出不精が行く!!
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うろ覚え中国旅行記 〜その3 玉龍雪山と白沙村へ〜

 あまりにものんびり更新しているうちに、麗江を舞台とした高倉健さん主演の中国映画、『単騎、千里を走る』が話題になって、それも既に落ち着いちゃったりしている。

 玉龍雪山(ぎょくりゅうせつざん)は麗江の北西にあり、万年雪を頂いた山としては北半球最南端に位置する標高5,596mの美しい山だ。遠目には美しいが、天候の変化が激しく険しい地形の厳しい山だそうで、未踏峰である。詳しいことはわからないが、中途半端な高さで難しいとなると、登山家達の目がなかなか向かないということなのかも知れない。
 麗江のシンボルともいえるこの山は、いつも町の背後にそびえて、ナシ族の人々にとっては神々の住む聖なる地である。そんな山でも、恐れ多いことに近年は標高4,500m地点までリフトで上れるようになった。頂上までまだ1,100mもあるが、それでも富士山頂より700m以上も高い。もちろん、この日の観光の目玉はそこへ上ることである。幸いなことに、この日は大快晴であった。

 町を離れると、山へ向かう途中の道はとても広く、景色はあまりにも雄大で、

「これぞ大陸!」

 と感じないわけにはいかない。道路は一応舗装してあるが、かなりジャカボコで、バスの乗り心地は決してよろしくない。中国の人達(もしかすると、雲南という田舎の特性というところも強いのかも知れないが)の生々しさというか、ストレートさというか、悪く言えばデリカシーの無さというのは、道路での車の走り方にも現れていると思う。ずいぶんと飛ばすし、とにかくクラクションの使用頻度が半端じゃない。前に車が現れる度、クラクションを鳴らしまくり、煽りまくり、抜かしまくる。抜かしまくるということは、このバスの運ちゃんが飛ばし過ぎているということを表しているので、中国の皆さんが、そろって飛ばしまくるわけではもちろん無いんだろうが、それにしたって、町を走れば、そこかしこでクラクションが鳴り響いているというのは、日本では考えられない光景だ。

 途中、トイレ休憩で立ち寄ったレストラン付近には、観光用のヤクがいた。ヤクとはこの辺りの遊牧民族が家畜としている毛の長い牛である。観光客に民族衣裳を着させて、ヤクにまたがった写真を撮る、という商売をしていた。私も含め、我々設計事務所の男どもはそんなものには見向きもしなかったが、例の姦しおばさんトリオは喜んでお客さんになっていた。

 バスが中腹の駐車場に着くと、ダウンジャケットおよび空気袋の貸し出し所があった。なんといっても上は標高4,500mなので、気温が低くて空気も薄い。

「自信がない方は借りて行った方がいいです」

 とのガイドさんの説明に、姦しおばさんトリオと旦那さんグループは空気袋を借りていた。空気袋は、でかい胃袋のような形をしていて、それを肩からかけて胸の前に抱きかかえるような格好になる。吸い口がついているので、そこから濃いめの空気が吸えるようになっているようだ。はっきり言って、あんまり見映えのいいもんじゃあない。

 二人乗りのリフトに揺られて上まで行くと、そこからしばらく森林の中を歩く。私はなんとも感じなかったが、お年寄り(お年寄りは言い過ぎ)たちは空気の薄さに息苦しさを覚えているようだ。空気が薄いというのはこの程度のものなのかと思っていたら、少し早歩きをすると、さすがに胸が苦しくなった。けどまあ、なんてことはない。おじさんたちは有り難がって空気袋に口を付けているが、私は空気袋が必要だとまでは感じなかったので、やっぱり若いってのは(当時34歳)色々強いんだなあと思った。

 森の中の道端で、民族衣裳を着た5歳位の童女が一人で踊っていた。写真を撮ったが、どうやらモデル料を請求する商売のようだと気付いたので、それ以上撮るのはやめた。たいした金じゃないから落としていってあげればいいのかもしれないが、商売だとわかるとなんだか興醒めしてしまう。考えてみれば、こんなところで民族衣裳を着て観光客の前で意味もなく踊っている子供なんているわけがない。

 おそらく10分ほどだったと思うが(記憶が定かでない)、目的地の展望台へ着いた。果たしてそこが展望台だと聞かされていたのか、これまた定かではないが、そこは決して“台”ではない。大展望広場だ。サッカー場が3、4面は入りそうなぐらいの、どんだけ広いんだ?といった大広場だ。山の中腹にあるこの真っ平らな土地がなんなのかよく分からないまま(『雲杉坪』という丘だそうだ)、30分ほどをやることもなく過ごす。玉龍雪山の山頂はよく見えるけれど、自分のいる場所があまりにも真っ平らな土地だけに、どうもここが山の中腹だとは思えず、目の前の山はまた別の山のようにしか見えないところが、なんだか面白くない。なんだこれ?てな感覚だった。

