出不精が行く!!
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西伊豆の怪

「もの凄く気持ち悪い雲だった」

 ゴールデンウィークに入る一週間前、妻が南の空に地震雲を見たという。我々が西伊豆へ一泊旅行に行ったのは、世間がゴールデンウィークに入る一日前の、4月28日だった。

「地震に遭いませんように」

 と、妻は祈っていたそうだが、熱海で震度5弱の地震があったのは、帰ってきたその翌日の30日だった。現場で地震に遭わなかったのは幸いだが、それでも旅の宿では薄気味悪い出来事に遭遇した。

 薄気味悪いといえば、以前に行ったホテルでも妙なことがあったと、旅の途中で妻が思い出した。私はすっかりその話を忘れていたのだが、そういえばそんなことを聞いた気もすると、だんだんに記憶が甦ってきた。

 もう何年前になるか分からないが、信州のリゾートホテルへ泊まった時のことだ。久し振りの夫婦旅行だというのに、私は風邪を引いて熱を出してしまった。それでも当日のキャンセルなどというもったいないことはしたくなかったので、無理をして旅行を続けた。

 レンタカーを運転してどこか観光スポットへ着くと、私は車の中で横になり、妻だけが一人外をブラブラ歩くというようなことで、妻にはずいぶんつまらない思いをさせてしまった。ホテルに着くと、温泉に浸かることもせず、私はベッドに横になるばかりだった。熱がだいぶあるようだったので、妻はフロントへ薬をもらいに行くと言って部屋を出て行った。妻の記憶によると、部屋はオートロックではなかったらしい。ちょっとの時間だからと、妻はドアの鍵をかけなかった。

 妻がフロントから戻り、廊下で自分たちの部屋を探していると、ある部屋から一人の男が出てくるのを見た。頭に白い包帯のようなものを巻き、眼鏡をかけ、オタクのような雰囲気を持った、一種異様な男だった。その男の目つきが普通ではなく、とにかく気持ちが悪かったという。男はそのままエレベーターに乗り込んで行った。

 妻が男の行方を見送ってから部屋探しを続けると、なんと、その男が出て来た部屋こそが自分たちの部屋であった。

「今、男の人来てた?」

 部屋へ入るなり、妻は私に向かって尋ねた。私にはなんのことだかまるで分からなかった。確かに私は横になって眠っていたかも知れないが、ほんの数分のことであるし、人が入ってきた気配に気づかないほどに寝入っていたとは考えにくい。現に、妻が部屋に入ってきた音にはすぐに気がついたのである。

「泥棒か?」

 妻の目撃した怪しい人体からすれば、そういう可能性は十分に考えられる。妻が鍵をかけずに出ていった様子を見かけた泥棒が、部屋を物色に入ったものの、私が寝ているのを知って、ソッと出ていった。そういう説明は成り立ちそうである。意外と私はぐっすり眠っていたのかも知れない。

 だが、それが人間ではない、という可能性もないとは言えない。なにより、私が全く気づかなかったこと、男が頭に白い包帯のような物を巻いていたこと、妙に気持ちの悪い雰囲気であったこと、それらを考え合わせれば、それがこの世のものではなかったとしても不思議ではない気もする。泥棒か幽霊か、いずれにしても気持ちのいい話ではない。

 さて、そんな話をしたのが旅のいつの時点だったか、よくは思い出せない。ただ、割と気楽に話していた気がするので、それは夜を迎える前のことだったと思う。よもや、またも旅先で奇妙な体験をしようとは思いもよらなかったのである。

 この日は朝から快晴だった。

「今朝まで雨が降っていて空気が澄んでいるはずだし、この天気なら富士山が綺麗に見えるぞ」

 私は、久し振りに間近で見る富士山を楽しみにしていた。我々の目的地は、伊豆半島西海岸の北部に位置する戸田(へだ)という温泉地である。かつては戸田村という漁村だったが、今は沼津市の一部となっている。この土地からは駿河湾越しに富士山が見えるという話で、旅館の客室からもオーシャンビューと富士山の絶景が楽しめるはずであった。

 交通費節約のため、新幹線や踊り子号は利用せず、乗車券のみで乗れる快速電車アクティーで東京から熱海まで行く。そして普通列車に乗り換えて、三島で降りた。まずは三島観光である。

