出不精が行く!!
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うろ覚え中国旅行記 〜その2 麗江へ〜

 また色々書くけれど、今回ももちろんうろ覚えなので、内容的に不正確な記述があるかも知れない。そのあたり念頭に置いてお読み下さい。

 2日目は、早朝から主目的地の麗江へ飛んだ。このツアーは最初から最後までとにかく早起きで、朝の6時にロビー集合とかいうことが当たり前だった。今日は遅いなあ、といっても、7時半集合ぐらいがせいぜいだった。朝食はバスの中で弁当、というのが基本のようになっていて、ホテルでゆっくり朝食をとったのなんて、一日あったかなかったかぐらいのような気がする。

 この朝も7時ぐらいの飛行機に乗って麗江に着いたわけだが、その飛行機の中の光景がなんとも不気味(と言っちゃ失礼なんだろうが)で、とにかく客のほとんどが中国のビジネスマンなのである。いったいそれのどこが不気味なのかというと、みんながみんな、真っ黒に近いダークスーツばっかりなのだ。そもそも中国では(というか、少なくとも昆明あたりの地方都市では)、スーツ姿の中国人を多く見かけない。作業服とか人民服とかいった感じの服装に、なんとなく焦点の定まらない、ポヤンとした顔つきの男性が多いのだ。はっきり言えば、あまり人相がよろしくなく見える人が多いし(あくまでも私の個人的印象)、かなり悪く言えば、チンピラ風の目つきをした男性が多い気がする(本当にこれはまったく私の個人的印象。実際の人柄はわかりません)。それが、ビジネスマンはさすがに違う。ものすごい活気を感じるのである。街で見た普通の中国人とは顔つきも違うし、動きも違う。イケイケドンドン的なパワーを発散している。ただし、みんな真っ黒。黒いエネルギーの固まりに押しつぶされそうな息苦しさを感じるのである。でもまあ、当たり前だが特に何もなく着いた。

 空港に着いた時にはまだよくわからなかったが、バスに乗って、麗江の中心部へ向かう途中、その景色に感動した。

「ああ、いよいよ来たか」

 宋の時代から変わらないとは言うが、まさに時代劇のセットを見ているような大昔の田園風景である。昔ながらの木造家屋が実に趣深い。とはいえ、800年前からの本当に古い建物は1996年の大震災で多くが倒壊してしまったそうなので、今建っているのは、建て直したか修復したものだろう。街中に入って見てみると、確かに昔からの建物と、建て直したものとでは、色合いも痛み具合も違う。古い建物は屋根のラインがかなり歪んでいたりする。

 昆明は標高が1,900mぐらいで、南に位置しながらも暑くなく、また冬も寒くないので、まるでパタリロのマリネラみたいに(わからない方は調べて下さい)常春の街といったところだが、麗江はさらに標高が高く、2,400mのところにある。ゆえに紫外線が強いので、地元の人達の顔は、皆、日に焼けて赤黒い。麗江に住む人の多くはナシ族といって、祖先は北から移ってきた羌人(きょうじん)だと言われているそうだ。現在、世界で唯一使われている象形文字、『トンパ文字』をはじめとするトンパ文化を有する。

 このトンパ文字、テレビでもたまに紹介されるし、何年か前には渋谷辺りで少し流行ったと思う。使われているとは言っても、日常生活で使われているわけではないが、まだ使える人がいて、学校でも改めて教育を始めたところらしい。麗江の街でも、観光客相手に、名前をトンパ文字で彫るハンコ屋が商売をしていた。ちょっと高かったので、買わなかったけれど。使い道もないし。

 麗江は世界遺産だが、実は中国人の間でもその存在はほとんど知られていなかったそうだ。それが1996年の大地震によって、一気に人々の注目を浴びたとのことらしい。この地震では300人ばかりが亡くなり、30万戸以上の家屋が全壊したというが、これがきっかけで歴史的に貴重な街並みや文化が世界的に知られるようになり、おかげで世界遺産になったという話を聞いた。

