出不精が行く!!
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イタリア失業旅行記 〜その13 ポンペイの悲劇〜

 ポンペイは悲劇の土地である。今から二千年近く前、紀元79年8月24日正午を少し過ぎた頃にベスビオ火山が大噴火を起こして、ポンペイを含む周辺の都市は火山れきや火山灰によって6mもの厚さで覆い尽くされてしまった。他の町が再び町造りを始めたのに対して、ポンペイだけはその後一度も復興のつち音が聞かれる事がなかった。そのために我々は当時の貴重な遺跡を目の当たりにする事が出来るのだが、ポンペイがうち捨てられたままであったのは、人々がその土地に取り憑いた魔力に恐怖を抱いていたからだとも言われる。確かにこの町には魔物が住んでいるのかも知れない。

 バーリからナポリを経由してポンペイの町へ着いたのがその日の午後3時だった。咽が渇いていた私は駅前の露店で生ジュースを飲んだ。オレンジだったかグレープフルーツだったか忘れたが、その場で果実から搾り出してくれるジュースはたまらなく美味しい。しかし、既にこの時から魔物は私にちょっかいを出し始めていたようだ。元気を付けたところでまずは宿探しをしようと歩き始めるが、どうも様子が怪しい。町の様子が非常に殺風景だ。付近にはホテルなど見当たらない。話が違うなあと思いながら『地球の歩き方』をもう一度よく見てみると、ホテルがあるのは町の反対側の駅だったようだ。私のせいではない。『地球の歩き方』の書き方が悪いのだとなんだかムシャクシャしながら歩いた。その日は晴れだが寒いぐらいの気温だったようで(そう日記に書いてあるが記憶には無い)暑さで参っていたということはないのだが、それでも重いリュックを背負ってエッチラオッチラ歩くことに辟易していた。早いとこホテルに荷物を置いて身軽になりたかった。そんなわけで思いの外長い距離を歩くことにイライラしているところへ、通り掛かりの車からどうも人をからかっている風の声を浴びせられたりして、ますます気分が悪くなった。そんな状態でなんとなく集中力もなく歩いていると、ちょっとした交差点で横道から大型バスが現れた。道を渡ろうとしていた私が立ち止まっていると、左折してきたバスの側面が見る見る眼前に迫ってきて危うく轢かれそうになった。

「なんだ、コンチクショウ!殺す気かあ!」

 と、私のイライラは絶頂に達した。しかし、ようやく見つけたホテルは安くて新しくてとても綺麗だったので、私のイライラも少なからず解消された。ほんの束の間ベッドで横になったあと、私は手荷物だけを持って宿を出た。ポンペイの遺跡を見て廻るのだ。既に午後4時に近いので、広大な遺跡を巡るためには急がなくてはならない。

 遺跡の入り口に行くと、いくつかの土産物屋があった。そのうちの一つにいたバーサンが日本語で、

「コンニチワ」

 と言ったものだから、私は「おっ!?」と足を止めた。まさにバーサンの思うツボにはまった瞬間である。私は年寄りを大事にしない性質ではないつもりなので、老女のことをバーサンとは普通言わない。しかし、このバーサンだけはまさにバーサンであって、誰になだめられようともバーサン以外の呼称では呼べない。ただ、ババアだと少し言い過ぎなので、そのへんはセーブしている。

 このバーサンが最初に差し出したものは、日本語版のポンペイ遺跡解説本『ポンペイ 二千年前』(ボネキ・観光出版社)である。イタリアでは日本語で書かれたガイドブックを見ることは少ないし、内容的にもかなり充実しているようなのでこれは積極的に買う気になった。現在手元にあるが(だが未だちゃんと読んだことはない)、アルベルト・カルロ・カルピチェーチさんという方の著作であるこの本は、ミラノにあるらしいスタジオニッポンというところで翻訳・写植・製作されたそうで、資料的にも図版が豊富でしっかりしているし、翻訳された日本語もなかなか上手である。値段的にも特に高くはない。その本を呆気なく買ったので、バーサンは私をオイシイお客と思ったのだろう。続いて安そうなブローチを見せた。それは白い貝殻を彫り込んだ3センチぐらいの大きさのもので、おそらくポンペイの遺跡に関連した女神かなにかの顔をモチーフにしている。正直なところ私にはその価値が全く判らないけれど、パッと見の印象では千円前後だろうと思った。高くてもせいぜい二千円がいいところではないか。そのブローチをこのバーサンが日本語を交えながら本当に一生懸命に説明する。出発前に餞別をくれた以前の会社の女性にもお土産を買わないといけないなと、ちょうど思っていたところでもあり、