 すでに時刻は1時に近かったので、昼食を取るために鰻屋へと向かった。三島といえば鰻だそうなので、こんな時ぐらい贅沢をしようということで、一番評判の良いらしい店で1人前2千円以上もするうな重を食べた。確かに柔らかいし、上品で高級そうな味だが、果たしてそれだけの金を払っても良いと思うほどに、

「うまい!」

 というものかというと、はっきり言ってそうでもない。

「やっぱり、“トロいわし”には敵わないだろう。あれは人生で最高に美味かった」

 と、何年か前に食べた絶品の鰯を引き合いに出して2人で語った。ちょっと無駄な贅沢をしちゃったかなと、やや後悔するが、そんなことでつまらくなってもしょうがないから、まあ、美味かったってことで、楽しく歩く。

 源兵衛川という浅い川には親水公園が整備されていて、川の中に飛び石状の踏み台があり、流れに沿ってそれを渡って歩けるようになっていた。こりゃあいい空間だなあと思ったら、ちょっと個人的に知っている事務所が設計に携わっていた。

 三嶋大社に向かうのには桜川沿いを歩くのだが、その手前にある白滝公園から河畔に降りてみれば、体長7〜10センチ程の蟹が沢山いるではないか。

「へえ〜、こんなところに蟹がいっぱいいるのかあ」

 と感心して喜んでいると、少し上流の対岸で何やら人だかりがしている。近づいてみると、おじさん2人が次々と蟹を川に投げ入れていた。横で話を聞いていたら、子供たちが獲って遊ぶことを念頭にボランティアでやっているそうだ。この蟹はズガニという種類で、食べられるらしい。海まで行って産卵し、また遡上してくることを狙っているそうだ。

「別に大人の人でも獲って食べて構わないですよ。商売にしなければ幾らでも獲っていい。みんなで獲っても獲りきれないぐらいは放してるから」

 と、地元の人達に説明していた。川の中を覗きながら歩いていると、あっちこっちで蟹たちが、ツツーッと流されながら海に向かって移動していた。地元の人達が珍しそうに足を止めて川を眺めていたが、ちょうどそんなタイミングでこの場所を訪れたのは、まあラッキーであった。

 三嶋大社は大きくて古い神社である。建物は再建だが、奈良時代の古書には既に記録が残っていて、歴史は二千年余りとも言われているそうだ。源頼朝が特に崇敬したそうだが、なんだかものすごいところなんだな、これ。訪れたのにちゃんとお参りをしなかったが、もしかしたらそれが怪現象の一因か、とも後で思った。が、定かではない。

 さて、三島でゆっくりしすぎてしまったので、レンタカーを借りる沼津へ行くのが遅れてしまった。三島では車が空いてなかったので、隣の沼津まで行かなきゃいけないのである。いつの間にやら、空には雲も現れている。こりゃ、富士山が怪しいかも、と心配しつつ、ほぼ一時間遅れで沼津を出発した。

 戸田までは、海沿いを行くルートと峠道を通るルートがあるが、達磨山からの眺めが素晴らしいという話を聞いていたので、峠道ルートを選んだ。達磨山レストハウスで車を停め、展望テラスから眺めて見れば、なるほど素晴らしい眺望と言えないことはないけれど、湾の向こうはすっかり霞の中で富士山なんて見えやしない。翌日は雨だとの予報だから、もはや富士山を望む望みは断たれたようなものだ。

 既にこの時、車に弱い妻はかなり車酔いをしていた。道は急な坂道だし、グネグネと急カーブだらけだ。上り道ならまだしも、下り道になると特に辛いらしい。峠を降り始めると、妻の顔色はどんどん悪くなっていった。

 麓に降りれば、そこは目的地の戸田である。海に面した、パーッと開けた景色を想像していたのに、そこは狭い谷あいの何の変哲もない集落といった趣である。富士山が見えるどころか、海がどこなのかもよく分からない。突然道路の左側に、写真で見覚えのある建物が現れて、同時にカーナビが、

