出不精が行く!!
ホーム      前へ INDEXへ 次へ
イタリア失業旅行記 〜その9 イタリアーノと化す?〜

 フィレンツェを後にしてまず向かったのはルッカという町である。山岳都市というわけではないが、周りを城壁にぐるっと囲まれた歴史ある町だと『地球の歩き方』に書いてあったので、この日のメインの地へ行く道すがらちょっと寄ってみることにした。私も全く知らなかったのだが、ちなみにルッカはプッチーニの故郷だそうだ。ご存じない方のために説明すると、ジャコモ・プッチーニはイタリア・オペラ史上最大の作曲家の1人である。などと言って実は私も全く知らない。とにかく『イタリア・オペラの巨星』なんだそうである。しかし、そんなことはどうでもよくてとりあえずやって来た。

 フィレンツェには随分と日本人がいて落ち着かなかったが、こんなマイナーな町にはさすがにいるまいと思いきや、駅に着くなり広島から来たというおじさんに声をかけられた。
「あなたも日本から来なさったか」
「はい、東京から来ました」
 といった会話を一言二言話しただけで、一人旅同士の男達はすぐに別れた。旅先でわざわざ日本人とは接したくない、というのはやや不可思議な心理だが、その思いはなぜかとても強い。

 駅の手荷物預かり所にリュックを預けて、まずは城壁の上を歩いてみた。城壁の上といっても、実際には幅が15メートルぐらいはある堤の上みたいなもので、一周が4キロの素晴らしき並木道である。出不精、夜更かし、朝寝坊の私といえども、こんな町に住んでいれば毎朝散歩をしそうなほどだ。実際にはしないだろうけれど。

 なかなか良い町に寄ったものだと思いながら歩いていると、前方からドタドタと集団が走ってきた。中学生ぐらいの男女が体操着姿でランニングをさせられている。横に教師らしき人物がぴったり張り付いているのでこれは体育の授業に違いないと思ったが、ちょっと太めの女の子がもの凄く苦しそうな表情で走っているのを見て気の毒になった。いずこの国にも似たような光景があるものだなと、なんとなく感心した。

 ぐるっと城壁を周り終えたら、町の中へ降りてみた。確かに中世そのままの街並みである。教会もなかなか素晴らしいものがあるが、しかし大して感心しない。なぜ感心しないのか。この町の建物に問題があるわけではない。実は、“飽きちゃった”のである。中世の街並みや教会が素晴らしいとはいえども、要するにどれも代わり映えしないのだ。山岳都市を見て回るというテーマでここまでやって来たけれど、なんだか面白くなくなってきた。最初の計画ではまだ4つも5つも山岳都市をまわる予定だったが、もうやめることにした。場合によっては国境を越えることも考えてみようか、そんな心境の変化が私に訪れていた。

 さて、この日メインで訪れるつもりでいたのは、チンクエテッレのモンテロッソ・アル・マーレである。チンクエテッレとは東リヴィエラにある、ほぼ等間隔に並んだ5つの漁村の総称で、その西端に位置するのがモンテロッソ・アル・マーレだ。着いてみれば前は海、すぐ後ろは山で、道を少し歩けばたちまち坂道になってしまうほど狭い土地である。しかしこの美しさはなんとも喜ばしい。まずなんといっても海の透明度に驚かされる。地中海とはこれほどに美しいものか。瀬戸内海とはえらい違いである(といっても瀬戸内海は見たことがない。そもそも瀬戸内海を引き合いに出すのもおかしいかも知れないが、なんとなく地中海とは親戚関係にある海のような気がして)。たまに海を目にするのも良いものだ。せっかくここまで来たのだから街並みばかり見ていてももったいないのである。この土地を訪れることにして大正解だったと1人で悦に入った。

 さて、今夜の宿を探さなくてはならない。しばらく村の中を歩き回ってみたがあまりきれいな宿が見あたらない。どれも似たり寄ったりなので仕方なく条件面から選ぶことにした。カードが使えてバールとリストランテ付きだが、とても汚くて全く期待の出来ない一件のペンショーネに入ってみた。もちろん全く期待していなかったのだが、これが実はとても素晴らしい宿だった。

 フロントのおじさんに聞いてみればシングル55000リラだという。まあ安いからいいかとOKすると、おそらくここの看板娘であろう“かわいいかわいいシニョリーナ”(全く忘れていたのだが、旅日記にはそう書いてある。よっぽどかわいかったらしい)が出てきて、別棟の部屋へ案内してくれた。重い荷物を背負いながら5階まで階段を上がる私のほうを何度も振り返っては気の毒そうな顔をして笑いかけてくれたのがうれしかった(らしい。ほとんど記憶にない)。