「こんなお歳で必死に商売をしているこのおばあさん(このときはまだ“バーサン”ではなくて“おばあさん”だと思っていた)も大変だろうから」

 と、多少の同情も感じて「わかった、買う買う」と言ってしまった。いくらかなと思っているところへバーサンの口から出てきた数字は『65』だった。私にはイタリア語による正確な数字の表現が理解できなかった。分かったのは上の数字だけであって、下の0が幾つなのかが分からない。しかし、腑に落ちなかった。6500リラ(約650円)では安過ぎるし、まさか65000リラ(約6500円)では高過ぎる。『65』というのが私の聞き間違えかなあと思いながら財布の中のお札をしばし眺めていると、このバーサン、驚くべき行動に出た。

 私の側へ近寄ってきたかと思うと、私が広げていた財布の中から50000リラ札をかっぱらったのである。

「なにー!…ってことは65000リラー!?高い高い、冗談じゃない、やめるやめる!金返せ金を!」

 そう言ったものの後の祭りだった。これはちゃんと貝を彫った良いものだから高いんだとバーサンは主張するが、それが本当だとしてもそこまでの金を払うつもりはない。いくらなんでも高過ぎるからやめると言うと、

「じゃあ、50000リラでいい」

 とバーサン。奪った金は何があっても返さないという構えだ。その顔が無性に憎たらしく見えた。確かに最初に値段を訊かなかった私が馬鹿だったのだが、それにしてもどうもぼったくられている気がしてならない。とても腹立たしかったが、握りしめられた年寄りの手から力づくで金を奪い取るわけにも行かず、

「この金は絶対に返さん!」

 という、バーサンの燃え上がる執念に負けてあきらめることにした。バーサンの言うとおり、あのブローチが本当に良いものであることを願うばかりである。

「クソー、気分が悪い」

 そう思いながらチケット売り場へ向かっていると、バーサンが追いかけてきた。先程の必死の形相とは違って、こんどは親切そうな笑顔に満ちている。なんの用かと思っていると、手に持っていた『禁じられたポンペイ』というこれまた日本語の本を私に渡した。

「ははあ、さすがに高いものを無理矢理買わせて悪かったってことで、この本をサービスしようってんだな」

 そう思って、引きつりながらも少しは私も微笑みかけたところ、このバーサンの次の言葉にまた驚いた。

「15000リラ」

 悪びれた様子もなく、片手を差し出して「金よこせ」のジェスチャーをしている。

「買うかぁ、こんなもん!」

 そう言って本を突き返した。まったくタフなバーサンだと感心したが、なんだか気分が悪くてその後の遺跡巡りが楽しくなかった。

 とは言っても、さすがにポンペイの遺跡はすごい。二千年前の町がこうして残っているのだ。この遺跡の“生みの親”ならぬ“埋めの親”であるベスビオ火山が思いの外遠くに見える。あんなところで噴火した灰が6mもの厚さで町を覆い尽くしたのだから自然の力は驚くべきものだ。未だ完全に発掘は終了していないというが、ここにある遺跡は実に見事なもので、まさに掘り出し物という感じ。町じゅうの通りは大きな石が敷き詰められているのだが、凹凸が激しくて大変に歩きづらく、普通の倍疲れるという感じだが、これほどの大きな石で全面的に舗装するというその労力に感心する。よく見ると石畳の上に轍が出来ているのが興味深かった。

 家の壁には顔料で書かれた文字や絵が残っていて、床にはモザイクタイルによる繊細な模様がしっかりと描かれている。神殿や競技場、円形劇場なども素晴らしいが、ポンペイの遺跡のすごいところは普通の住戸が町並みごと残っていることだろう。二千年前の人々の生活をこれほどリアルに感じられる体験というのはなかなか出来るものではない。

 円形劇場というものがあって、または闘技場とも呼ばれるらしいが、ローマのコロッセオより100年も前に作られたものだそうだ。例によって剣闘士の戦いやら猛獣との戦いやらが行われたそうで、染みついた古代のエネルギーがそうさせるのか、そのグランドにいた3人の若者が大声でクイーンの「ウイ・アー・ザ・チャンピオン」を唄っていた。

 中央にはアポロ神殿がある。このあたりを歩いていたら、遠足なのか校外学習なのか、小学生の団体がいた。「オハヨー」(夕方なのに)だの「サヨウナラー」だのと日本語をかます子供が何人もいた。意外と日本の挨拶が知られていることに少し驚いた。子供に微笑み返しをしながら構わずそこらの写真を撮っていると、人のカメラの前に直立不動で立ちはだかる連中が何人もいる。子供はどこの国でもカメラの前に立ちたがるものらしい。

