出不精が行く!!
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うろ覚え中国旅行記 〜その1 昆明へ〜

 まず最初にタイトルについて説明をさせてもらうと、これから連載する中国旅行については、旅先で日記というものを全くつけていない。ゆえに、頼りはアルバムの写真と記憶のみ。あやふやなところをガイドブックで補って、なんとか記憶を繋ぎあわせようと思うが、それでも不確実な部分が多々あると思うので、こんなタイトルをつけた次第。書いてあること全てが事実だと思わないでお読み下さい。と言っても、意図的にフィクションを書き加えるようなことは致しません。

 時は2000年の春である。会社の研修旅行という名目(あくまでも名目。実態はただの観光)で、急遽みんなで中国へ行くことになった。主目的地は雲南省の麗江(れいこう/リージアン)。パスポートの期限切れが近かったので、慌てて更新する必要があり(有効期限が6ヶ月以上ないとビザが降りないという話だった)、ドタバタしながら『悲しみのパスポート』が出来上がった(うんち君のこぼればなし『悲しみのパスポート』参照)。慌てて更新したのに、結局出発は延期になったから、あんな瞼の黒いパスポート写真にする必要もなかったのだが、愚痴っても始まらない。うんち君一回分のネタになったのだから、むしろそのことに感謝しよう。人生は前向きに。

 当時はまだ小渕さんが首相で(帰国した日に、小渕さんが倒れたというニュースが流れていた)、日中関係も悪くなかったから、そういう点では何の心配もなく出発した。早朝の6時半ぐらいに我が事務所の人達と羽田空港で待ち合わせして、まずは関西空港へ飛んだ。そこからは中国雲南省の省都、昆明(こんめい/クンミン)へ直通の飛行機で一気に飛ぶ。この旅は随分と割安感のあるパッケージツアーだったのだが、なんでも、今はJALと統合された当時のJAS(日本エアシステム)が、前年に昆明への直通便を開設したところから企画された、新規のツアーだということであった。

 雲南省というところはミャンマー、ラオス、ベトナムと国境を接し、少数民族が多く暮らす、観光的にはマイナーエリアだそうで、三国志の時代で言えば、劉備の治めた蜀の国の南の外れにあたる。西南夷と呼ばれていた少数民族達が劉備の死後に反乱を起こし、南蛮王である孟獲(もうかく)が諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)と交戦を繰り広げたのが昆明付近一帯らしい。この孔明の南征では、木鹿大王(ぼくろくだいおう)なんてのが出て来て、象に乗ったり法術を使ったりして孔明を苦しめたとか、孔明が孟獲を7回捕らえるも、自らの軍の陣形を見せて7回釈放したという「七擒七縦」という故事があったりで、三国志ファンにはなんだかとてもワクワクする土地なのである。だが、この旅の最中には三国志に関わる話は何一つ出てこなかった。

 何時間のフライトだったか記憶にもないが、調べてみるとおそらく4時間程度の飛行だったようである。とにかく、午後2時か3時ぐらいには昆明の空港へ着いたんだろうと思う。空港のロビーで現地の男性ガイドさんの元へ集合して、バスに乗り込んだ。このガイドさん、なんとなく生島ヒロシ氏に似ているが、名前は覚えていない。定かではないが、『陳さん』だったような気もするので、とりあえずこの旅行記の中では『陳さん』ということにしておく。あくまでも仮名という認識でお読み頂きたい。

 ツアー客の顔ぶれは、我々の事務所が初老の所長以下、おじさん、おじさん、私、の計4人。50代とおぼしき仲良し3人おばさんプラスうち1人の旦那さんの楽しげな4人グループ(おばさん3人組がメインで、この旦那さんのほうがいかにもおまけで着いて来たという雰囲気)。隠居したそば屋の御主人と、若い後妻のご夫婦。それから、評論家とおっしゃるプライドがやたら高くて付き合いづらい60絡みのおじさんと、そのお友達だというインパクトの強い女性の熟年コンビ。あとは1人で参加された、やや我がままな印象のある40前後の独身女性。確かこの13人で全部である。私が一番若い。

