせいで先生を辞めるはめになっちゃって」
「いやあ、そんな、あれは私の不徳の致すところで…」
「いや、俺が悪かったんです!穴先生、ごめんなさい、この通りです!」
 大ちゃんは大地に額をこすりつけ、土もえぐれんばかりの激しい土下座をした。
「いや、いいんだ。さあ、頭を上げてくれ。私はぜんぜんそんなこと気にしてはいないよ」
「穴先生!!」
「それよりも、さっきからのその『穴先生』というのをやめてくれないかな。漢字で呼んでいるだろう。それにぼくは“アナ・フキン”でもないから」
「あ、ごめんなさい」
「いや、まあ、べつにいいんだけどね、そんなこと。大人だから」
「さすがは先生だ。あははは」

(ありがとう、ドーミン。君は知っていたんだね、大ちゃんの気持ちを)
 アナフキンはドーミンの顔をちらりと見た。そこにはいつもと変わらぬ半笑いのドーミンがいた。
(よかったね、大ちゃん、アナフキン)
 ドーミンの目に映る2人の姿は涙でぼやけていた。しかし、ドーミン本人以外、その事に気がつく者は誰もいない。

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