「ルート案内を終了します」

 と喋った。私は車を左折させ、駐車場の中へ入れようとしたところ、

「先に降ろして!」

 と妻が車を降りた。結局、我慢しきれずに道端で戻してしまったのである。妻は昔から車に弱いので、これはまったくもってただの車酔いに違いないのだとは思うが、霊感の強い人が怪しい場所へ行くと、突然ウゲーウゲーと吐き気をもよおすことがあるようだから、もしかしたらそんなことが作用していたのかも知れないなあと、勘ぐれないこともない。が、真相はわかりようもない。

 ロビーに入ると、3人ぐらいで出迎えてもらった。従業員の感じは悪くないが、どうもイメージが違う。なんとなく旅館に活気がない。はっきり言えば暗い感じ。この旅館、ネットで調べて非常に高評価だったから決めたのだ。料理も、サービスも、部屋も、景色も、みんな90点以上の評価だったのだ。だが、なんだかいまひとつピンと来ない。この時、妻は、

(この宿に泊まりたくない)

 と思ったそうである。

 部屋は4階だった。最初に部屋を見た時には、畳も青々と綺麗でなかなか感じが良いと感じた。

「幽霊が出るような、嫌な感じ、ってのはないな」

 と、安心した。さすがに評価がいいだけはある、と思った。

 だが、窓のブラインドをあげると、とても評価できる景色とはいえない。海も富士山もどこにもなく、そこら辺に幾らでもあるような山が目の前に迫っている。おまけに道をはさんだ正面の斜面には墓地が見える。なんとなくこの土地自体が陰気な雰囲気にも感じる。

「なんか、やだなあ」

 その墓地を見ながら、妻が言った。

「ま、すぐ夜だし、外を見て過ごすわけではないから」

 と、気持ちを切り替えた。

 食事も悪くはないが、評判ほどのものとは感じない。どうも評判倒れの気配である。 

 飯を食ったら眠くなって、そのまま2時間ぐらい2人で寝てしまった。起きてから浴場ヘ行った。温泉はまあ普通だが、外の見えない露天風呂なのであまり面白みがない。それでも暖まって、リラックスして、それなりに癒された感じはあった。

 部屋へ戻って、翌日の行き先などを検討して、12時をちょうどまわったところで布団に入った。部屋の明かりは消したが、入口の照明はつけたままで、欄間からその明かりが入って、部屋は薄暗い状態だった。私は随分前から、耳栓をして寝るのが習慣なので、もちろん耳栓をしていたのだが、目を閉じてほんの1、2分ほどしたところで、横の妻が私の手を揺すった。私は片方の耳栓をとった。

「変な音がする」

 そう妻が言うので、私はもう一方の耳栓も取って、聞き耳を立てた。

「トツ・・・トツ」

 私の足先にある押し入れの襖から2回、音がした。

「・・・ね」
「ああ、したね」

 そのまま少し待っていると、また、

「トツ・・・トツ」

 同じ音がする。その後もほぼ同じ間隔で音が鳴り続けた。

「トツ・・・トツ」

 指先で襖を軽く叩くような音だ。ほとんど必ずと言っていいほどに、2回ずつ音がする。襖のどこらへんから音がするのか、はっきりとその場所がわかる。寝る前には全く聞こえなかったのだ。

「ラップ音かな」

 私は言った。私は以前、

「ピシッ、パシッ」

 という、いわゆるラップ音というものを何度か聞いたことがあるが、音の質からすると今回の音とは全く違う。空中から音がするようなラップ音とは違って、その音は確実に襖の表面から出ている。そういうことからすると、これはラップ音とは言わないかも知れない。

「なんか虫が当たるような音だな」

 そうじゃないとは思っていたが、いちおうそんな可能性も考えてみた。

 すると、すぐに音の出所は移動した。今度は押し入れの左側、妻の足先にあるクローゼットの扉から、やはり、

「トツ・・・トツ」

 と、音がする。間違いなく、扉が音を発している。

 私は立ち上がって、部屋の隅へ行き、照明のスイッチを入れた。すると、クローゼットとは反対側の壁の隅から、

「トツ」

 と、一度だけ音がして、その後は音がしなくなった。その時最後に一度音がしたのは窓側の板の間のほうで、照明を消したままの暗い場所である。まるで明かりを嫌がって逃げて行ったかのようにも思える。

 その後、明かりをつけている間は、いくら待っても音はしなかった。クローゼットを開けてみても何もない。虫もいないし、扉を揺すってみても叩いてみても、何も原因は解らない。