 別棟は新しい建物で、部屋へ入ると中は驚くほどきれいだった。バス付き、テレビ付き、家具は全て新品である。思わぬ誤算に大喜びした。今までの宿からすれば、この値段でこの設備なんて全く考えられない。田舎は随分安くなってるとはいえ、あのローマ初夜の忌まわしき『ホテル・ボッタクーリ』など180000リラだぞ、180000リラ。あのイカサマおやじのすかした顔つきは思い出すたびに腹が立つ。それに比べてこの宿のすがすがしさよ。やはり旅は田舎だ。田舎万歳。

 宿も安いしカードも使えるので、ここは一丁奮発しようとこの宿付属のリストランテでご馳走を食することにした。この旅初めての贅沢である。時刻は7時ぐらいだが外はまだまだ明るい。夕方にさえなっていない。まだ誰も夕食などとっていないけれど、いい加減腹が減ってきたし、やることもないので1人でとっとと食事を始めることにした。今日はツーリストメニューなんてものはとらず(そもそも田舎ではほとんどそんなセットメニューは用意されていないけれど)、いわゆるア・ラ・カルト(これってフランス語?)でいく。前菜からパスタ、メイン、デザートにワインと、とにかくかなり腹一杯食べて飲んだ。デザートはよくわからないので(というか他の料理もよくわからないけれど)適当に頼んだら、丸まんまの果物がゴロゴロと出てきて驚いた。とてもじゃないが腹一杯で食えたもんじゃないから部屋へ持ち帰る旨伝えようと思ったが、もちろんイタリア語は使えないので困っていると、少し前から隣の席でお食事中の老婦人が私の英語をイタリア語に訳して店の人に伝えてくれた。果物は袋に入れてもらい、お勘定も宿代と一緒に最後に清算するということで話を付けてくれた。

 しこたまワインを飲んですっかり酔っぱらっていた私はいつもより多少外向的になっていたので、席を立つときにその御婦人に向かって、
「ブォナ・セーラ(Buona sera)」
 と笑顔でイタリア語のあいさつをした。すると御婦人は驚いたように、
「オオ、ブォナ・セーラ!?」
 と声を発すると、私の顔をうれしそうに眺めた。続いて御婦人がにこやかに「チャオ!」と言ったので、私も「チャオ!」と返した。

 さっきまで片言の英語しか使わなかった東洋人が急にイタリア語を話したので、ちょっとうれしくなったに違いない。それできっと彼女は驚いたような声を発したのだろう。そんなことを考えながら、私は満足して自分の部屋へ戻った。

 しかし、どうやらそうではなかったらしい。この10年間、今の今までそうだとばかり思っていたが、あらためて“Buona sera”という言葉を調べてみれば、それは“こんばんは”という意味だった。私が言いたかったのは“おやすみなさい”であって、正しくは“Buona notte”だったのである。なんたる間抜け具合か。それまで会話を交わしていた男が立ち去り際に突然、
「こんばんは!」
 と笑顔で言ったのである。御婦人が、
「こんばんは!?」
 と、とまどうのも当然だ。おかしくて笑いもするだろう。その御婦人の笑顔を見て、
(おお、驚いてる驚いてる)
 と、満足して帰っていったのだから格好悪いったらありゃしない。

 さて、いつもより大量にワインを飲んだ私はすっかり酔っぱらいになって、部屋へ入るとなぜか熱くて上半身裸になった。赤くなった顔を鏡で見てみるとどうもこれは東洋人には見えない。イタリア人みたいな顔に見えるのだ。私は純粋な日本人だが(「プロフィール」における、じいさんがロシア人という話はフィクションである)ハーフっぽいとはよく言われる。クォーターだと真顔で言えば面白いぐらい信じる人がいる。しかし、今鏡の中にある私の顔はまさにイタリア人ではないか。私はもしかしたらイタリア人の生まれ変わりであって、かつて建築に携わってきたのではないか、そんなことがにわかに本気で感じられてきたのである。

「証拠写真を撮ろう!」

 私は鏡に向かって自分の顔を撮影した。

 この村とこの宿がとても気に入ったので私はここにもう一泊することにした。新婚旅行でももう一度ここへ来ることにした。そして日本に帰ったら、この宿へ手紙を書こうと決めた。

 私は至福のうちに眠りについた。

 翌朝、素面に戻った私は、とっととモンテロッソ・アル・マーレを後にした。酔っぱらいとはいい加減なものである。後日、日本に帰ってこの時の写真を見てみれば、鏡の中にいるのは赤い顔をした純粋な日本人であった。

ホーム      前へ INDEXへ 次へ