出不精が行く!!
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イタリア失業旅行記 〜その8 美しき塔の町〜

 シエナのバスターミナルでサン・ジミニャーノ行きのチケットを買い、バスに乗る。ここは自販機ではなくて窓口なので問題なく買えた。バスはフェラーリ・バスである。きっと赤をメインにしたカラーリングでなかなか格好良かったに違いない(実のところ全く憶えていないし、資料もない)が、さすがにスーパー・バスというわけでもなく、とくに速く走ることはない。それにしてもチケットの使い方が例によってもうひとつ納得いかない。バスは運転手ひとりのワンマンカーで、後ろ乗り前降りである。乗客はバスに乗り込むと機械にチケットを突っ込んでハサミを入れる。行き先を読み込むような高度なシステムとは思えない。おそらく単に切り込みを入れるだけの機械だ。切り込みの入ったチケットを手にしたまま目的地まで移動すると、結局そのまま降りる。運転手に渡すわけでも見せるわけでもない。要するにノーチェックである。これではチケットの額など関係ないではないか。なーにか(『男おいどん』風)。

 なんにしても、直通バスで50分、サン・ジミニャーノに着いた。今日も馬鹿晴れ。暑い。暑いのでBarで水を買う。もちろんセンツァ・ガス。ここでちょっとBarについて説明しておくと、これはバーではなくてバールと発音する。お酒もあるけれど、日本で言うところのバーとはだいぶ違って、コーヒーがメインの一種のカフェだが、日本の喫茶店ともまただいぶん違う。バールはどの街へいってもそこら中にあって、イタリア人の生活の中には欠かせない極めて日常的な空間である。基本的には客はカウンターで立ち飲みをする。エスプレッソなどをクイッと飲み、カウンターにコインを置いてさっさと立ち去るイタリア人達、というのがよく目にする光景だ。座席が無い店も多いが、座席がある場合には立ち飲みと座り飲みでは値段が違うらしい。朝、昼、晩とそれぞれ違った飲み物を違った飲み方で楽しむなんてことが彼らの日常のようである。が、コーヒー好きの私ではあっても、本場エスプレッソのあまりの濃度とその少量さ加減にはついに馴染めなかった。カプチーノは無難に美味しく量もやたらと多いので、お買い得感も加わって、夕食の後にはほとんどいつも飲んでいたけれど、炎天下を歩き回って喉をカラカラにしていた昼間にフラッと立ち寄るバールでは、たいていはフレッシュジュースを飲み、たまにはビールを飲み、そしていつもミネラルウォーターを買っていた。

 サン・ジミニャーノはこの旅で訪れた中ではもっとも山岳都市らしい街だ。最盛期には72もの塔が林立していたというが、この時には14といった数に減少していた。それでもこの狭い街の中に整然と塔が立ち並ぶ様は他の街では目にすることができない光景であり、それゆえ、この街全体のシルエットには独特の美しさがある。日本人は見かけなかったが、それなりに外国人観光客もいて、地元の学生か何かに英語でアンケートをとられた。アンケートを採った女性も、バールの女性も、インフォメーションの女性も、何かしらの会話を交わしたアメリカ人観光客も皆にこやかでとても感じがよかった。といってもほとんど記憶にないのだが、日記にはそんなようなことが書いてある。バス停にはブロンドの美女もいて、ここは良い街だなあと思ったかも知れないが、やっぱりその辺の感情までは憶えていない。

 路地が狭い。道上を建物がまたいでいるのは当たり前で、ピロティ(建物の一階部分で壁が無く、外部に開放された空間)が完全に道を兼ねているところもある。公道とか敷地とかいった区分けがどうなっているのか不思議だが、まあどっちでもよい。それよりもこんな街が現実に使われていて、人々が当たり前に住んでいるということがとても妙である。建物の屋根瓦は朱に統一されていて、これが美しい。昔ながらの色なんだろうが、こういうものを維持するための行政の規制が厳しいという話も聞く。ヨーロッパでは古い街並みを保存するための規制がとても厳しいが、新しいことをやりたがる建築家や都市計画家達からするとありがたくない面でもあるという。しかし、はっきり言って、現代のデザイナー達がえらそうな理論を振りかざして作り出した街並みが、いかに小綺麗であろうと先進的であろうと斬新であろうとお洒落であろうと、かつてのこうした街並みに比べて愛着の湧かない街になることは間違いがない。現代の建築家や都市計画家やデベロッパー達が依っている理論や理想などは実際『屁』のようなものだ。専門家の言っていることだからなどと信用しちゃいけない。大したことは考えてないのだ。もちろん個々の建物における耐震性や耐火性、居住性や防犯性は向上しているだろう。だが、街全体の居心地はよろしくない。人間が自然に感じる気持ちよさ、居心地の良さを街づくりにすぐに反映させられるほど単純には今の世の中はできていないからだ。理想に燃えて色々なことをやっている人達は確かにいるけれど、『気持ちのいい街』なんてものを作り上げることは現代では不可能なのかも知れない。