 さて、この場所で尿意を催した私はついに体験した。中国の超開放的なトイレだ。いや、これはトイレとは言えない。が、トイレと書いてあったような気がする。さすがに男女は別になっていたと思うが、そこはテントのようなところで、布一枚を隔てて中へ入ると、既にそこは外だった。左右と天井部分には幕があったと思うが、正面はまったく開放されている。前には山しかないので構わないのだが、肝心のトイレの正体はといえば、それは板と斜面である。斜面の一部を溝状に少し掘ってあって、そこに板を渡してある。用足し者は、そこに立ったり座ったりして大小の物を垂れ流すという仕組みだ。当然ながら、汚物は見渡し放題、悪臭は嗅ぎ放題、蝿は飛び放題である。板は二人分ぐらい並んでいたと思う。もちろん見知らぬ人と二人並んで、なんてこともあり得るわけで、連れションならなんとか我慢できるが、連れウンなんて普通の日本人には出来やしない。女性なら小さな用事でも下半身限定の裸の付き合いになるわけだから(下品ですみません)、かなり辛い状況だと思う。

 さて、そんな素敵な大自然を満喫していざ下山である。姦しトリオと旦那グループの空気袋はかなりペチャンコになっていた。
「いやあ、これがあって助かったよ」
 なんてことをおっしゃっている横で、我が事務所の所長は、
「僕もあれを借りてくれば良かったかなあ。でも、格好悪いもんねえ」
 などと言っていた気がする。建築家なので、“格好の良さ”ってもんをやたらと気にするのである。でも、還暦過ぎてるんだから、そんなことを言ってる場合じゃないとは思う。

 玉龍雪山を後にした我々は、たぶん来る時にトイレ休憩したレストランで食事をして、玉峰寺というお寺にある大きな椿の木を見に行った。樹齢500年以上の椿で、この時期には2万以上の花を咲かせるそうだ。確かに赤い花がたくさん咲いていたが、花にこれといって興味のない私は、
「ふうん」
 てなもんで、写真さえ撮っていないことには我ながら驚く。

 次なる目的地はこの日のもう一つの目玉、白沙(はくさ)村である。この村は相当に古い。数年前の地震でかなりの被害を受け、死者も随分出たらしいが、確かに建物もかなり傾いているものがある。現在はひなびまくった村だが、明清時代は麗江における政治・文化の中心地だったそうだ。最初に行った地区は少し観光地化されていて、お土産屋さんなどもあるし、物売りの貧しいオッチャンがいかにも優しそうな(気の弱そうな、の間違いかもしれない)私を狙って、
「う〜」
 とバスに乗るまで追ってくることもあった。

 同じ白沙村内でも、次に行った地区は、普通に地元の人達が暮らしているだけの場所で、普段はあまり観光客が来ないところだそうである。そこで民家の一つを見せてもらえるというので、特に建築家の我が所長はかなり興味を持って眺めていたようだ。私はどうかというと、それほどではない。そんなところが、設計の仕事にあんまり向いていないことの表れかなあ、なんてことも思うわけであるが。

 普段あまり見ない日本人たちがやってきたというので、村の男達(例によって昼間からトランプなどをして、まったく働いていない)が、胡散臭気な目で我々を見る。その視線をちょっと気にしながらも、気にしない様子で村の中を歩いた。そこで私は一つ驚く光景を目にした。村の一角に積み上げられた牛の糞の山、もちろんこれは畑の肥料にするのだろうが、そこへ一人の女性が両腕を付け根まで素手で突っ込み、グッチャングッチャンとこねているのだ。こりゃあえらい仕事だなあと感心した。

 それにしても、今すぐにでもこのまま時代劇のロケが出来るような、そんな風景である。中国はすごい。

 この日の観光はこれでおしまい、と思いきや、ホテルに帰って近くのレストランで食事をした後には、ナシ族の民族舞踊を見るとのことだった。ちょっとした劇場のようなところへ入って皆で見ていたんだが、皆さん、退屈だったのか、疲れもあって早く休みたかったのか、一人二人と途中で帰って行く。私は、途中で帰っちゃ演者にもガイドさんにも申し訳ないなあ、と変な気を遣うたちなので、多少退屈でも最後まで見ていた。気がつけば我々のツアー客は私ぐらいしか残っていなかったような気がする。まあ、そんなに退屈だったってわけでもなかったし。

「みんな頑張って練習してやってんだろうなあ、大変だなあ。自分とは全然違う土地で、こんな生活してる人達がいるんだから、世の中はなんだか不思議だよなあ」

 などと考えながら見ていたら、途中で帰る気なんて起きなかった。

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