 麗江では陳さんの他に(途中で陳さんはいなくなった)これまた名前を全く覚えていない男のガイドさんがついた。仮に『孫さん』としておこう。この孫さん、歳は30歳ぐらいで、奥さんはいるが子供はいないといったっけかなあ。ホント、覚えていない。とにかく、バイタリティー溢れる人で、もともと北京にいて、中古車の輸入販売業をやっていたとかいうことだが、麗江に旅行に来てすっかり気に入ってしまい、以来ガイドとして居着いたという話である。将来的にはまた商売をやりたいと、なにやら企んでいるとのことだった。

 さて、空港から市街に入ったバスは、そのまま町外れの公園に向かった。途中、もちろん車を沢山見たけれど、孫さんの話によると、

「観光地になってから車は急に増えました。以前は5台しかなかった」

 とのことだが、真偽は定かではない。30万人以上の町で、車が5台とはありえないだろうと思うが、単なる私の記憶違いかも知れない。まずもって、曖昧な情報だらけですいません。

 到着した公園は『玉泉公園』という。ここは麗江の町ほど古くはないが、公園としては1737年に『玉泉王廟』として造られたのが始まりだそうである。弓形をした玉泉という6平方kmの大きな池を中心に、周囲にはしだれ柳が植えられている。標高5,596mの玉龍雪山を背景に、1601年創建の『五鳳楼』、『得月楼』が美しい。で、暫く歩くと、トンパ芸術館なる展示館があって、そこではナシ族の長老がトンパ文字の筆記を実演していたりする。この池というか小さな湖の水は玉龍雪山あたりの雪解け水が地下でろ過されて湧き出ている水だということで、それはそれは素晴らしい透明度である。

 麗江というところは、この池と同じく抜群に綺麗な水が街中の水路を流れている。飲料はもちろん、食べ物を洗ったり、食器を洗ったり、洗濯をしたりを全てこの水で賄っている(のだと思う、たぶん)。もちろん洗濯に使った水を飲むわけにはいかないから、そのへんの使い分けは、飲むものと洗うもので分けているんだが、洗う方も、上流のほうから野菜洗い、食器洗い、洗濯、というようにルールがあるはずである。詳しいことは知らないけど。そんなような説明を受けたような気がする。

 昼食はホテルのすぐ側のレストランだった(もしかすると、それは夕食だったかも知れない)。雲南名物の料理ということでもなく、普通の中華だった。美味い。私は中華料理が大好きなので、美味い中華はいくらでも食えてしまうが、これじゃあ太る。料理が残れば、

「若い人が食べなさい」

 と、必ず言われるから、よほど限界でない限りは食ってしまう。ま、こんな時だから、太ることを気にしても面白くないので構わず食べる。あとで痩せりゃいいのだ。幸せを感じる。一人で来ちゃって、妻に申し訳なく思う。

 ホテルは、麗江の観光のメッカ、古城地区のすぐ横にある。古城は昔ながらの木造民家が建ち並ぶところで、道は狭い石畳、メインの通りには水路が流れ、しだれ柳と建物との調和した景観がすばらしい。高台から街全体を見降ろすと、一面の瓦屋根で、これぞ『いらかの波』である。あちこちで男達がトランプなどで遊んでいるが、このあたりは女ばかりが働いて、男は基本的にブラブラしているというのが大昔からの伝統らしい。とにかく昼の日中から数人で固まっては遊んだり話をしているばかりで、顔つきも締まらない。まあ、男は肉体的にもブラブラしてるから(下品)、それが自然の姿と言えば言えるのかも知れないけれど。

 世界遺産の観光地という意識のためか、それとも伝統がただ息づいているのか、ここの人々、特に女性達は、その多くがナシ族の民族衣裳を身にまとっている。と思ったが、そうでもないらしい。着ているのは年配の女性ばかりで、若い人はほとんど着ていないそうだ。我が記憶はいいかげんなのである。男が遊んでいる分、ナシ族の女性達はとにかく働き者なのだそうだが、この衣裳でいると、なんとなく働き者ぶりがさらに強調される印象がある。たすき掛けみたいなそのデザインによるんだろうが、腕まくりして、がんばるぞー、とやってるような、赤ん坊を背負ったまま働いているような、そんな状況を想像させる衣裳である。

 翌日は玉龍雪山に登る。

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