「消えたね。気にしないで寝るしかないな」

 私がそう言って、再び部屋の明かりを消して布団に入ると、

「トツ・・・トツ」

 待ってましたとばかりに、クローゼットの扉が鳴った。

「ほらまたあ」

 妻が少し泣き声で言った。2、30秒おきぐらいに、その音は鳴り続ける。薄明かりの中で、音のするクローゼットの扉を見続けていたが、何も見えない。これで幽霊でも姿を現したらシャレにならないなあ、と思っていたが、我々にそういう感受力はなさそうだ。

「部屋変えてもらう?」

 妻が言ったが、こんな夜中にそんなことをお願いするのはどうかと思うし、おそらく空き部屋はほとんどないはずで、たまたま確認した2つ隣の空き部屋へ移らされる可能性が高いのではないかと思った。結局そこも同じ並びの部屋で、墓場と向かい合っていることには変わりないし、解決しないどころか、もっと悪くなるような気がなんとなくしないでもない。

 ひとまず、私はもう一度立ち上がって、部屋の照明をつけた。先ほどと同じように、部屋の反対側の隅のほうで一度だけ、

「トツ」

 と音がして、また静かになった。立ち上がってスイッチを入れに行く私も、ちょっと背筋がゾクッとする。このあたりから、妻は頭が少し痛くなったらしい。

 明るければ音はしなくなるし、薄気味悪さもすこし和らぐから、結局明かりをつけたまま寝ることにした。だが、そう決めた途端、再び音が鳴りだしたのだ。今度はクローゼットだけではなく、天井の方からとか、部屋の入り口のほうとか、あちこちから鳴るようになった。音は同時に、あるいはすぐ続けて別々の場所から鳴ることはない。あたかも、一つの存在が部屋の中を移動しているかのように、時間を置いて鳴るのだ。だが、部屋が明るい時には、心なしか音も弱々しく聞こえる。

「トツ」

 と、一回だけしかしないことも多くなった。私だけなら耳栓をして寝るんだろうが、そうやって一人だけ気楽に寝るわけにも行かないから、2人で耳栓を1個ずつして、横向きになってもう片方の耳を枕に押し付けながら布団をかぶって寝た。布団をかぶるととても暑かったが、布団から体を出す気にもなれず、我慢して寝た。しばらく音は鳴り続けていたのだろうと思うが、そのうち我々のほうが眠ってしまった。寝つくまでに時間がかかったし、眠りもブツ切れの浅い眠りだったから、翌朝には疲労困ぱいだったが、ひとまずそれ以上の体験はなく、朝になれば、音はすっかり止んでいた。疲れをとりにいった温泉で、却って疲れてしまった夜だった。

 なにか、室温とか部屋の環境による純粋な物理現象だろうと言う人はもちろんいるだろうが、それでは説明しきれないという気はする。なにかあの墓場に関係しているのだろうか。誰かがなにかをアピールしてたんだろうか。家に一匹残しておいたハムスターの“たますけ”が、寂しがって幽体離脱してやって来た、というなら一番和やかな結論なんだけれど。

「我々にはわからんから、やめておくれ」

 と、その誰かさんには言っておいたが、今日もまた宿泊客に対してそんなことをやっているのだろうか。

 朝になって部屋が明るくなれば薄気味悪さも減った。気を取り直して、今日は今日で楽しもうと思った。出発前に戸田名産の天然塩というものを買って、お互いにかけてお清めをした。これで大丈夫だ、という気にもならなかったが、実際、あまり大丈夫ではなかったかも知れない。

 まず最初に訪れたのは、『戸田造船郷土資料博物館』と『駿河湾深海生物館』である。旅館のロビーで入場割引券をもらっておいたから、一人300円のところをたったの240円で入れるのだ。堤防沿いの一本道をしばらく走って道路脇の駐車スペースに車を停めた。そこから博物館まで少し歩く。歩き始めると、後方からかなりの騒音を立ててカッ飛んでくる自動車があった。私はその車にすぐ気がついたから、立ち止まって車が通りすぎるのを待っていたのだが、横の妻を見るとそんな車はお構いなしに、道路の真ん中にフラフラッと出て行くではないか。

