出不精が行く!!
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イタリア失業旅行記 〜その1 ホントにイタリアへ行こう!〜

 もう10年前になる。4年間勤めた会社を辞め、新しい職場に移るまで、2ヶ月ほど休養期間を取ることにした。当然ながらこれほどの休みというのは滅多にある機会ではないので、ぜひとも有意義にすごさなければならないと思った。というわけで、この休みの期間に、バイクの免許取得と、そしてイタリアへの一人旅を目論んだ(別にバイクでイタリアをまわろうと思ったわけではない。それぞれは別の目論みである。念のため)。

 ところが、退職も迫り、旅の手配も始めたころ、転職予定先の社長から突然内定の取り消しを告げられた。時はバブル崩壊の直後で、その影響が予想していたより遙かに大きく急激で、新たに人を雇う余裕がなくなってしまったというのが理由だった。それならもっと早く言ってくれれば、とりあえず退職を延期することも出来たのに、とややムッとしたものの、それはそれでまあいいか、なにか面白いことになるかも知れないし、と例によっていつもの調子でのんびり構えることにした(結局その後半年以上失業状態にあった)。

 とりあえず、先のことは分からなくなったものの、計画だけはそのまま決行することにした。最近は割と当たり前の『卒業旅行』というものを経験していなかった私は、それに代わる『失業旅行』だと位置づけて、この旅を楽しむことにしたのである。だが、私にとってこれは人生最初の海外旅行であり、おまけに一人での自由旅行である。イタリア語などまるで知らないし、英語力もとても貧弱である。なんだか緊張を強いられる状況のようで、実際のところ、あまり気楽な旅というわけには行きそうにない。

 そもそも、私がなぜイタリアへ行くつもりになったのか。尻拭き紙78パックでイタリア旅行が当たったからではない(うんち君のこぼればなし「イタリアへ行こう!」参照)。自分の中では別にイタリアに憧れてきたという過去もない。私が子供の頃から持っていたイタリアの印象といえば、第二次世界大戦時、日本と同盟を結んでいた弱い国(イタリア関係の方々、失礼)というのがまず第一にある。私はミリタリー模型のファンだったので、田宮模型の1/35ミリタリーミニチュアシリーズ(MMシリーズ)を中心に、戦車などのプラモデルを多く作ったが、このMMシリーズにおいては、イタリアの戦車といえば“カーロ・アルマート”と“セモベンテ”という2つしかキットが無く、私はこの“故障だらけだった”とか、“装甲が薄くてイチコロだった”とかいう噂のあるイタリア戦車のキットには大方の子供達と同様ほとんど興味を示さなかった(それ以前に、兄が枢軸国担当、私が連合国担当だったので、私がイタリア物に手を出す状況にはなかったという理由もある。とは言っても、兄もやはりイタリア戦車には手を出さなかった。今見ると、味わいがあってとても素敵なデザインだけれど)。そんな戦車を作った国。それがイタリアに対する私の最初の印象であった。

 だが、その後にスーパーカーブームが来る。私は、“戦車大好き、乗用車興味なし”という子供だったので、こんなブームには乗っからなかったが、イタリア人が多くの優れた車を作っていることを知った。その後、世界史を学ぶにつれ、イタリア文化の優れた面を多く知ったが、それでも特に興味を持ったわけではなかった。それは社会に出てからも同じで、要するにイタリアへ行く動機となるようなものは何もなかったのである。

 ところが、退職を数ヶ月後に控えた頃、私をイタリアへ導くきっかけとなった一冊の本と出会う。『イタリア中世の山岳都市 造形デザインの宝庫』(竹内裕二著 彰国社)である。イタリア中世の山岳都市を紹介している本だ。言うまでもないけれど。イタリアには中世の街並みそのままといえるような山岳都市が現代に多く残されていて、人々が今なお日常生活を営んでいる。現代日本の雑多な風景にうんざりしている私は、まさに自然と一体化した街並みの美しさに惹かれ、すぐにその本を購入した。しかし、憧れの思いでページをめくりながらも、実際にそこへ行こうという発想はまるで起こらなかった。結局、読み終わってそのまま本棚へ仕舞い込んだだけだったのである。

 それから程なくして、数年も人生の先輩でありながら謙虚にも会社の後輩であるO津君と、酒の席でまじめな話をしていたときのこと。アメリカ留学帰りの彼が言った。

「せっかくの機会だから、行けるときに海外に行っておいた方がいいですよ。人生観変わりますから。一度、外から日本を見る経験をすると、世の中の見方が変わります」

 数年間をアメリカで過ごし、ヨーロッパを回った経験もある彼がそう言うから、私もにわかにその気になった。

「とは言っても、どこへ行こう。特に行きたい国も思い浮かばないけど」
 そう言ってから、ハッと思った。そうだ、イタリアの山岳都市を見に行こう!

「だけど、イタリア語なんてまるで知らないし、英語もほとんど話せないよ」
 私が不安を述べると、気楽で陽気で前向きで、おだて上手なO津君は、
「言葉なんて通じなくてもなんとでもなりますって」
 と言った。イタリアではあまり英語は通じないというから、中途半端にしか英語が使えないということを引け目に感じることもあるまいし、どうせ言葉が通じないなら徹底的に通じないほうが却ってすがすがしい、という自ら考えた変な理屈に妙に納得もして、結局その場で決意した。

 といったわけで、1992年の5月10日から2週間弱の一人旅が始まる。

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