出不精が行く!!
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イタリア失業旅行記 〜その3 ローマへの道〜

 ワールドカップで韓国が勝ち進んだので随分と熱狂の嵐だったが、イタリアやスペインでは、「本当は負けてないのじゃ!」といった声も多かろう。そんなことを言っても仕方ないのである。韓国に負けてブーブー言っているイタリアと、オランダ人監督の韓国チーム。この組み合わせは私にも無縁ではない。といっても本当にどうという話ではないので、あまり期待しないでもらわなければいけない。なかなか複雑な言い回しだが、これが日本語の凄いところで、いろんな言い方が可能なのである。要するに期待するなということである。また余計なことを書いた。

 どうして私に無縁ではないのかと言えば、私は韓国、オランダ経由でイタリアへ行ったという、ただそれだけのことではある。飛行機は大韓航空。成田からソウルの金浦空港へ行き、そこでオランダのアムステルダム経由ローマ行きの便に乗り換えた。

 日本から韓国へ行く飛行機には日本人の乗務員もいたし、日本語のアナウンスもあった。乗客には日本人も多くいたし、鬼マダム率いるフランス人の団体もいた。韓国人は半分程度だったろうか。今となってはあまり覚えていないけれど、それでもかなりの圧力を感じた。ここで言う圧力とは、韓国人パワーのことである。今回のワールドカップの応援の様子でもわかるように、彼らは日本人より圧倒的に熱い。パワフルである。飛行機の中でも熱い。言い方を変えれば、うるさい。当時、日本では“オバタリアン”という言葉が流行っていたと思うが、韓国のおばさま方に比べると、日本のオバタリアンなど淑女である。とは言い過ぎだが、とてもじゃないが太刀打ちできないと感じた。

 それがローマ行きの飛行機に乗り換えると、フランス人はいなくなるし、日本人もちょっとした団体が1つ、オランダ人やイタリア人などいるのかいなという感じで、概ね韓国の方ばかりとなった。その状態で十数時間である。乗務員も韓国人のみ。アナウンスは英語と韓国語のみ。周りから聞こえてくる言葉も韓国語ばかり。その声が大きい。私は大学で中国の留学生と接していたので、中国人が馬鹿でかい声で話すのは知っていたが(中国では話す声が大きいほど男らしいとされると聞いたことがある)、韓国人もそれに次いで声が大きい。普通の日本人と比べれば2倍のボリュームといったところか。私は中国に住めば男らしくない奴と言われるに違いないほど特に声が小さいので、私を基準とすれば韓国人はその5倍のボリュームで話すという感じである。韓国の方にはあまり気を悪くして欲しくないのだが、長い時間そういう環境に閉じこめられて、はっきり言って韓国人疲れでグッタリしたのである。

 前の晩はほとんど寝ていないので、グッタリついでに寝ていればよさそうなものだが、そうもいかない。実のところイタリアでの旅行プランがほとんど立っていなかった。飛行機の中でプランを練らなくてはならない。山岳都市の本、地球の歩き方、そしてトーマス・クック時刻表を見ながらプランを練る。まず行ってみたい山岳都市をピックアップ。ローマから電車を使って2週間で回れるルートを決める。最終的にはローマに帰ってくるのだが、できればイタリアから出ても良いかなと思っていた。しかしどうやらそんな余裕はなさそうで、なんとか国内を一周するのがやっとという感じである。ヨーロッパの16カ国乗り降り自由なユーレイルパスというものを用意していたが、その必要もなかった。国内のみ回るならもっと安いチケットがあったのに、もったいないことをした。先にプランを立てていなかったのがいけない。場合によってはレンタカーでの移動もあるかと思って国際免許も用意していたが、余計な出費であるし、右側通行の運転が不安なのでこれもやめた。

 さて、概ねスケジュールも決まって、寝たり、食ったり、本を読んだり、映画観たり(『T2』だった。吹き替えも字幕もなしで観ざるを得なかったが、ああいう映画なので概ね理解した)して過ごすものの、十数時間はあまりに長い。尻は痛いし、ガスは溜まるし、韓国版のオバタリアンはうるさい。動かないので腹が減らないのに機内食を何食も食わせられる。そのうち、やたら何度も嗅がされる機内食独特の匂いが妙に気持ち悪くなってきた。隣に座っている韓国人男性はどうやら非番の大韓航空職員のようで、乗務員がしょっちゅうやってきては談笑している。リンゴをむいて私に差し出してくれたが、あまりにも腹が減っていなかったのでお断りした。飛行機はソウルから北へ向かって、シベリア上空を飛び、そのまま西へ向かってアムステルダムまで行く。途中、窓から見下ろすと、おそらくシベリアのツンドラだろうが、うねる河川と荒原がきらきらと輝いてとても美しかった。

 さて、夜になって飛行機はアムステルダムに着いた。ここでいったん客を降ろし、飛行機は給油などを行う。1時間ほど後、同じ飛行機でローマへ出発するのだが、その待ち時間、我々は空港内をブラブラとする。機内でなにやら韓国語と英語で説明をうけたが、よくわからないまま飛行機を降りた。金浦空港での乗り換えのように、まわりの乗客の真似をしていれば問題なかろうと高をくくっていたので、私は適当な集団のあとにくっついて歩いていった。本来は、飛行機から降りるときにトランジットカードなるものを受け取り、再び乗るときにそれを職員に渡さなければならないのだが、私は受け取らなかった。前の集団が誰も受け取らなかったからである。