「ちょっと、危ないよ!」

 声を掛けたが、ボヤーッとしたまま何の反応もない。

「危ないってば!」

 そう言って妻の腕を掴もうとしたが、妻が道路の真ん中へ歩いて行くから、手が届かなかった。だが、かろうじて指先が妻の腕に擦ったので、妻が顔をこちらへ向けた時、車が視界に入ったようで、妻は道路の端へ寄った。

「なにボーッとしてんだよ!」

 あれほどの音を立てて車が近づいてきているのに、まるで気が付かないとはどうかしている。妻が道端に寄ると思っていたのか、車は全くスピードを緩める気配が無かったし、もし私が声を掛けなかったら妻はそのままはねられていたのではないか。あのスピードではねられたら、おそらく命はなかっただろうと思った。

「まったく、なんで気付かないかなあ、あんなにでかい音で近づいてきてるのに」

 そう話しかけても返事もなく、視線が空ろだから、

「ちょっと、大丈夫かあんた!」

 と、私は大きな声を出した。どうも様子がおかしい。

「なんだか、とにかくボーッとしてる」

 というようなことを妻は言った。寝不足でボーッとしているだけかもしれないので、なんでもかんでも霊のせいにするのはよろしくないが、

「そういえば、昨日寝かかっている時に、頭の中で『死ね』って言われた気がして目が覚めた」

 と妻が後で言った。あまり考えたくは無かったが、昨晩の怪現象がまだ続いているのではないかとも思った。

 で、気持ちを切り替えて、ちょっとは楽しみにしていた深海生物館へ入る。造船郷土資料博物館と併設されていて一緒に見ることが出来るのだが、なんともはや、他の客は誰もいない。知る人ぞ知る、超弩級マイナースポットなのである。我々はどんどん活力が奪われて行くのを感じた。

 ただ、博物館のほうは、極めて地味だがちょっと興味深いといえば興味深い。戸田は日本で初めて洋式帆船が造られた土地なのである。その船をヘダ号という。詳しい経緯は長くなるから省略。気になる方は各自調べられたし。そして、深海生物館。楽しみにしていたはずの妻が一気に萎えてしまったという、それは不気味なスポットである。ほとんどの標本がホルマリン漬けなのだ。ホラー映画に出てくる理科室の如くだと、妻はビビっていた。途中で私がトイレに行くと言ったら、

「標本の魚が、グボッ!って動き出したらどうしよう」

 と、妻は妙な想像をして、一人残されるのを恐がって着いてきた。

「なんでこんなへんぴなとこに来ちゃったかなあ」
「なんか、どんどん気分が沈んで行く感じ」

 博物館を出た我々の会話である。車に戻る前に、小さな湾になった砂浜を歩いてみると、水も浜もずいぶん汚かった。

「ああ、二度と来ないだろうなあ、ここ」

 この文章でイメージが悪くなってしまったとしたら、地元の方々には大変申し訳ないのだが、でも、これが我々の体験した戸田の全てであった。

 この日の天気は曇りだった。結局富士山を見ることは叶わないので、海沿いのルートを無理に通ることをやめて、修善寺へ向かって昨日の峠道を戻ることにした。次の目的地はその道の途中にある『虹の郷』である。色々な花を見ることが出来るテーマパークだ。車を走らせ始めるとすぐに雨になったが、『虹の郷』に入って少しすると、その雨も止んだ。ここは、深海生物館なんかに比べたら、知名度は数万倍にもなるのだろう。大駐車場は車で一杯であった。花に興味のない私からするとそんなに面白いものではないが、花好きの妻はここでかなり気分が晴れやかになったようだ。おいしいそばを食べ、おいしいソフトクリームを食べ、きれいな花を見て、そしてゆっくり歩いて、最後にようやく行楽らしい気分を味わえた。妙な憑き物も、ここから先にはもう着いて来るまいと我々は自分たちに言い聞かせた。

 そしてもう一つ、最後の最後に気持ちの良いことがあった。三島でレンタカーを返す予定時刻が15時であったが、私がレンタカー屋へ飛び込んだ時刻が、ぴったり15時だったのである。これには感動した。終わり良ければすべて良しだ。

 と思わなきゃ、やってられない旅であった。

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