 さて、サン・ジミニャーノではネタになるようなこれといった出来事もなく、一通り見て歩いた後、とっとと麓までバスで降りた。フィレンツェへ向かう電車に乗るべきポッジポンシ駅の場所が分からず、バールではないカフェのようなところで尋ねてみるが、英語が通じない。イタリアの田舎では英語はほとんど通じないのだ。『ステイション』でさえ分からないのである。発音の問題ではない。と思う。イタリア語で『駅』はなんというのか。何年か前におニャン子の河合その子が『蒼いスタシオン』という歌をうたっていたなあと思い出したが、あれはフランス語である。鞄からイタリア語会話の本を引っ張り出した。『スタッツィオーネ』だった。いかにもイタリア語である。その単語を言うとお店のおやじさんが目の前を指さした。貨車の姿まで見えている。なーにか。店の真ん前全部が駅だった。我ながら格好悪い。

 イタリア人をとても羨ましく思ったことがある。シエスタだ。長い昼休み。昼食後、皆仕事を休んで昼寝などをするらしい。学童達は家へ帰って昼ご飯を食べ、長いシエスタの後、再び登校するとも聞いた。日本人もそのぐらいのんびりやりゃあいいじゃないかと、特にかつての上司M澤さんなどにむかって強く思う。おそらくはこのシエスタで一時帰宅の中学生であろう。ポッジポンシ駅で大騒ぎの大団体に取り囲まれた。男の私からすると女子生徒達はとても可愛い。が、野郎は生意気盛りの憎たらしさばかりが目立つ。とは言ってもやはりどちらもとてつもなくうるさい。落ち着かないことこの上ないが、同じ電車でひとときを共に過ごすしか仕方がない。これからの騒がしいひとときのことにやや思いやられていると、ベンチで横に座っていた初老のおやじさんが話しかけてきた。イタリア語なので何も分からない。色々言ってくるが私は無言で困った顔をするしかなかった。するとおやじさん、自分を指さして「イタリアーノ」と言い、次に私を指さした。質問を理解した私は「ジャポネーゼ」と答えた。すると、

「そうか、日本からきたのか、兄ちゃん。楽しんでいきな」

 と、おやじは言った。かも知れない。きっとそんなことを言っていたに違いない。そんな会話がなんとか成り立ったことで、やっと満足げな表情を浮かべたおやじだった。とても味のあるおやじさんで、なんとなく忘れられない光景である。

 電車も数駅を過ぎると子供達も消えて静かになった。静けさが戻ると車窓から眺める景色がさらにきれいに見える。日本の景色とは随分違うものだと感心する。日本の田舎はとてもうっそうとしている。うっそうとしている上に、山はみんな杉だらけだったりする。残念ながら、美しいと思う景色にはなかなか出会えないのである。が、イタリアは街もきれいならば郊外も美しい。土地がやせていて乾燥しているから、日本のように植物が繁茂しないという話を元上司のM澤さんに聞かされたことがあるが、確かにそうらしい。山の景色は岩肌と緑が程良く配置されていて、そのバランスが絶妙に良い。はあ、こんなところまでヨーロッパはうまくできているなあと羨望を感じた。こりゃあ女の子達が憧れるわけである。

 さて、電車はフィレンツェへ着いた。ここは日本人が多い。当たり前の観光コースである。いくつか歴史的な建物などを見てまわったが、基本的にここは私の興味の対象ではない。というわけで、書くべきこともないまま翌日へ至る。大きな街は面白みがない。5日めはもっと田舎へ行くのだ。

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