 子供たちと離れて静かになったと思ったら、前方から妙にうるさい声が聞こえてきた。これは日本のオバチャン連ではなかろうかと思っていたら、赤と緑に包まれた韓国版オバタリアンの団体だった。まだ遥か遠くにいるのにもかかわらず、その騒音たるや凄まじいものがある。やはり日本のオバチャン連では太刀打ちできない迫力だ。こういう場所で過去に思いをはせているところにああいう団体がやってくると、興醒めすること甚だしい。中国人の団体であるとさらに猛烈な場合が多いが、国民性だから仕方ないのか。

 さて、あまり楽しい気分ではないながらも遺跡をひとまわり見終わって、クタクタの体で再びホテルへ辿り着いた。財布の中身を見て、「これっぽっちになっちまった」とバーサンを恨んでみたが始まらない。少し休んでから食事をしにまた町へ出た。しばらく歩いてから一件のトラットリアへ入った。手ごろなツーリストメニューがあったのでそれを食べて、最後に美味しいカプチーノを飲んで少しは疲れが取れたようだった。酒が入ったせいか先程までのイライラもなんとか薄らいで良い気分になった。それでは勘定を払って帰ろうか、と思って驚いた。

「財布がない」

 ホテルを出る前に財布の中身を確かめた時、そのまま財布をベッドの上へ置いてきてしまったのだ。しかしクレジットカードだけは持ってきていた。カードが使えるかどうか取りあえず訊いてみよう。店員さんにカードを差し出してみると、即座に「カードはダメだ」と言われた。ダメだと言われたならしょうがない、正直に話すしかない。ホテルに財布を置いてきてしまったことを何とか英語で説明すると、その店員は驚いた顔をして店の奥に引っ込んで行った。困ったなあと思いながらも、そんな状況をちょっと楽しみながら待っていると、店の奥から4人ぐらいがゾロゾロとやって来た。すっかり私の周りを取り囲み、
「カードはダメだ、現金で払え」
 と攻め立てる。ホテルに財布を置いてきたことをもう一度説明すると、
「どこのホテルだ?」
 と訊く。まずいことに私はホテルの名前を全く覚えていなかった。
「名前は覚えていない。あっちのほうのすぐ近くのホテルだ」
 そう答えると、彼らの表情はすっかり険しくなった。明らかに私の言うことを信じていない様子である。そりゃそうだろう、我ながらいかにも行き当たりばったりのウソのように聞こえる。

「金もないのに飯を食って適当な言い逃れをしているこのゴロツキ東洋人め!」

 そう思われているに違いない。1人だけ見張りを残して彼らはまた店の奥へ消えた。皆で対応を話し合っているようだ。私はしばらく待っていたが話し合いはうまくまとまらないようで、いつまでたっても皆はやってこない。これ以上待っていても仕方がなさそうなので、私は立ち上がって彼らのもとへ行った。険悪な表情でもめている彼らに向かって私は言った。

「一緒にホテルまで行ってくれないか」

 私の言っていることがデタラメだと思っている彼らは、その言葉を聞いて戸惑ったようだ。多少は信じているのかも知れないが、半分以上はそれが私の逃亡するための口実だと思っていただろう。私は人相的には悪人顔ではないはずで、誠実さがにじみ出ているに違いないのだが、そこは見知らぬ東洋人だし、言っていることがいかにもうさん臭いので信用しろと言うほうが確かに無理がある。彼らは少しの間またゴニョゴニョと話し合った結果、1人の男性を選び出した。一番しっかりした人物が私とともに行くことになったようだ。

 その男性と連れ立って歩いていると、思いの外ホテルは遠かった。

「ホテルはどこだ?」

 しびれを切らして男性が訊いた。その顔には「ほれ見ろ、やっぱりウソだ」と言いたげな冷笑が混じっている。「もう少し」と言ってそのまましばらく歩くとようやくホテルにたどり着いた。ホテルに入ると、険しい表情の男性に、いったい何事かとフロントの男性が尋ねている様子だった。なにやら会話する2人を気にしながらも部屋へ駆け込んだ私は、すぐに財布を持ってフロントへ戻った。私が本当に財布を持って戻ったことに店の男性は少し驚いた様子だった。食事は20000リラの料金だったが、迷惑をかけたので私はお詫びをしながら25000リラを差し出した。しかし彼は20000リラだけを受け取ると、盛んに謝る私に握手を求め、さわやかな笑顔を残して軽やかな足取りで帰って行った。

 翌朝、ホテルを発とうとした時にカードで支払おうとしたら認証に随分と時間をとられた。あんなことがあったのでホテルの人間にもすっかり疑われているのかなと思った。ついてないと言えばついていない出来事で少しハラハラはしたものの、なかなか面白い体験ではあった。

 魔物が住むポンペイではあまり良いことは起こらなかったけれど、おかげで最も印象に残っている町でもある。

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