 全くおこがましい話なんだが、この旅の間中、私は仲良し3人おばさんグループ(私とおばさんグループが仲良しという意味ではない。おばさん同士3人が仲良しのグループであるということ)に『博士』というあだ名で呼ばれていた。私が博士号を持っているからではない。私はただの学士である。実は、そのあだ名は当時やっていたNHKの朝の連ドラから来ている。その時のドラマは竹内結子主演の『あすか』であった。和菓子職人を目指すあすかの幼なじみであり、後に夫となる通称『博士』に私が似ているというのがその理由である。博士を演じるのは、藤木直人。大変申し訳ない。別に似ちゃいません。明らかに良く言い過ぎなんだが、おばさんたちの目にはそう見えていたらしいからしょうがない。

 さて、到着した昆明はあいにくの小雨模様だった。当初の予定であった龍門石窟の見学を最終日にまわし、かわりに最終日の予定だった雲南民俗村に行く事になった。龍門石窟は見晴らしの良さが重要で、天気の良い日に見るに越したことはないが、民俗村はテーマパークであり、雨でもまあいいだろうという判断である。

 この民俗村では雲南に居住する26民族(『地球の歩き方』には、雲南省に住む少数民族は25とも書いてあるから、漢民族を入れて26なのかもしれない)の文化風俗を紹介しているが、80平方キロという広大な敷地に各民族ごとのエリアが村のような形で配置されている。それぞれの村では舞踏とか民族楽器の演奏とかいったパフォーマンスが行われていて、まあ、想像通りの雰囲気だがそれなりに楽しいかも知れない。中国の南の端だけあって、

「これも中国か?」

 と思うような、東南アジア的な民族もいるし、建築様式などはいわゆる中華風とそう変わらないなあ、というような民族もいる。多様でなかなか興味深い。

 広大な敷地を歩き回ったらさすがにヘトヘトになった。バスに乗ると、あとは昆明市街に戻って、夕食のレストランへ向かうだけだという。そこで食事をしながら、民族舞踏を見るということだった。このあたりの郷土料理は、いわゆる中華料理とはちょっと違うようで、雲南名物のナントカいう料理をぜひ食べてみて下さい、とガイドの陳さんもやたら熱心である。熱〜いスープの中に肉とか野菜、それに独特の麺を入れて食べる。今あたらめて調べてみれば、これは米で出来た『米線』という麺で、この付け麺みたいな料理は『過橋米線』という料理のようだ。スープには大量の鶏の油が浮いているので、なかなか冷めない。冷めないどころか、上層は完全に油そのものだからその熱さは大変なもので、間違いなく100度を大きく上回っている。そのスープの中で薄切りの肉や野菜を煮て、最後に麺を入れて食べる。屋台なんかでも売っていて、安くておいしい、と本には書いてあるが、私とてしては、

「どうだかなあ」

 という感じ。他の人達もあまり口に合わなかったようだ。なんせ、スープがグラグラの油そのものみたいだから、口を付けてみたらたちまち舌の先をやけどしたし、本当にただの熱い油を飲んでいるだけのようで、

「あれ?これは飲んじゃいけないものか」

 と思って、やめてしまった。が、どうやらやっぱり飲んでもいいものらしい。もうちょっと冷めてから、下の方のスープと一緒に飲むのが正しいんだろう。といっても、あの油の量だから、健康のためにはあんまり飲まない方がいいんじゃないかなあ、というのが率直な感想。

 食事中、舞踏を見せられたけれど、良くおぼえていない。客の中から舞台に引っぱり上げられて一緒に踊らされる企画もあったから、

「勘弁してくれ、つかまっちゃたまらない」

 と、一生懸命食事に集中しているふりをした。あんな舞台の上で、一緒になってニコニコ踊ってられるか、てなもんである。

 さて、食事も終わってホテルに入ったら、会社の人達と夜の昆明市内を散歩した。ここは地方都市とはいえ、当時で人口370万、ビルが林立する大都市である。でも、面白いのが広い自転車用の車線。広い通りには普通の自動車用の一車線より広いぐらいの専用車線が車道の端に設置されていて、朝の通勤時にはここをものすごい数の人達が自転車で通るのである。翌朝、昔ながらのデザインの自転車が大量に走っている光景を目にしたら、

「ああ、これぞ中国だぁ」

 と、つくづく感じずにはいられなかった。

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