 免税店など興味のない私は随分と暇だった。周りの人々の姿を眺めて時間をつぶした。さすがオランダ。白人ばかりで、皆でかい。韓国人や日本人が混ざると際だって小さく見える。そんなことを思いながら眺めていると、見覚えのある人達の姿がだんだんと少なくなっていくような気がする。どこかお店にでも入っているのかと思うが、そうでもないらしい。私は何となく不安になってきた。みんな飛行機に戻りつつあるのだろうか。搭乗のアナウンスには気を付けているつもりだったが、これといったものは耳にしていない。まだ予定の時刻には間があると思うのだが、何かおかしい。私は慌てて搭乗ゲートへ向かった。

 するとどうだろう、搭乗口に職員が3人ほど立っていたが、乗客は誰もいない。よもや、出発してしまったのでは…。私はあわてて係員のところまで走っていった。すると、私を韓国人と思ったらしく、1人が韓国語で話しかけてきた。おそらくトランジットカードを要求しているのだと思い、「持ってないけど乗る!」という意思をなんとなくジェスチャーと気迫で伝えた。伝わったかどうかはわからないが、とにかく飛行機には乗ることができた。どうやら、私が最後だったらしい。それも1人だけ随分と遅かったようである。もう少し遅れていたら、きっと置き去りにされていたに違いない。パスポートとクレジットカード、現金の一部は身につけていたと思うが、それ以外は全て機内である。そんな状態で置き去りにされたらどうなっていただろうかと思うと、かなりゾッとした。

 機内を見回してみれば、さっきまでの満員状態がウソのようにガラガラである。なるほど、だからほとんどの客はトランジットカードも受け取らず、空港のロビーから姿を消していったのだ。そんなことも知らず、皆さんまた飛行機にお戻りかと決め込んでいた私が馬鹿であった。言葉がわからないというのは危険なことであると身にしみた一件だった。

 さて、いよいよローマも近づいてきた。しかしながら、私には2つほど懸念があった。その1つはイミグレーションカード(入国審査カード)の記入である。旅行ガイドにはこのカードの書き方が説明されていたけれど、ちゃんと書けるかどうか不安だったのである。「逮捕歴がありますか?」なんて質問に、意味もわからず「イエス」のチェックを入れたりすれば、入国できないようなことだってあり得るのだ。このカードは機内で配られるはずなのだが、到着間際になっても何も渡されない。要求しないとくれないのかと思い、私は1人のスチュワーデスに声をかけた。

 とても無愛想なスチュワーデスである。日本の航空会社ではおそらく考えられない。日本のスチュワーデスであれば、どんなに嫌な客にでも最低限とりあえずは作り笑顔で応対するだろう。しかしながら、この大韓航空のスチュワーデスは全くの真顔で近づいてきた。口の端がほんの少しさえ上がらない。ただのクールなタイプかといえばそうでもなく、なんとなく不機嫌そうでさえある。長いフライトの間中、無愛想なスチュワーデスが多いなあ、と思いながら眺めていたが、どうしたわけかよりによって一番無愛想な1人に声をかけてしまった。

 ところが、いざ話そうとしたら『イミグレーションカード』という言葉が出てこない。すっかりど忘れしたのである。わざわざ呼び寄せておいて、わけのわからないことをアワアワ言っている日本人に彼女は気分を害したに違いない。しばらくしてようやく私の言わんとしたことを理解してくれたが、その時にはもう怒った表情である。

「You don't need a immigration card.(イミグレーションカードは不要です)」

 突き放すように言ったその顔はとても怖い。
(アレ?この人も鬼マダムの類?)と思った。私はショボショボとなった。

「何を訊いてるのアンタは!配らないということは必要ないということなのよ。だいたい、ものを尋ねるのに人を呼びつけといて、訊きたいこともはっきり言えないってどういう男なの!」

 そんな風に心の中で怒鳴ってそうな顔である。なにもそこまで冷たく言わなくてもと思った。もしかしたら日本と韓国の複雑な関係が背後にあるのかも知れない。要するに日本人嫌いなのかなとも思ったが、そうだとしてもその態度を露骨に表すというのは接客業としてはどうなのだろうかと思うのである。まあ、それが文化の違いなのかも知れない。

 イタリアへはビザが不要だったが、イミグレーションカードも不要だとは知らなかった。なんにしても1つの懸念は去った。問題はもう1つの懸念である。それこそが大きな問題であった。

 実は、その日の宿がまだ決まっていなかったのである。レオナルド・ダ・ヴィンチ空港に着くのは夜の10時。空港からローマ市内までは30キロある。なんだかんだで11時は過ぎるだろう。翌日の行動など考えて、ホテルはテルミニ駅周辺でと考えている。ところが、夜のテルミニ駅周辺はとても治安が悪いとガイドブックにはさんざん書いてある。観光案内所などとっくに終わっている時間であるから、言葉も通じぬ治安の悪い夜中の街を1人でうろつきながらホテル捜しをしなければならない。これは随分と不安な状況である。どうしてホテルを予約していなかったかと悔やんだが、後の祭りである。後の経験でも学んだが、最初と最後の晩の宿だけは先に予約をしておくべきである。でないと、到着して早々、ああいう目に遭うことにもなるのだ。

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